日産「デュアリス」発表
【日産 デュアリス 発表】冒険心をカタチに
日産のデュアリスは、プロモーションに何故、ロボットを持ちだしてきたのでしょうか?
新型「デュアリス&X-TRAIL」
変形メカのパワード・スーツ、銀座に出現
ロンドンのデザインセンターの位置づけ
「他人と違う車に乗りたい」という欲求は、多くの人が持つものです。
お隣りさんと同じ車を選んだとしたら、バツの悪いものとなってしまいます。洋服や時計、ブランド・バッグの場合もそうです。流行を追いたい、リセール・バリューの高い人気商品を購入したいという欲求がある一方で、身近な人とかぶってしまう事は避けたい、真似をしたと思われたくないと、人は思うのです。
この意識が大きくなってくると、迎合主義からの脱却を図りたくなります。例えばBMW。かっこよいと思う反面、いかにも気取っている感じが鼻につきます。そんな車に乗る自分で、はたして良いのだろうか?あるいはメルセデス。権威主義に頼る人間が、果たして素晴らしい人なのか?このように考えていくと、選択肢は絶望的なまでに狭められてしまいます。しかしそのステージに到達する前に、壁を乗り越えなければなりません。まず、日本車的ダサイズムを回避する事が必要となるのです。
残念な事に、日本車は美意識を持ち合わせた人にとっては、嘆かわしいものと写ります。この感覚は、特異なものでも、錯覚でも、間違いでもありません。これだけ多くの車が存在しているにも関わらず、センスのある人の欲求を満たす日本車は、ほとんど、な い 。
だから、他人と違うデザインの車を求める行動は、それらの人々が他人と違う事を本質的に求めている事を意味するのではないのです。進んでニッチ層になろうとしているのではなくて、所有するブランドバックが、お隣りさんとかぶる事を避けたいのです。そしてそれが、良いものである必要があるのです。この時、選択肢は皆無となります。だから、新車が売れないのです。
したがってこの問題は、「違う事を目的とした違い」では解決しません。我々が求めているものは、もっと本質的な部分での良さであり、日本車メーカーが考える薄っぺらな「コンセプト」や軽薄なプロモーションでは、これを解決することができないのです。
その点において
日産・デュアリス
のデザインがどうであるかを述べる事は、あえて控えることにします。新車販売に苦しむ日産の事情も察して、温かく見守ってあげるくらいの懐の深さも必要でしょう。ヨーロッパ人デザイナーの意志とセンスを尊重しなければならない状況での、葛藤もあったに違いありません。
ただ、さすがにこのフロントのデザインでは、日本で販売するにあたって問題があると、日産は思ったのでしょう。しかし、フロント・リフトに着手すると、ロンドン・デザイン・センターのプライドを挫く事となります。お金もかかります。ではどうすれば良いのか。
そこで、デュアリスのデザインに対する消費者の注意をそらすために、日本で開発された「デュアリス専用モビル・スーツ」が、「パワード・スーツ デュアリス」。これは、マーケット上のターゲットである、ロボット・アニメ世代の取り込みを狙ったものでもあります。
しかし、この試みは失敗に終わることでしょう。
なぜならデュアリスは、今となっては別段新しくもない普通の「クロスオーバーSUV」。そこには未来的要素も、変身も、空を飛ぶ能力もありません。だから、デュアリスの宣伝にパワード・スーツ デュアリスをもってこられても、意味不明に写るのです。これは、デュアリスが壁面を走行できない事や、二足歩行できない事に問題があるのではありません。パワード・スーツ デュアリスが、後付けで創られた事に問題があるのです。
そしてもっと決定的なのは、日産がロボット・アニメ世代のハートを理解していない点にあります。彼らは単にデザイン的なカッコ良さに惚れて、アニメやプラモデルやゲームに熱中してきたのではありません。ガンダムやマクロスが、なぜ彼らの心を捕らえたのか。
それは、そこに「愛」があったからです。
それまでのロボット・アニメは、自分側の事情しか考えない単純勧善懲悪型でした。しかし、それらのアニメの登場により、敵側のロボットの中にも、家族を持ち感情を持つ普通の人間が存在する事を知ったのです。戦場で相手を倒す際にもその事を考え、そして自身の心の葛藤と戦う人間ドラマへと、ロボット・アニメは進化したのです。
だから、趣味のためになら高額な商品でも簡単に購入してしまう購買層を、ロボットで簡単に釣りあげようなどと考えるのは間違っています。彼らは、本来血の通わないロボットにも「愛」を感じ取る事ができるのです。その車が、情熱をもってつくられているかどうかも、一瞬にして見抜いてしまうのです。
その意味において、天才デザイナーが「良いデザイン」を生み出すのではないと言えます。一流メカ・デザイナーがパワード・スーツ デュアリスを手がけたからといって、すぐさまそれがターゲット層にシンパシーまでをも感じさせるロボットにはならないのです。これは、担当したロボット・デザイナーに責任があるのではありません。天才デザイナーをもってしても、後付けコンセプトでは、ロボットに息吹を与える事はできないのです。そもそもの存在動機が希薄だからです。
だからパワード・スーツ デュアリスは、ターゲット層の捕獲というミッションに失敗するでしょう。それ以外の潜在的な購買層も、パワード・スーツ デュアリスという意味不明なアニメ・コンセプトを見せられることでしらけ、購買意欲を失います。デュアリスのテレビCMを見ることで我々の心に残るのは、ある種の「未消化感」だけなのです。
そのような感情を、我々に芽生えさせるものとは何でしょう。その根底にあるものの正体。
それは、「愛の欠如」です。
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自動車・批判・批評・評価テーマ:日産 - ジャンル:車・バイク
2007.06.03 | 日産 |
トラックバック(0) | コメント(2) |
こんにちは。
私が思うに
なんでロボットを持ち出したかと言うと、嗜好が一致しているからではないでしょうか、車好きとロボット好きの。
どっちも、いわゆるオタクと呼ばれている人だと思います。
2007.06.22 08:15 URL | ユキ #SFo5/nok [ 編集 ]
おっしゃる通り、車好きとロボット好きの嗜好に一致する部分はあると思います。
しかしながらデュアリスは、車好きをターゲットとして開発された車ではないし、ロボットマニアに好かれる事を目標に造られた車でもありません。
そこが?なのです。
2007.06.23 18:22 URL | 武車小路 #- [ 編集 ]
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