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新型日産ムラーノ、ここに注目1(デザイン)

  • エクステリアは、初代から“ムラーノらしさ”を継承しながら、より曲線を多用(2008年09月30日)[ホビダス]
  • 【ロジャー安川の北米試乗】日産 ムラーノ
  • いつ発進したのかわからないくらい、車内は快適。新しく採用されたDプラットフォームも確実に荒れた路面をスムーズにライディングしてくれます(2008/08/22)[カーセンサーラボ]
  • 「そうじゃない。だったら、写真の方がよっぽど良いでしょう?」

    担任の先生は、50歳を超えた年配の方でした。体力面での衰えはありましたが、体育と音楽以外の授業は全て、精力的に受け持ってくれました。美的な事に関しては特に、一家言ある方でした。

    その日の図画工作の時間に与えられた課題が、「風景画」だったのです。私達は、6階建ての校舎の教室の窓から見える街の風景を、可能なかぎり忠実に再現しようとしました。

    しばらくすると、クラスメートの半数近くは、風景画を書く事に飽き始めました。それでも私は、楽をしたいという誘惑に負けることなく、水彩絵の具の筆先に夢を託す方を選びました。

    「よく頑張ったね。うまく表現できてるよ。上手だよ」

    ただ、褒められたかったのです。その大変な労力に対して、ねぎらいの言葉がかけられる事を、期待していました。

    だからこそ、授業の終わり間際に、先生の口から発せられた、あの言葉がショックだったのです。

    「絵画は写真のように表現するだけでは、意味がない」

    その言葉が、私の胸に深く突き刺さったのです。

    「だったら、最初に言ってよ」

    そうも、思ったのです。

    しかし、確かに彼女の言う通りなのです。目の前にある風景を単純作業でキャンバスに写し取る事が芸術なら、価値判断の指標は「精巧さ」だけとなります。イマジネーションは不要となり、「指先の器用さ比べ大会」となってしまいます。しかも、結果として、どの作品も「写真」には劣る事となってしまうのです。

    ムラーノ も一緒なのです。ムラーノ(2代目 Z51型)のデザインを見た時、消費者の頭に「?マーク」が付いてしまう理由は、ハッキリしています。

    新型ムラーノおそらく、ムラーノのテレビCMに登場するクレイモデラーは、良い仕事をしているのでしょう。デザイナーが表現したかった世界観を忠実に、あるいは発展させ、ムラーノに魅力的なプロポーションを与える事に成功しています。

    その点において新型ムラーノは、旧型ムラーノをはるかに凌駕しています。デザインバランスと整合性は、完璧です。旧型ムラーノに見られたネガティブなデザイン要素は、全て払拭されています。ムラーノのデザインは、非常によくまとまっています。精巧な芸術作品のようです。しかし、です。

    なるほど、ムラーノが未来的で独自性の高いスタイルを、上手く表現できていることは、よく分かりました。しかしそれが、一体何なのですか?それが私たちドライバーにとって、何のメリットがあるのですか?ムラーノは宇宙船ではないですよね?宇宙船ではなくて、車をデザインするべきではないですか?

    消費者は、そう思ってしまうのです。

    そう思ってしまうのは、ムラーノで表現されている世界観が、「写実主義」の域を脱していないからです。だから消費者は、ムラーノがデザイナーの渾身の力作である事を理解し、感心したとしても、それ以上の反応を示さないのです。

    結局、車にクロヒョウを表現したり、宇宙船を表現したりする事は、無意味なのです。デザインで表現すべきものは、その先に存在するもの。いや、その先に「存在しないもの」です。

    でも、ムラーノで表現されている「未来的な宇宙船」のイメージは、消費者の夢につながる?それが消費者の購買意欲を喚起する?

    それは、違います。

    ムラーノで表現されている「宇宙船」とは、「消費者の夢を乗せた船」ではありません。




    個人的な願望です。





    「中村レジーム・脱出号」です。




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    2008.11.01 | 日産 | トラックバック(0) | コメント(45) |

    文章が本当に読みにくい 自分に酔ってるとしか言えないものだけ… しかも抽象的な中傷ばかりでうんざりします そもそも車の事がわかってないのが痛さ倍増…

    2008.11.02 02:35 URL | 匿名希望 #- [ 編集 ]

    本当の意味で、車の事を一番理解しているのは、自動車メーカーではありません。

    車を買わない消費者です。

    彼らは、自動車メーカーが行う、いかなるマーケティング・プロモーションにも惑わされることなく、自分にとって車が不要である理由を見抜き、的確に行動しているのです。

    これまで自動車メーカーは、カードローンで人工的につくられた、見せ掛けだけの需要拡大に引っ張られる事で、なんとか生き長らえてきました。北米市場の虚像が、内在するこの問題を顕在化させる事を阻んできたのです。

    しかし、これからが本当の正念場です。今こそ、本当の意味で消費者にとって魅力的な車とは何であるかを考え、努力を行うべき時なのです。

    そのためには、まず何を行えば良いのか?



    車を買わない消費者の意見に、真剣に耳を傾けるべきです。

    2008.11.02 16:20 URL | 武車小路 #V5MEWXmE [ 編集 ]

    だからさ、それでは文章が読みにくいという意見に貴方は答えてないんじゃないですか?私は別に読みにくいとは思いませんが。

    2008.11.05 04:14 URL | keso #- [ 編集 ]

    11月4日、音楽プロデューサーのTKが逮捕されました。

    TKは、音楽プロデューサーという職業を世に広く知らしめましたが、彼と一般の音楽プロデューサーとでは、大きく異なっている点があります。

    それは、TK自らが、作詞、作曲も行う点。

    本来、プロデューサーは、協業者をトータル・コントロールする役割が重要なのであり、コンポーザー的業務にはタッチしないのが普通です。それは、自らが作り出した楽曲をプロデュースしようとした時、仕上がり具合を客観視することができなくなるからであり、不出来な作品を切り捨てる決断を行うに際して、私情がその判断を鈍らせる要素となるからです。

    しかしTKには、コンポーザーとしての才能がありました。セルフ・プロデューサーとしての才能もありました。だから彼は、音楽プロデューサーとして成功することができたのです。

    ただ、彼は音楽プロデューサーとしては一流でしたが、一流の経営者ではなかったのです。自らの能力を過信し、プロデュースする範疇を、得意領域以上に広げてしまったことが、巨額の負債を抱え、転落人生を転がり落ちる事になった最大の要因だと言えるでしょう。

    サイト運営も、TKの仕事によく似ている点があります。

    コンテンツは、全て自らの書き下ろしで、プロデュース業務も自分で行わなければなりません。つまり、セルフ・プロデュースです。その際に、編集プロデューサーが校正・校了するプロセスを経ない状態で世に出るが故に、自らのコンテンツの内容を客観視する事ができないのです。

    だからこのサイトを閲覧した人から、「文章が読みにくい」と言われてしまえば、返す言葉がありません。

    「自分に酔ってるとしか思えない」という指摘も、まっとうな評価なのかもしれません。

    「抽象的な中傷ばかりでうんざり」という感想も、おそらく嘘偽りのない率直な気持ちなのでしょう。

    しかし彼(彼女)のコメントは、日本車、あるいは特定の車に対する自分自身の意見がないのです。

    その意図は、「文章が読みにくくて」、「自分に酔っていて」、「抽象的な中傷ばかりで」、「そもそも車の事がわかっていない」作者の主張は、聞くに値しない。だから、車に関する自分の意見は述べない。しかし、作者を成敗(せいばい)するために、個人的な中傷だけは行おう。そういう事なのです。

    では、この突きつけられた「挑戦状」の主張を覆すにはどうしたら良いのか?


    自らが客観視できない部分に反論してもしようがないのです。それに、自らの文章力を弁護したところで、世の中の発展には何も寄与しません。だから私は、自らが客観的に捉えられる部分に活路を見い出す事にしたのです。

    そもそも、車の事が「わかっている人」とは、一体誰なのか?

    「あなた」ですか?「わたし」ですか?「自動車メーカーの社員」ですか?違うでしょう?

    本当に車のことが「分かっている人」がこの世の中にいて、機能しているのであれば、「車が売れない時代」など到来しないでしょう?

    魅力的な車で街はあふれ帰り、全てを失ってでも車を買いたいという人の消費行動によって、世の中は好景気になっているでしょう?

    そういう主張をしたのです。

    実際、世の中は理想とは大きく異なっているのです。

    それは、自動車メーカーが、統計データから導かれる、浅はかな憶測頼りで車づくりを行ってきたからです。本質的な部分で、消費者の心を捉える努力を怠ってきたからです。だから、これからその代償を払わされることになるのです。

    「こんな楽曲じゃ、これからの時代には、売れないよ。感性が時代にマッチしてないよ。(ディスコ+カラオケ)/2 に代わる新しい方程式が必要だよ。早くしないと、取り返しが付かない事になるよ。しまいには、逮捕されちゃうよ」

    私が繰り返し、そう主張して来たのは、そういう事態に陥ることを回避するためだったのです。

    一年前であれば、私の主張は、誰も信じなかった事でしょう。総売上で考えれば、十分に売れていたから、その主張に正当性を感じることができなかったのです。だから、聞く耳を持つ必要もなかったのです。

    しかし、栄光の「ビッグ3」が、「デトロイト2」へと凋落してしまいそうな、かつてないほどの厳しい時代が、実際にやって来ました。自動車メーカーが、生き残っていくためには、有効な打開策が必要です。仮にトリックを使って、現金を引き出す事に成功したとしても、それは根本的な解決策にはなりません。



    日本車メーカーが、「TKの最後」のような末路をたどらない事を願うばかりです。

    2008.11.06 00:40 URL | 武車小路 #cVC5cOsU [ 編集 ]

    >>その意図は、「文章が読みにくくて」、「自分に酔っていて」、「抽象的な中傷ばかりで」、「そもそも車の事がわかっていない」作者の主張は、聞くに値しない。だから、車に関する自分の意見は述べない。しかし、作者を成敗(せいばい)するために、個人的な中傷だけは行おう。そういう事なのです。

    彼あるいは彼女には自動車デザインを語らなければならないという義務はありません。批判を中傷と受け取るなんて被害妄想では。

    「車を分かっている人」って一体誰でしょう。私には分かりませんが、そんな人がいるだけで車は本当に売れるのでしょうか。

    >>「車が売れない時代」など到来しないでしょう?

    なぜ車が売れない時代が来たのか。車を買えない人、車に興味が無い人、車を必要としない人が増えたのです。

    >>全てを失ってでも車を買いたいという人

    その人が買いたいと思う車がもし武車小路さんの嫌いな車だったら?

    2008.11.06 04:54 URL | keso #- [ 編集 ]

    「こういうUFOみたいな車を待ってたんだ」という人もいるかもしれませんね。
    RVではないので どんなデザインでも許容されてしまうんでしょうかねぇ。SUV事情は良く分かりません(汗)

    2008.11.06 23:30 URL | H #- [ 編集 ]

    車のデザインには、メッセージが込められています。

    そのメッセージに、このサイトは呼応しています。

    その流れにのっとった、筆者の主張に賛同する意見。あるいは、筆者の主張に対し異論を唱える正反対の意見。全く違う視点からの批評。これらは、歓迎すべき「批評」です。読者は、それらを読むことで、色々な人の考え方を知ることができます。

    一方、話の腰を折り、水を差す「中傷」は、歓迎せざるものです。これは、筆者の人的資質や能力を攻撃することで、作者を意気消沈させるとともに、コミュニティの存在意義に疑問を呈し、自由活達な意見交換の場を崩壊させる事に、その目的があります。

    ただ私は、その「中傷」を、抹殺しようという訳ではありません。その主張に、価値がないと言っているわけではないのです。その「批判」を「中傷」と言ったことには、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。それを「被害妄想」と捉えるのは、間違った「拡大解釈」です。



    車が売れなくなった理由。

    これは、非常に重要なテーマです。

    先日、20代前半の男性と話す機会がありました。

    「車に興味を持つ人の心理が、理解できない。車を熱く語れる人の心情が分からない。車を買う理由が思い付かない」

    彼は、そう言っていました。彼の周りの人間も同様だそうです。

    私は、彼らの気持ちがよく分かります。

    車が好きな人間の立場から見ても、マーケットには魅力的な車がほとんどないのです。車に興味がない人にとっては、更に魅力に乏しく写っていることでしょう。

    その事について、もう少し述べたいと思います。先日、あるテレビ番組で、秋葉原の「オタク文化」を特集していました。

    秋葉系の人達が、どういうことに熱中しているのか?これは、多くの人にとって、「少しだけ」興味がある事です。そこには一体、どんなディープな世界が待ち受けているのか?

    私も、興味深くその番組を見ていました。

    そこでは、秋葉系ファッションに身を包んだ人々が、ダンスフロアーで奇声を上げ、「秋葉系ダンス」に興じていました。そして、恍惚の表情を浮かべていました。その姿を見た時、多くの人は思うのです。

    「これは、絶対ないな。自分には、一生無関係なジャンルだな」

    熱中している人々と自分との、絶対的な温度差と価値観の違いを実感した時、そのコミュニティに属することが到底不可能であると確信するのです。

    若い世代の人々が車を欲しいと思わない構図も、これと良く似ています。

    世に存在する多くの自動車は、理解不能なデザインから成り立っています。そして、文化的な生活を送るに際して不可欠な身の周りのプロダクトと比較して、はるかに高額です。ガソリン代や税金などの維持費も莫大です。おまけに、その車を所有しているオーナーが、「この車、かっこいいだろう?」と、ご満悦の表情で話しかけてくるのです。

    その状況を見たとき、彼らは、「絶対無理。ありえない。この世界に、自分が足を踏み入れる事は一生ないだろう」。そう思うのです。

    つまり、ひどいデザインの車を市場に投入するという事は、その車の販売台数だけの問題にとどまらないのです。見込み顧客の消費マインドを冷え込ませ、マーケット全体をしぼませるのです。

    だから、マーケットをホットにさせる車が「善」で、マーケットを冷えさせる車が「悪」です。その観点から、私は車の批評をしています。

    もちろん、どんなデザインの車を買おうと、それは消費者の自由です。

    しかしそれは、あくまで消費者の立場から考えた場合の話であって、自動車メーカーが、そのような考え方をしていてはなりません。

    そもそも、「車に興味が無い人」をつくりだしたのは、自動車メーカーです。「車が買えない人」をつくり出したのも、自動車メーカーです。「車を必要としない人」をつくり出したのも、自動車メーカーです。

    景気の後退が更なる悪循環を生み出し、車は更に売れなくなっていきます。だからこそ、これまで通りではダメなのです。

    2008.11.07 23:26 URL | 武車小路 #X2YvL26Q [ 編集 ]

    誰も貴方の人的資質や能力を攻撃していないと思います。「車の事がわかってない」の部分はともかく、彼あるいは彼女の一言は批評にしか思えません。

    「車に興味が無い人」「車を買えない人」をつくったのは社会です。47万円アルトを復活させたり日本でもタタナノやダキアロガンを売れと?「車を必要としない人」をつくったのは公共交通(さらに強いて言えばスクーターと自転車も)。

    >その状況を見たとき、彼らは、「絶対無理。ありえない。この世界に、自分が足を踏み入れる事は一生ないだろう」。そう思うのです。

    例えば、金持ちではないのにフェラーリに莫大な維持費を投じる人を見て、ワゴンRを購入するのを止める人がいるでしょうか?

    マーケットをホットにさせる車って何ですか?販売台数トップ20に入ってる車ですか?

    2008.11.08 01:35 URL | keso #- [ 編集 ]

    欲しいものはインターネットで買えてしまうし、国内旅行ならツアー会社があらゆるプランを低価格で提供してますし、ゲームやカラオケ、大画面での映画鑑賞などの娯楽も家庭内で満喫できる世の中になりました。生協やパルシステムなどを利用すれば食料品すら家に届けてくれます。そんな事もあって自家用車で出かける人が確かに増えてる気がします。自分は車に対する思い入れが強い世代の最後の方になってそうです。自分より若い世代は、確かに車に興味の無い方ばかりで動揺を隠せません。

    2008.11.08 02:17 URL | H #- [ 編集 ]

    車の批評サイトの作者に対して、「そもそも車のことがわかってないから痛さ倍増」と発言するのは、筆者に対する最大級の「中傷」です。

    何故なら、この部分は明らかに間違っている。そう言って、具体的に論評の間違いを指摘するのであれば、それは正当な「批評」となります。


    「車に興味がない人」が増えたのは、自動車メーカーが魅力的な車づくりを行わず、車好きの消費者を育成する努力を怠ってきたからです。無論、自動車メーカーの人々は、反論するでしょうが、客観的にみて、そう言う事ができます。ただ、これは、日本車メーカーが、外国車メーカーに比べて努力不足であったという意味ではありません。

    「車が買えない人」が増えたのは、日本の政治政策と大いに関係があります。経団連で発言力のある自動車メーカーが、税金面などで優遇を受ける一方、契約社員を増やし、安全弁とする雇用施策をとったことで、社会全体に対する富の再分配が偏ったのです。

    また、「車を必要としない人」が増えたのは、エコロジーに対する消費者の意識が向上したからです。ただ、自動車の無駄な使用を控える事は善だとしても、根本的な部分で自転車や二輪車は、車の代用にはなりません。だから、公共機関も自転車も二輪車も使ってもらいつつ、自動車も買ってもらえるように、自動車メーカーは努力すべきです。

    その他にも、インターネットや携帯電話、パソコン、モバイル製品、AV機器。それらが自動車と競合していることは事実ですが、株主への弁明材料を語り、自己弁護したとして、問題は解決されません。

    だから、「車は素晴らしい」、「車は魅力的だ」。「車には、大枚はたく価値がある」。そう思ってもらえるような車づくりを目指すべきです。消費者の評価が、その車種単体に向かうだけでなく、車というジャンル、車文化全体の評価を押し上げるような車がホットな車です。

    一方、周りを白けさせる車。購買意欲を萎えさせる車が、ホットではない車です。だから、ニッチなセグメントを狙った、グロテスクな車は危険であるとも言えます。


    フェラーリとワゴンRのくだりは、意味がよく分かりませんでした。

    「住まいは借家なれど、車はポルシェ」

    多様化する価値観を語る上で、そういう人が話題になった事もありました。それに関係した話でしょうか?

    2008.11.08 03:35 URL | 武車小路 #RJnqs2uM [ 編集 ]

    「買い物」と車の関係性。

    確かにこれは重要ですね。車を買い物に使用しない場合、車の使用目的は、ぐっと絞られてしまいます。

    近場に、適当なドライブの行き先がない事も、また問題。

    そういう意味では、高速道路の「完全無料化」や「休日上限1000円案」は、賛成です。

    2008.11.08 03:44 URL | 武車小路 #.y7XE8ZM [ 編集 ]

    良くも悪くもカーシェアリングやレンタカーの充実はさらに販売台数を減少させるでしょう。

    ホットな車?日本メーカーもブガッティ、マクラーレン、ケーニセグみたいな車を作れば良いのか・・・?

    まあ車をガンガン売るには経済をガンガン右肩上がりにするのが一番簡単なのかも。

    私はぶっちゃけ景気停滞の一員になる事を無視すれば販売台数は減った方が良いと思いますが。交通事故、排ガス、渋滞、道路建設等の減少が期待できます。車メーカーだけでなく道路行政、道路建設業、交通違反を取り締まる人々にも大打撃が予想されます。

    2008.11.08 19:06 URL | keso #- [ 編集 ]

    ムラーノは確かにいいデザインだと思います。

    しかし、あなたの
    『なるほど、ムラーノが未来的で独自性の高いスタイルを、上手く表現できていることは、よく分かりました。しかしそれが、一体何なのですか?それが私たちドライバーにとって、何のメリットがあるのですか?ムラーノは宇宙船ではないですよね?宇宙船ではなくて、車をデザインするべきではないですか? 』

    あなたはただ車のデザインを評価すればいいんじゃないですか?
    メリットなんか考える必要ないですよね。
    なんでいいデザインの日本車がでると、わざと他の部分をけなすんですか?

    あなたの好きな車はミニと言いましたよね?
    あの車にデザイン以外にメリットはありますか?
    窓は小さい、後席は考えられていない、ナビは使いにくい、しかもミニなのにデカイ、走りもそんな軽快ではない(先代ミニやルノールーテシアより)…デザイン以外にメリットがありますか?

    買ってメリットがほしいなら、あなたの好きな車はカローラやゴルフなんじゃないですか?

    2008.11.09 19:21 URL | T #- [ 編集 ]

    >しかしそれが、一体何なのですか?

    それ言っちゃあおしまい。武車小路さんが良いデザインをメリットと思わないのなら、武車小路さんがデザインを評価する意味が無くなる。このサイトの存在意義が無くなる。デザイナーはただ実用性だけを考えてれば良いって事になる。

    >消費者の頭に「?マーク」が付いてしまう

    世界中の消費者にアンケートでもとったんですか?とってすらいないのなら勝手に消費者達の頭に「?マーク」を付けないでください。

    >デザインで表現すべきものは、その先に存在するもの。いや、その先に「存在しないもの」です。

    「存在するもの」 「存在しないもの」って何ですか?

    2008.11.10 06:39 URL | keso #- [ 編集 ]

    ムラーノという名の由来はイタリア・ヴェネツィアのムラーノ島のガラス工芸品に似た美しさを持つシルエットから連想されたものだそうです。イタリアンガラスの美を表現したつもりが、宇宙船になってしまったのですね。でもそういう発想は悪くないと思うのですが、本来それは本国イタリアの自動車メーカーがするべきであって、日本の自動車メーカーなら自信を持って有田焼とか日本独自の工芸品が持つ伝統美を表現してもいいのではないかと思ってしまいます。。。

    2008.11.10 20:44 URL | H #- [ 編集 ]

    消費者が、BMWミニを購入して得られる最大のメリットは、「BMWミニを所有できること」です。

    仮に、窓の形状や後部座席やカーナビや動力性能に関して、若干問題があったとしても、その車がBMWミニであるだけで、全ては許されるのです。BMWミニに乗れるだけで、ユーザーは幸せな気分になれるのです。

    カローラやゴルフが持つ、必要十分な基本性能以上の何かを得たい人にとって、この「満足感」が得られる事は非常に重要です。BMWミニは、それをデザインの力で解決しているのです。

    一方、ムラーノはどうか?

    ムラーノを買った消費者は、「比較」するのです。

    外観は、他車に比べてカッコいい。内装は他車に比べて~~だ。実用性は、他車に比べて~~だ。実際の燃費は、~~だった。値段は、他車に比べて~~だった。だから、この買い物は正解だった。きっと、そうだ。そうに違いない。

    このように、ムラーノを所有することで得られる幸福感は、他車との比較から導かれるものです。もちろん、日産は大衆車メーカーなのですから、相対的な評価で判断されることは、至極当然のことではあります。しかしムラーノは、「日産プレミアム」を標榜する車なのですから、その価値は絶対的なレベルまで高めていく事が求められるのです。

    その点、初代ムラーノには、比較のベクトルに置かれないだけの「突破力」がありました。しかし、デザインは荒削りであったので、すぐ飽きられてしまいました。一方、二代目ムラーノのデザインは、よくまとまってはいるのですが、「比較検討リスト」に収まる、小粒なものとなってしまったのです。

    だから、ムラーノを見て、胸を射抜かれたような衝撃を覚える人は、ごく少数なのです。少し外れているように感じるのです。

    そう感じるのは、ムラーノのデザインが宇宙船的だからでもあります。宇宙船的でかっこいいけど、宇宙船的であるからこそ、ちょっと違うような気もする。消費者は、そう思うのです。だから、大して支持は得られないだろう。それが私の評価です。

    今言ったことを、「ブランディング」の観点から語る人もいるでしょう。しかし、ここは敢えて「デザイン」の話を続けようと思います。

    ムラーノのデザインは、ある要素が欠けているのです。消費者に買ってもらうためには、それが必要なのに、ムラーノにはそれがない。BMWミニにはあるが、ムラーノにはない。


    それは、「好き」と思わせる要素です。


    ムラーノは、「好かれるデザイン」で、あろうとしたのでしょうか?

    2008.11.11 00:00 URL | 武車小路 #e2rcrAqU [ 編集 ]

    自動車メーカーが市場に送り出す商品と、消費者が望むものとの間には、いつの間にか、自己解決できない溝が刻まれてしまったように思っています。

    しかし、その問題を解決するために、全ての消費者にインタビューをして回るなどという事は、到底不可能です。

    だからこそ、双方の心理を見抜く「ナコード役」が必要なのです。この問題を解決するには、両者の橋渡し役が必要なのです。そのために、私はこのサイトを立ち上げました。

    しかし、そのお節介な「ナコード」も、たまに、間違った事を言うかもしれません。

    「私はそんな事、思ってないんだから。おじさんは、私の事、何も分かってないんだから」

    そう思った時は、遠慮なく反対意見を言ってください。


    実際のところ、Kesoさんの頭には、「?マーク」は付かなかったですか?

    ストライクゾーンに「ズバッ」ときましたか?

    一生、ムラーノを愛せますか?


    無論、ムラーノのデザインは悪くないです。デザイナーは、とても才能のある方だと思っています。


    ただ・・・


    という部分です。

    2008.11.12 01:02 URL | 武車小路 #geYb8XqM [ 編集 ]

    BMWミニを購入する人にも他車との比較をする人はいる筈。逆にムラーノしか興味が無い人がいてもおかしくない。

    初代のデザインに荒削りな部分は私感じません。すぐ飽きられている様にも思えません。二代目のデザインが小粒なものとも思えません。

    私はムラーノのデザインには初代でも2代目でもかなり衝撃を覚えるました。少し外れているようにも感じません。私が少数派なのかはともかく。ただし、2代目の後姿はデュアリス・ローグの流用(良い言い方をすればイメージの統一か)にしか見えません。

    ムラーノのデザインをとても「好き」と思う人はいる筈。

    ムラーノを私が購入する事は200%無いでしょう。しかし、私は魅力的と感じます。

    2008.11.12 05:26 URL | keso #- [ 編集 ]

    素人が描いた絵画を見たとき、人は何を思うでしょう?


    「これ、そのまんまやん」



    他車のデザインを真似て造られている車を見たとき、人は何を思うでしょう?


    「そのまんま、マネとるやん」



    光岡のオロチを見たとき、人は何を思うでしょう?


    「ヤマタノオロチ、そのまんまやん」



    モチーフとなったものが簡単に判別できるラインに、ゴールはないのです。ヒントになった事象を、忠実に再現するだけでは足りないのです。消費者は、頭の片隅に「そのまんま」、「~~みたい」、「~~に似ている」といった印象を引きずる事となってしまうからです。

    同様に、「和」とか「畳」とか「有田焼」だとかいったものは、危険です。車のデザインに、「分かりやすさ」は求めない方が良いのです。表面的なものではなく、抽象的、精神的なものに対し、独自のフィルターを掛け、昇華させる事が求められるのです。その点において、車は「テーマパーク」とは違っています。

    「名車」。あるいは、「旧車」として愛されている車は、それらの条件をクリアーしています。

    BMWミニも、その条件をクリアーしています。だからこそ、BMWミニを購入したユーザーの心には、「引きずるもの」が無いのです。



    そしてユーザーは、「最高のプレゼント」を手にするのです。



    それは、心の奥底では、誰もが追い求めているのに、ほとんどの人が、その存在にすら、気付いていないもの。その存在があるからこそ、満足感と幸福感に貢献するもの。




    それが、


    「精神的自由」です。

    2008.11.12 22:55 URL | 武車小路 #Gdj0RfQE [ 編集 ]

    パクリデザインを擁護するつもりはありませんが、「そのまんま」とか「昇華させる」とか私はそんな事どうでも良いのです。美しさと実用性(見切りの良さ、視界の作り方など)のバランスが良ければ、心をガッチリ掴まれてそんな事私はどうでも良くなります。武車小路さんはそういうの気に入らないでしょうが。

    2008.11.12 23:51 URL | keso #- [ 編集 ]

    以前ベンツのデザインは中世の騎士をモチーフにしているとおっしゃってましたよね。確かに騎士の甲冑を彷彿とさせる堅牢な印象を受けました。日産においては初代フェアレディZでしょうか。日本刀をモチーフにしてその「切先」や「反り」を見事に表現していますしスポーツカーならではの走りの「キレ味」、加速の「鋭さ」などをきちんと主張できた車だと思います。ムラーノに至っては元々国内販売を想定していなかった車種なので仕方ないと言えばそうなのかもしれませんが、自分が言いたいのは日産は日本人的な美意識を表現できるメーカーなのに海外の工芸品をモチーフにした点にちょっとがっかりしたという事でした。ちなみに武者小路さんが「何かをモチーフにする事は危険」とおっしゃられる理由はどんな事例があるのでしょうか?
    (本題からズレますが、自分もミニは好きです。ミニのジョン・クーパー・ワークスは所有みたい車の一つです(笑))

    2008.11.13 00:59 URL | H #- [ 編集 ]

    追申になります。
    自分は有田焼の器に描かれた模様をそのままトレースしてほしいという意味でコメントた訳ではありません。【有田焼とか日本独自の工芸品が持つ伝統美を表現してもいいのではないか】とコメントしました。別に有田焼でなくても工芸品でなくてもいいのですが、日本「らしさ」を表現してほしいという事です。伝統美を例に挙げるならば、日本の旧車が培ってきた美しさを現代にも受け継ぐ。という形でも構いません。日本人の手先からしか生み出せない【線】を描いて欲しいという意味です。
    ムラーノという車を世に送り出すにあたり、海外の特定の島にしか存在しない工芸品に目を付けた事に不思議でならないのと、それなのになぜ宇宙船になったのか?という疑問が入り混じり、結局何を主張したい車なのかよく分からない点が少々残念でした。スポーティな走りを売りにしているようですが、ムラーノガラス工芸とスポーツは何の共通項もありませんし。。。

    2008.11.13 02:32 URL | H #- [ 編集 ]

    Hさんは、スーツ店でどんなビジネス・スーツを求めますか?

    おそらくそれは、着用した時、心地良い素材からできていて、自分の身体的特徴に合っていて、現代的スタンダードなシルエットで、誰からも「センスがある」と思われる「生地パターン」から成り立つのではないですか?

    その時、求めているものは、「日本的デザイン」ではないはずです。和柄である必要は全くありません。むしろ、そういうものは求めません。ただ、日本のビジネス・シーンに合うように、デザイナーは、細かい部分で工夫をこらしてくれているはずです。

    日本的デザインと言えば、日本刀。その存在感は、他を圧倒しています。「日本刀」は、なぜ美しいのでしょう?

    日本刀の反った放物曲線。刃の厚み。断面形状。先端部分の角度。柄の握り部分の凹凸。あれらは全て、しかるべき理由があって、ああなっているはずです。機能美を追求していった結果、必然的に美しい形になった。そういうものでしょう。

    車の場合も、機能美を追求した結果、必然的に美しいデザインになった。そういうのが、一番説得力があります。

    つまり、合理的パッケージングから導かれるベースラインに、空力的要素が加味され、視認性や安全面に関係する必要装備が最適な位置に配置されるとともに、訴求するターゲット層が魅力的と感じるキャラクター付けがなされ、全体として美的な調和がとれている。

    そういうデザインであれば、誰もが受け入れるはずです。

    ただ、機能美だけを追求すると、どのデザインも画一的になってしまう可能性があります。そこで、消費者の多種のニーズに応えるべく、キャラクター付けの部分に工夫をこらすことでバリエーションを増やそうと、企業は努力します。

    例えば、携帯電話。デザインをファンデーションケースに似せることで、女性に訴求しようとした携帯電話があります。こういうデザインは、整合性があるように思われます。なぜなら、ファンデーションケース自体が、可愛いさ、美しさを追求したデザインとして既に完成されているからです。そして、二つ折り、軽量、コンパクトといったファンデーションケースの特徴が、携帯電話に親和性があるからです。

    しかし、ただ「見た目が美しいから」という理由で、関係ないプロダクト・デザインを持ってこられた場合、必然性を感じにくくなります。

    例えば、日本刀の切れ味を表現するために、ヘッドランプの形状を「日本刀」の曲線に似せてみました。そう言われた場合、もうひとつピンときません。ヘッドランプの意匠は、機能美を追及することを主眼にデザインして欲しいし、日本刀の切れ味を表現するのは、「走り」の方だけで結構。そう思ったりもするわけです。

    また、そこに「ヤマタノオロチ」を持ってこられた場合は、「学芸会」的なノリを感じざるを得ません。斬新で、破天荒で、日本的で良いと思う人もいるかもしれませんが、万人受けはしないはずです。

    ただ、それが空力面を追及していったら、スペースシャトルのような形になってしまった。それが、ヤマタノオロチにも似ていた。そういう話であれば、受け入れ易くはなります。

    そもそも、日本車メーカーの「日本的な部分」は、モノ造りの部分で、既に十分発揮されているのではないかと思ったりもします。それは、カユイところにまで手が届くキメ細やかな気配りであったり、真面目さ故の、信頼性の高い品質管理といった部分です。

    エクステリア・デザインも、既に十分日本的であるように感じています。おそらく、日本人デザイナーの「カッコいいものリスト」に、「刀」はストックされているはずです。しかし、騎士の甲冑(かっちゅう)は、リストに入っていないのです。そういうものが積み重なって、各国のデザイナーの国民性が発揮されるものでしょう。

    この間話したメルセデスの件は、言葉が足りなくて申し分けなかったと思います。私が言いたかったのは、デザイナーが意識しようが意識しまいが、国籍や、育ってきた環境の違いが、美意識やセンス、象徴、憧れなどとして、現れるという事です。それを、「メルセデスのデザインは、甲冑をモチーフに造られている」とまで拡大解釈してしまうと、間違いになるかと思います。

    そもそも、私が良いと思う車のデザインは、「整合性」や「センス」、「さりげなさ」が感じられるものです。そのことを実現するために、特段「日本的」である必要はありません。そして、多くの消費者も、「意識的な日本」は望んでいないように思います。

    でも、日本的なネーミングは、割と好きです。スズキの二輪車「KATANA」のネーミングには反応しましたし、外国人にもアピールするものだったと思います。語感も良いですし。

    ただ、由来から、何から、全てに整合性を求めようとしてしまうと、選択の幅が狭まって、自動車メーカーの人達も大変だと思います。結果的に、お役所的な仕上がりになってしまう気もします。

    まあ、結論としては、「意識的な日本的美」を表現するのに適しているのは、外装じゃないように思います。でも、内装の方だったら、色々工夫できるのかもしれません。

    2008.11.15 03:03 URL | 武車小路 #jWi.Vmgo [ 編集 ]

    内装?
    外見しか気にしないんでしょ?
    特に前からしか。
    武車小路さんは矛盾しまくってて意味がわからないです。
    デザインだから別に名前がどうこうではなく見た目でしょ?
    ブランドを気にしてるようじゃ、そこらへんの日本人とまったく変わりありませんね。
    あなたのイタリアの友達が聞いたらなんというでしょうね…

    2008.11.15 12:26 URL | T #- [ 編集 ]

    私が日本車のデザインに不満を持つのは、そこに「日本的美」がないからではありません。美的バランスが、崩れているからです。

    そもそも「日本的美」は、日本車メーカーが過去に何度も、モーターショーなどで挑戦してきたテーマです。しかし、大抵は企画倒れに終わってしまうのです。だから、この問題を解決するのは、「日本的美」ではないのです。

    必要なのは「美」そのものです。

    イタリアの友人が言いたかった事も、「美そのものを創り出せ」と言う事です。

    ネーミングの件は、主題からは少し逸れます。しかし、Hさんとの話の流れ上、日産ムラーノを弁護するために触れただけです。

    今の日本車メーカーに、ネーミングの由来から、デザインの整合性、デザインの仕上がり、内装、外装、リアビュー、全てを求めるのは「酷」というものです。

    2008.11.16 00:31 URL | 武車小路 #I2hs61BA [ 編集 ]

    確かに歴史を遡れば自動車は日本の産物ではありませんでした。武者小路さんが例えとして用いられていたスーツで何となく判った気がします。車はスーツであって着物や浴衣では無いのかもしれませんね。ただ昨今の日本の自動車メーカーが「ヨーロピアンテイスト」だとか「アメリカンテイスト」とかデザイン面で他国に憧れすぎてるというか背伸びして近付こうとしてる傾向が強いと感じる所があるので少し愚痴っぽくなってしまいました。。。ちょっと反省です。
    自分も一つ気になるのですが(Kesoさんも気にされている点ですが)武者小路さんのこのブログでの車の評価基準は、構造、内装、外装、コンセプト等、全て評価対象とされていますか?外観デザインのみの評価だけかと認識ていましたが、間違ってたらごめんなさい。外観のみでしたら今後の自分のコメントも外観のみに絞ったものにしようと思いますし、評価基準を広げてられるようでしたらそれに合わせてコメントしたいと思います。

    2008.11.16 04:04 URL | H #- [ 編集 ]

    車の外観は、入口であり、出口です。

    消費者は、外観を入口として、その車に興味を持ち、それから内装や動力性能などを深く知ろうとします。しかし、最終的に、外観が気に入らなければ、購入するまでには至りません。それ以前に、外観が気に入らなければ、検討の入口にさえ、立つ事ができません。それほどまでに、外観は重要な要素です。

    しかし、自動車評論家は、スポンサーとの良好な関係を持続する必要があるので、外観について多くを語りません。「主観」を通して、「客観」を語るのが自動車評論家の役割だから、主観的な領域には強く踏み込めません。だから、「好みの問題」として片付けるしかないのです。その発言を、真に受けている人も多いことでしょう。

    しかし、デザインは、「好み」という「感性」の問題だけではないのです。主として「能力」の問題です。それは同時に、受け手の「能力」の問題でもあるのです。

    その「やさしい嘘」が、日本車のデザインの発達を妨げているのです。だから、この問題を放置することはできないのです。

    今、主に扱っている題材は、「外装のデザイン」です。それは、消費者に車を購入してもらうための、「入口誘導」のフェーズを、早急に改善する必要があるからです。

    しかし、それはあくまで、入口までの話です。そこから先には、もっと深刻な問題が待ち受けているのです。

    だから、外装のデザインだけに、とらわれるつもりはありません。

    消費者に車の購入を思いとどまらせる全ての要素。それらを炙り出す事が、時代の急務なのです。

    2008.11.16 21:56 URL | 武車小路 #pEmknEdU [ 編集 ]

    武車小路さんがいいデザインだと思う外国車、日本車、またその理由を教えてください。

    2008.12.23 01:28 URL | ああああ #wLMIWoss [ 編集 ]

    車が売れなくなったのは、自動車文化の成熟という一言で片がつくようなことです。
    昔もひどい車なんかいくらでもあったよね。
    それでもそれなりに売れていた。
    今は車なんかステイタスでもないし、より面白いことがいっぱいあるんだから。
    当たり前の話なんだよ。

    世の中は自動車に対して必要以上に興味を持つ沿うなど少数でしかないのに、そういう人に受けないからといって自動車メーカーのせいにするなんて噴飯モノでしかない。

    2008.12.26 00:44 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    武車小路さんが毛嫌いするカローラは、日本車らしい日本車”価格、燃費、積載量・・・”を”デザイン”していると思うのですが、どのようなカローラが好きですか?

    2008.12.31 17:35 URL | ああああ #YrGnQh/o [ 編集 ]

    カローラの最大の問題点。

    それは、消費者の「車に対する興味」を失わせる点にあると思っています。

    カローラに乗った人々は、「車とはこういうもんか」と、思ってしまうのです。

    すなわち、カローラが売れれば売れるだけ、結果的にマーケットは縮小するのです。

    それだけではありません。

    外国車メーカーを駆逐し、豊かな生活を送っていた他国の人々を、生活苦に陥れるのです。

    その結果、日本人は何を手に入れたのか?



    物質だけの豊かさ

    枯渇感が漂う日常

    幸福感に乏しい社会



    それが、日本人の現実ではないですか?


    日本人は、過去数十年に渡って、「不幸」を輸出してきたのです。





    わずかばかりの「見返り」を得たいがために。

    2009.01.23 22:18 URL | 武車小路 #O8ZtqE5c [ 編集 ]

    >外国車メーカーを駆逐し、豊かな生活を送っていた他国の人々を、生活苦に陥れるのです。


    この意味が分かりません。
    カローラをはじめ日本車は世界各国で生産され、すなわち雇用で生活を支える結果ともなっていますが?
    もはやそんな単純な時代ではありませんよ。


    世の中は「車に対する興味」でまわっているわけではありません。
    私も車は好きですが、車に興味など無くても人は幸せになれると普通に思っていますし、それが正常人の考えでしょう。
    あまりにもおかしな誇大妄想が過ぎる印象に見えます。
    「車に対する興味」があろうがなかろうが、どうでも良いことです。

    私は「車に対する興味」がなくなるのは時代の流れの必然と捉え、それはある意味人類の幸福でもあると思いますね。
    カローラ犯人説にはおかしさしか感じません。

    2009.01.24 12:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    abcd様の仰るように「時代の流れ」だけでは説明はつかないと思います。
    時代は皆で作っていくものですよ。これからの若い人も今を生き、未来を作っていくんです。
    カローラ全盛の時代をメーカーが作ったからこそ、今の時代になったのです。
    メーカーの役割はニーズと提案、そして生産へと繋がります。
    しかし、ニーズは、大雑把な言い方ですけど、メーカーと消費者の駆け引きです。
    メーカーの提案はもちろん、メーカー主導になりますね。主導の方が勿論し易いし、資本主義である以上、メーカーに利益が出来る限りあるほうがメーカー自身にとって良いわけです。
    「時代の流れ」では説明はつかないと思います。
    車の不満がありながら、それに慣れさせながら、その車を選ぶしか道はなくなります。みんな妥協しながら、自分に言い聞かせているのです。
    「これが私にとって一番良い車だ。わーい!」
    だって選択肢がないもの。チューニング、ドレスアップでもするか。(一部の購買層)
    そして、一番ではないがそれに近いまあまあな車が超大ヒット。

    しかし、突然、不満は個々に吹き出します。でも、その不満に耐えきれず、無関心に傾いて行きます。そういう時代に流れるのではなく、メーカーが作ったことです。(メーカーの悪気は勿論無く、結果論です。)他のメーカーも競売で割高だし、外車は関税掛けられ、高いしね。中古じゃ頼りないし、癖あるし、パーツ交換に余計に金掛かるし。庶民はそんな感じです。今ある現実はメーカーのプレゼンテーションの結果と言えます。時代の荒波の中、ニーズの実現は更に求められます。日本のドライバーの満足の為に。「幸福!」と感じるその日まで。不況の中大変だとは思いますが、一番大事なのは消費者ですよ。騙さないでね。

    (投稿場所を間違えたとのことでしたので、管理人権限で場所移動しました)

    2009.05.20 01:20 URL | 通りがかりの幽霊 #- [ 編集 ]

    >2009.05.20 01:20 URL | 通りがかりの幽霊


    他人に対しても、自分のような車に対する興味があると思ってるのが根本的な勘違いなんですよね。
    カローラに不満があるというのはあなたであって、他の人のことではありません
    カローラ全盛? カローラが販売台数の王座になって何十年経つんでしょうか。
    その間、多くの人が自動車に興味があった黄金期は確実に存在しました。
    むしろ逆に、カローラが王座を脅かされている状況は過去ではなく現在に存在します。

    現在の選択肢が無くなった背景には、選択が無くて困る消費者に比べて、その選択肢が必要の無い消費者層が圧倒的多数で持って存在しているでしょう。


    それはそうと、外車に関税がかかってましたか?

    2009.05.20 02:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    abcdさん

    なるほど。そういう事だったんですね。
    私の勉強不足で誤解をしていました。
    私の価値観が中心で、変な話をしてしまいました。

    外車って関税が掛けられてるから高いって思ってるんですけど、違いましたかね?

    2009.05.22 02:16 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    日本における輸入車の関税は0%です。
    よって外国車が高い理由とはなり得ません。

    2009.05.22 22:10 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    abcdさん

    教えて頂き、ありがとうございました。

    2009.05.22 23:03 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    奇抜なデザインのクルマ=いかがなものか?
    という評論も一理だけど、そもそも北米向け車両なんでしょ?
    ターゲットが日本じゃないんだから、「日本人消費者」には合わなくても無理ないんじゃないでしょうか?

    自分はムラーノのデザインは好きなんでそうも思いませんし、
    ましてや「宇宙船」だなんて、写真を見た見た目で評価しません。

    奇抜すぎのデザインのクルマは、消費者をあきれさせ、購買意欲を削ぎ、
    そもそも「宇宙船」ライクのデザインに意味すら見いだしていない!
    とする評論は、偏りがありすぎると思いませんか?みなさん。
    そんな偏った見方をする消費者ばかりではありません。
    文中の言い切った、決めつけた感ばりばりの言い方。自分の尺度でしか判断しない評価。
    これは皆に公開するものではありません。
    自分の日記帳に書いてください。

    そして、きっと、
    日本車が奇抜なデザインのクルマを出すと、ネガティブイメージ。
    でも外車が奇抜なデザインのクルマを出すと、すばらしく洗練されている!と
    評論するんでしょ?

    私は筆者を、そう決めつけてあげます。

    2010.05.09 10:43 URL | とうりすがりのユーザー #MvjGisRU [ 編集 ]

    とうりすがりのユーザーさん

    私もそう思います。

    そしてコメントしているほぼ全ての人がそう思っているようです。

    私はまだ2,3のエントリー程度しか読んでいませんが、コメントのやりとりを読んでいると、可笑しすぎて笑えてしまいます。

    CR-Zが傑作でした
    ・写真だけで評価することの是非への反論
    ・本来はミニバンよりも5人乗りの方が日本人に適しているという主張
    とか

    100%間違ったことを100%正しいかのように語ってます。

    でも、何度もコメントしているうちに以前自分で主張していたことの反対を言っていたりもするので、わざとふざけてるのかもしれませんね。

    そしてことごとく議論に負けているんですが、論点をずらして全く関係ない主張を繰り替えしてます。

    2010.05.10 17:46 URL | ZEKE #- [ 編集 ]

    CR-Zのところで4月中旬にも書き込みましたが、私もとうりすがりのユーザーさんやZEKEさんに賛同です。

    クルマやそのデザイン、またその佇まいに格別の思い入れがあるのは重々分かりますが、どうしてこれほどまでにいろいろなコメントしてくれる人びとがいるにもかかわらず、次のタイミングなどで「ああ、なるほど、そうだったのか、そういう考え方もあるんですね!」というような潔さが全く運営者に見受けられないのか、と残念に思う次第です。

    何方からか何か異なった見解をコメントされてもまっすぐに向き合おうとされません。
    ときにテキストリンクを貼付して客観性を担保されようともしていますが、異なった見解に対してはしばしば日本語の「あや」や独特(奇妙)な「言い回し」、唐突な「比喩」などで回避してしまっているように見えます。
    が、しかしながらここを定期的に見ている人々、そしてここに書こうとは至っていないそのほかの人々の中には、決して運営者が上手に「回避」しているとは思っていない人も少なくないのではと思います。

    再三申してすみませんが、もっと潔く、さくさくと、かつ丁寧に、コメントされる方々へ向き合われたほうが、結果的にこのブログも長持ちし、また影響力も増加すると私は思います。

    2010.05.11 21:15 URL | izumi #- [ 編集 ]

    北米には「4億の人口」と「車社会」と「旺盛な購買意欲」が存在しています。

    だから、「競合ひしめく日本の500万台市場」より、「北米の1000万台市場」を狙った方が合理的。

    そう考えた「カルロス・ゴーン体制」以降の日産は、「アメリカン・スタンダード」の信奉者へと変貌を遂げました。結果、日本の消費者は、「北米マーケット」の「お下がり」をあてがわれるようになってしまったのです。だから、GTRも、スカイラインも、フェアレディZも、日本人には遠い存在となってしまった。

    この状況は、容認できるものではありません。


    「アメリカ人のお下がりは要らない。日本に住む日本人を満足させる、日本人向けの商品が欲しい。アメリカに占領され、フランスに統治されるのは、まっぴら御免だ」

    ハッキリ、そう主張する必要があります。


    「人口過密問題と環境問題がクローズアップされる社会において、最大公約数の人々の利益となる車は、アメリカ人向けの車ではない。日本人を真に満足させる車だ」


    そのように、日本人が日本人にとっての利益を主張することは、「善」なのです。その声をあげなければ、日本人は、更なる不遇を強いられてしまう。


    「チャイニーズ・スタンダード」


    今後は、その脅威にも立ち向かわなければならないのです。その意味において、「中国マーケット」は、日本の消費者にとって「強力なライバル」でもある。


    その「危機意識」を持った上で、日本人が求める「理想の自動車像」を発信すること。



    それは、「絶対的善」なのです。

    2010.05.12 00:14 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    欧州車には、「デザイン上の個性」が存在します。その個性が、各自の趣味趣向に合わない場合もあるかもしれません。それでも、「個性」は、尊重する必要があります。その個性に敬意を表することは大事なことです。

    しかし、「稚拙」であることは、個性の一部ではない。

    人々を落胆させ、「車自体」に愛想をつかせる元凶となりうる「絶対悪」です。

    2010.05.12 00:18 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >結果、日本の消費者は、「北米マーケット」の「お下がり」をあてがわれるようになってしまったのです。だから、GTRも、スカイラインも、フェアレディZも、日本人には遠い存在となってしまった。
    この状況は、 容認できるものではありません。


    GTRという記号が存在の生き残りをかけた場合、北米市場抜きで考えられないポルシェやフェラーリ同様の国際戦略を取るのは悪いことではありません。

    第一、フェアレディZはもともとが北米市場生まれです。


    一言で言って、日本人がスカイラインやフェアレディZという車名に憧れていた時代はとうに終わりました。
    現在の状況は他ならぬ一般日本人の意識変化が根底にあるのであり、それを無視して「容認できるものではありません」などと現実逃避しカルロスゴーンに責任転嫁するのはいかがなものでしょうか。
    権利を主張するのは良いですが、古い自分個人の基準でしかないものを「絶対的善」と強引に設定するのでは、「日本人が求める「理想の自動車像」」から遠ざかるばかりではないでしょうか。

    2010.05.12 03:51 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    izumi さんのコメントを読まれていないのでしょうか…?

    アメリカ人のお下がりは要らないとのことですが、ムラーノは当初国内販売の予定がなかったことはご存知ですよね?

    国内での販売を望む声に答えて登場したものを指してお下がりとは…。



    さて、コメント内容はこれ以上語るまでもないことなのでこのへんにしておきますが、やはり日本語がおかしくて意味が分からない箇所が多々あります。

    >最大公約数の人々の
    なんの公約数ですか?

    >そのように、日本人が日本人にとっての利益を主張することは、「善」なのです。

    言葉足らず過ぎますよ。
    そのように、日本人が日本人にとっての利益を主張することは、●●●●ですから「善」なのです。
    と理由を述べなくては。izumi さんの指摘に加えて、このようなケースも非常に多いですね。
    「信号といえば赤なのです」的な、意味の通じない文章。

    しかもこんな利害関係の入り交じったことに対して「善」だけでは伝わりません。

    日本人にとっての「善」といいたいのでしょうが、そんな単純なことではないですしね。

    2010.05.12 13:41 URL | ZEKE #- [ 編集 ]

    ZEKEさんのおっしゃるとおりかと思います。

    運営者はこれまでしばしば多数の比喩や物語的導入文を駆使しながら持論を展開されていると思います。

    でも残念ながら最後に、肝腎の結論の直前にどういうわけかいきなりショートカットして、「だからこうなのです」とワケのわからないことになってしまう傾向が多いとも思います。
    まるで木に竹を接いだような感触です。

    持論がおありなのは当然でしょうし、それをあの手この手でブログで展開されたいのでしょうが、どうしてそう言い切れるのかをはっきり示す必要が都度あるのではないかと思っています。

    例えばですが、もし運営者が「日本人には・・・・・・というような固有の特性があると思われ、そのために再びかつてのような、あるいは新しい・・・といった要素をも含んだクルマの登場が待たれるところだ」などと書かれるのであれば、少しは読み手も納得されるかもしれませんが。

    そして、まさにここがこのブログの大きな存在意義なのでは?

    運営者がかねがね思い続けてきている理想の車のありかたについて。

    個々車種別に展開されるのとはまた別個に、なにか総合的なテーマを掲げてみては、と思うところです。

    もし既にまとめて書かれてあるのでしたらお詫びします。

    2010.05.14 01:05 URL | izumi #- [ 編集 ]












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