日本車評価サイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自動車・評判・批評・評価テーマ: - ジャンル:
--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

トヨタ「iQ」を試乗!

  • モータージャーナリストの小川フミオさんに、強い雨が降りしきるなか、トヨタ「iQ」を試乗してもらった(2008年10月30日)[BPtv]
  • メディアから広告引き上げ トヨタ奥田氏「報復宣言」
  • 報道内容を理由にCM撤退をチラつかせた形だが、トヨタの年間広告費は1054億円で、国内企業では最大(2008/11/13)[J-CAST]
  • 「ブレーキとアクセルを踏み間違えたことで、事故発生」

    この手の事故は、国内で毎日20件ほど、発生している そうです。

    こういう事故を防ぐために、ブレーキペダルとアクセルペダルのレイアウトに工夫をこらしたり、付加的デバイスを加えることは、効果のあることなのかもしれません。しかし、それらの試みも、根本的な解決策にはならないでしょう。

    なぜなら、事故の根本原因は、「不注意」にあるからです。

    では、その不注意は、どこからきているのか?

    実のところ、私はマニュアル車に乗っています。MT車に乗っていると、よく勘違いされます。

    「車の運転、好きなんでしょう?」

    もちろん、運転中に、シフトチェンジを行うことは楽しいことです。

    コーナーの入口手前。ブレーキペダルを踏んで減速。

    同時にアクセル・コントロールを行い、エンジンの回転数を狙った領域に留め、クラッチを踏み込む。

    シフトレバーを操作し、クラッチをつないで、駆動輪に動力を伝える時、車体はエンジンブレーキが効いた抑制的な状態で、コーナーの入口に突入。

    適切な回転域に留められたエンジンは、アクセルペダルからの指令に瞬時に反応し、その余裕のあるパワーを、路面に伝える。

    トルクの盛り上がりを右足に感じながら、アクセルペダルをさらに踏む。車速の伸び方が穏やかになり、限界が近づいたと感じた時、またクラッチペダルに足をかける・・・

    この愉しみは、オートマ車では味わえません。しかし、私がマニュアル車を選ぶメインの理由は、実は他のところにあります。

    運転中、左足にクラッチペダルを踏む動作を与えることで、右脳に絶えず刺激を送るのです。シフトレバーを操作することで、運転している事を左手に「リアライズ」させるのです。その事で、五感は研ぎ澄まされ、脳から発せられる両手、両足への指令も、より的確なものとなるのです。

    一方、自動車のAT化は、安全運転に寄与しません。自由を手にした左手は、飲食の欲求に負け、タバコを口に運ぶ動作を選び、そして、恋人の手を握りたいという誘惑の前に、抗う術を知らないのです。

    では、ドライバーのその「余裕」は、どこから生まれているのか?

    彼らは、車の運転が安全なものだと勘違いしているのです。毎年、1万人位の方々が、交通事故で亡くなっている現実を、すっかり忘れているのです。

    だから、以前マツダがデミオのテレビCMで行っていた、消費者を安易に車の世界に導く勧誘活動には、感心しません。

    友人と電話で話す限り、死亡事故に会う確率は0%です。しかし、車に乗って友人に会いに行く場合、その死亡確率は、最大で0.01%まで跳ね上がるのです。その意味において自動車は、家電製品の延長線上にはありません。自動車は、スイッチひとつで目的地まで到達できる、安全な乗り物ではないのです。

    そして、年間1万人もの尊い命が失われているという、極めて重大な現実を受け止めるとき、自動車メーカーは、消費者を啓蒙する活動を積極的に行っていく必要があるという、至極当然の結論に至ります。また、そういう活動がなければ、自動車メーカーに勤務する人々も、自責の念を晴らす事ができない。そういうものでしょう。

    だからトヨタも、「広告を引き上げる」などと言うくらいなら、テレビCMで、積極的な啓蒙活動を行うべきなのです。

    「日本では、自動車事故によって、毎年一万人もの尊い命が失われています。私達は、このような痛ましい事故が起きる事を防ぐため、これからもより一層、安全な車両開発に尽力致します。ドライバーの皆様も、毎日の安全運転を御心掛け下さい。トヨタ自動車」

    こういうテレビCMを放映すれば、トヨタの企業イメージは向上します。そして、ドライバーの安全意識も高まります。

    しかし、交通事故は、自分が事故を引き起こすものとは限りません。もらい事故。多重事故。これらは、いくら自分が注意していても、避けきれない場合があります。

    だから私は、軽自動車に乗る事を好みません。ボディが小さい事は、安全性の面で明らかに不利です。それなのに、その軽自動車よりも、更に全長が短いiQ なんて・・・

    まあ、欧州において、スマート、iQのような超コンパクトカーのニーズがある事は理解できるのです。ヨーロッパでは、駐車スペースが不足しています。縦列駐車を行う際に、コンパクトカーであれば、駐車できるケースがあります。しかも、全長3m以下であれば、税金面での優遇措置が受けられるとか?

    しかし、都内には、無料の駐車スペースがありません。有料駐車スペースは、どこも白線で区画が区切られています。つまり、車の全長が短いから、なんとか駐車することができた。そんなケースはないのです。土地の有り余っている地方の場合は、尚更です。だから、全長が短い事によって得られるメリットはなく、安全面でのデメリットが強調されるばかりなのです。

    トヨタiQ しかも、iQには、欧州モデルには設定のある「MT」が、現在ラインナップされていないのです。という事は、日本においてiQは、全く意味をなさない。経済的なコンパクトカーを求めるなら、日本の交通事情に最適化されていて、熟成されていて、安価に購入できて、税金の安い「軽自動車」で、十分なのではないか?

    そんな事を考えていたら、今年のグッドデザイン大賞の模様が、テレビで放映されていました。

    なんでも、最近のグッドデザイン大賞の選考は、プレゼンテーションで使われる「映像作品の出来」に拠る所が大きいそうです。だから、プレゼンのために莫大な予算を注ぎ込み、良い映像作品を作ることに成功した企業の製品が、賞を獲得するのだそうです。

    「グッドデザイン大賞を狙うための映像制作に、1ヶ月を費やしました」

    トヨタのiQ担当者も、そう語っていました。

    どうやら、グッドデザイン大賞は、「グッド・プレゼン大賞」へと変わってしまったようです。

    確かに、iQのプレゼンテーションに使われていた映像は、面白いものでした。一台分の駐車スペースに、2台のiQを駐車させるというものです。

    しかし、そんな風に駐車する事ができたとしても、駐車場から脱出することは不可能です。そして、それは逆説的に、iQが使い道の無い乗り物である事を物語っているのです。そんな方法でしか、iQの良さをアピールする術はないということなのです。

    私は、使命感を感じました。グッドデザイン大賞を受賞したiQを、批判せねば。そのためには、かっこいいのか、不細工なのか、いまいち判断がつかないiQの実車を、ぜひこの目で確かめねばならない。

    気が付くと、私の足はトヨタのショールームへと向かっていました。

    しかし、実際、iQと対面した時、その考えに修正を加えざるを得なかったのです。

    まず目に飛び込んできたのは、iQに装着されている、大径タイヤでした。意味もなく大きなタイヤを履いている車や、インチアップされた車は、私の好みではありません。大径タイヤや大径ホイールは、乗り心地や燃費面で、悪影響を及ぼす場合があります。しかも、大径タイヤは、決まって値段が高いのです。

    しかし、iQに備わる大径タイヤは、パンチが効いていて、とても良く思えたのです。これは、iQの全長が極端に短いことで、タイヤの存在感が際立って見える結果によるものでしょう。

    そして、フロントの表情。今、ホンダが、「ライフ」の「笑顔」を売っています。しかし、私に言わせれば、あんなのは全然かわいくない。複雑な面構成から導かれる、iQの微妙な表情の方が、断然、今風で良いのです。

    次に、運転席に乗り込んでみました。内装のデザインと運転席のレイアウトは、何ら問題ありません。車幅は普通自動車サイズですから、窮屈さを感じることもありません。

    しかし、問題は、後部座席にありました。運転席側よりも広いという、助手席側の後部座席に座ってみたところ、天井にもろに頭がぶつかってしまったのです。しかも、後ろを振り返ると、後部座席とバックドアとの間には、漫画雑誌一冊分の厚みしか、スペースがないのです。

    したがって、「大人3名+子供1名」。この表現は、事実に則していません。仮に4人が、iQに乗車することに成功したとしても、荷物は、膝の上に置く事となってしまうのです。

    だから、「大人2名+ラゲッジスペース」。この表現が、iQの現実に、より近いでしょう。

    まあ、子供が巣立っていった熟年カップルが乗る分には、洒落ていて良いのかもしれません。「トヨタ的サエナイ感」も、ないですし。あとは、全長の短い車庫が備わる戸建用ですね。その場合も、二人乗り限定となります。いくら安全装備が備わるとは言え、iQの後部座席に長時間人を乗せるのは、精神衛生上、好ましくありません。

    結論としてiQは、日本向きではありません。「プレミアム」というのも、ちょっと疑問。しかし、iQは「かわいい」。外観は、バッチリです。

    超コンパクトなディメンジョンから導かれる動力性能も、魅力的な「乗り味」である事を想像させます。

    したがってiQは、「あり」でしょう。

    しかし、私にとってiQは、マイナス・イメージを引きずる存在である事も、事実です。

    iQを見る度に、思い出してしまうのです。




    後部座席での屈辱を。







    「東洋人体型」である事実を。




    ・・・トヨタiQのスタイリング。あなたはどう思われますか?投票に参加して、iQのデザインを評価して下さい。

    選択肢を選んでから投票ボタンをクリック、訂正・複数回投票はできません)

    無料アクセス解析


    自動車・評判・批評・評価テーマ:トヨタ(TOYOTA) - ジャンル:車・バイク
    2008.11.22 | トヨタ | トラックバック(0) | コメント(84) |

    自分はインプレッサ(TA-GDA)のMT車に乗ってます。購入対象として検討した項目の1つに「安全性」は欠かせませんでした。衝突安全性は勿論のこと、走る、曲がる、止まるの基本性能が充分であるか否かを重要視しました。今でも「走りを極めれば安全になる」というスバルの思想に共感しています。MTであるという条件も大事ですよね。武者小路さんのおっしゃる通り、運転に集中できます。IQは、デザインは気に入っていますが特に背後から衝突された祭に後席の安全が確保できるのか疑問に思ってしまいました。

    2008.11.24 04:37 URL | H #- [ 編集 ]

    iQって他のマイクロカーよりもタイヤがやたらデカく見えてタイヤそのものがウザく感じる。可愛いくも感じないし、カッコいいとも思えない。個人的感想です。

    ご近所さんが1台分ガレージにムーブとドマーニ(この車覚えてますか?)を縦に連ねて入れています。だからムーブのボンネットだけ路上に突き出しています。私の町は軽四は車庫証明がいりません(とは言っても殆どの人が軽四を敷地内に納めていますが)。一台分のスペースに2台入れる必要がある人にiQはピッタリなのでしょう。

    2008.11.26 04:22 URL | keso #- [ 編集 ]

    なるほど。1台分の自宅ガレージに車2台を格納。確かに、そういうニーズはありそうですね。

    普段乗るのは、一人か二人。

    レアなケースに備えて、不要な乗員スペースを確保するのは、資源の無駄。多人数で乗る必要性が生まれた場合は、レンタカーを借りれば良い。そう考えれば、iQは合理的で、良い選択なのかもしれません。



    TA-GDAインプレッサ。一つ前の型ですね。私も、丸目のSTiを運転させてもらった事があります。

    最大トルク40kg級のターボエンジンから生み出される、中回転域からのすさまじい加速感は、やみつきになりました。

    加えて、乗り心地、実用性もバッチリ。

    値段も適価。



    インプレッサ、最高っすね。



    ハメを外し過ぎないよう、安全運転でどうぞ。

    2008.11.29 09:04 URL | 武車小路 #Kzmg/dZ2 [ 編集 ]

    http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g41116b12j.pdf

    経済産業省の2002年のデータによると、自動車のAT比率は、日本が約95%、西欧が約20%ということです。

    日本とアメリカのAT比率の高さが突出していることはよく言われることですが、ここでもう一つ注目すべきことがあります。

    それは、1982年時点での日本のAT比率は、約35%に過ぎなかった点。

    中古市場に、MT車の良い玉が無ければ、初心者がMT車を選択する機会は無くなります。そうなると、車に「ドライビング・プレジャー」を求める層は減少し、車は単なる物理的移動手段に成り下がります。経済的な損得だけで天秤に掛けられるようになった車の売れ筋は、軽自動車など、価格の安いものへとシフトします。

    そうなると、せいぜい「高級」や「プレミアム」で付加価値をつけるしかなくなります。結果、マーケット全体に魅力がなくなり、若い人にとって車は、更に遠い世界の存在となってしまうのです。

    このように、経営効率を求めて、MT車の設定をなくすことは、マーケット全体に対して悪影響を及ぼします。日本市場におけるAT比率の推移と、車を買わない層が増えた事は、無関係ではないのです。だから、例えMTの販売比率が1%を割ろうとも、採算割れを起こそうとも、MT車は造り続ける必要があるのです。

    そして、「エコ」や「低燃費」を売りにする車であれば尚のこそ、「MT」の設定は必須なのです。

    2008.12.02 21:13 URL | 武車小路 #vpbdG.4E [ 編集 ]

    実は俺はMT車の運転をするのは大して好きではありません。助手席から後部座席から見るのは楽しいのです。しかし、その考えは18歳になりたてのとある日、見事に打ち砕かれてしまいました。でも俺はMT車はいろいろメリットがある、そして素晴らしい先人達が持つドラテクへの憧れがあるのでMTを積極的に操りたいと思います。

    iQ、日本市場では大失敗が確定的になってしまった様です。欧州ではどうなることやら。

    2008.12.23 04:29 URL | keso #- [ 編集 ]

    ATがチャチで高かった昔の時代を引き合いに出しても何の意味も無いよ。
    率直にいって、一部の自動車マニアがどんな願望(妄想)を持とうが、AT化の流れは逆行するわけはないし、そしてその流れは正しいのだから仕方が無い。
    世の中のほとんどあらゆるものは自動化や簡略化のレールに乗って動いており、自動車が例外である必要は全く無い。

    「ドライビング・プレジャー」などもともと誰も求めていないものに幻想を抱いても仕方が無い。

    2008.12.23 12:36 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「日本の常識」は、「世界の非常識」。

    「アメリカン・スタンダード」は、「世界のスタンダード」ではない。

    日本のAT普及率の例は、その典型ではないでしょうか?


    世の中を見渡すと、WiiやDSなどの「ゲーム」が売れています。カメラも、コンパクトデジタルカメラより操作が難しい、一眼レフ・デジタルカメラの人気が高まっています。腕時計の世界でも、ロレックスなどの機械式時計が、淘汰されずに生き残っています。

    結局、手足を使って機械を操作し、高度に使いこなすという行為は、人間の本能的な「喜び」に貢献するのです。ユーザーに「操作する機会を与える事」は、製造メーカーにとって価値のある「商行為」なのです。

    自動車メーカーは、もっとその事に気づかなければなりません。

    だから、MT車でありながら、シフトダウン時に自動的に「ブリッピング」を行う装置。日産フェアレディZ34の6段MTに装備される「シンクロレブコントロール機構」などは、愚の骨頂です。



    また、「ドライビング・プレジャーなど、誰も求めていない」と言ってしまうのは、明らかに言い過ぎです。

    イタリア旅行でもしてみて下さい。

    車の運転自体に「愉しみ」を求める層は、確かに存在するのです。



    彼らは、どこかのジャングルの奥地でたまに目撃されるという、「旧石器時代の原人」ではないのです。

    2008.12.23 21:06 URL | 武車小路 #gzX0vId2 [ 編集 ]

    >世の中を見渡すと、WiiやDSなどの「ゲーム」が売れています。カメラも、コンパクトデジタルカメラより操作が難しい、一眼レフ・デジタルカメラの人気が高まっています。腕時計の世界でも、ロレックスなどの機械式時計が、淘汰されずに生き残っています。

    >結局、手足を使って機械を操作し、高度に使いこなすという行為は、人間の本能的な「喜び」に貢献するのです。ユーザーに「操作する機会を与える事」は、製造メーカーにとって価値のある「商行為」なのです。




    WiiやDS、一眼レフデジカメ、ロレックスを持っている自分の周囲の人間に、「機械を操作」する「喜び」が所有の理由となっているか聞いて見たいものです。

    ロレックスはファッションブランドでしょうし、一眼レフは性能で買っていますし、ゲームはゲーム内容を楽しんでるのであって、ゲーム機の機械操作自体が楽しみなはずはないでしょう?

    コレクターなど特殊な趣味人は別の理由かもしれませんが、そういう人だけを相手にしてもビジネスとしてはかなり難しいでしょうなあ。


    “ドライブが趣味”などという言葉が聞かれた時代はとっくに過ぎ去り、現代の日本におけるドライブは“労働”です。
    簡略化は、楽をしたいという人間の本能的な「喜び」に貢献している。
    そういうことですよ。



    >イタリア旅行でもしてみて下さい。


    文化的な合理性などの表れでもあり、MTだから「ドライビング・プレジャー」というのも自動車オタクの空想だと思いますね。
    寧ろ、そのような娯楽より、生活に密着した道具感を感じますが。

    欧州でもAT比率は上がることはあっても下がることはないでしょうねえ。

    今時の若者なんかは車の所有自体におっくうな重みを感じているのだから、ATもMTもへったくれもない。

    2008.12.26 00:35 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    自転車の後部座席に子供を乗せている主婦をつかまえて、問いかけたとします。

    「これは、労働ですか?」

    彼女は、こう答えるでしょう。


    「はい、労働です」


    「では、この自転車に、電動アシストが付いたら嬉しいですか?」


    「はい、大変助かります」


    次に、電動アシスト付き自転車に乗る人をつかまえてインタビューしたとします。

    「これは労働ですか?」


    彼は、答えるでしょう。

    「はい、労働です」


    今度は、競技用自転車にまたがる人にインタビューしたとします。

    「これは、労働ですか?」


    「いいえ、労働ではありません。自転車に乗ることは、とても楽しいことです。良い運動にもなりますよ」


    最後に、ハーレーダビットソンにまたがる人に突撃取材したとします。

    「これは、労働ですか?」


    「労働なもんですか。これは、愉しみです。生きがいです。いや、人生そのものです」




    「ママちゃり」然としたアピアランスに、電動アシスト式の余計な装備。

    それが、今マーケットに存在する車の実態ではないでしょうか?

    これでは、車を購入する人が、年配の方に限られてしまうのは当たり前です。そんな車でありながら、若者に購入してもらえると思う方が間違っています。

    車に余計な電子デバイスを加えることは、車を運転する事が「労働」であることを「加速」させるのです。

    そのお節介な電子デバイスが存在することが、車の重量増を招き、車を鈍重な存在へと落とししめ、車の運転に本来備わる「愉しさ」を奪うのです。





    また、「ゲーム機」の人気に普遍性があるのは、

    「自分の分身を、手足を使い操作する事で、意のままに操り、目的を達成させることが愉しいから」

    だと、私は考えています。

    しかし、ゲーム機は、所詮「バーチャル」。



    リアル世界の「自動車の運転の愉しさ」に、敵うはずがありません。

    2008.12.27 19:31 URL | 武車小路 #ONDqBFac [ 編集 ]

    ハーレーダビットソンなんてマニア物件出してどうしたいんですか?


    もうね、いまどきの若者がレーサーバイクよりビックスクーターにサンダル履きで乗ってるライフスタイルみれば、どういうことかわかるでしょうに。

    バイクでツーリングなんか若い奴はやらないんですよ。 疲れるから。
    実際にやっている人に聞いてみてくださいよ、どういう年零層なのかを。 

    楽なことは善なんですよ。

    2008.12.27 22:02 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    一般的に言って、自動車に乗る人よりも、二輪車に乗る人の方が、「運転の愉しさ」を求めている傾向があるように思います。

    ただ、私の場合は、純粋に実用性を求めて「二輪車」を購入したことがあります。目的地に「徒歩+電車+バス」で通い続けるよりも、400CCバイクを利用することで得られる時間、コスト、自由度のパフォーマンスが優れているように思われたのです。

    実際、バイクは、経済性に優れる乗り物でした。そこには「愉しさ」も、スリルも、「活動性」もありました。

    しかしその運転も、一時間、いや、三十分を超えた辺りから、「苦痛」へと変わるのです。

    シフトチェンジを行う際に酷使される「左足の甲」が、悲鳴をあげ出すのです。そして、クラッチを握る左手が、だんだん辛くなってくるのです。

    その点、知り合いが乗る「ハーレー」は、シフトチェンジ方式が「踏み込み式」であるが故に、足の甲が痛くなる問題は起きませんでした。そんなハーレーを、羨ましく思ったりもしました。

    だから、私にとって二輪車に乗ることは、「苦痛」であり、「労働」でもありました。

    しかし、この問題は、解決可能なのです。そんな事で、「二輪車の愉しさ」が否定されるべきではありません。

    そして、この解決方法が、ATの「ビッグスクーター」である必要もないのです。






    「楽なことが善」なのではありません。




    「苦痛を取り除く事が善」なのです。

    2008.12.27 23:48 URL | 武車小路 #Zs1EVPZY [ 編集 ]

    >だから、私にとって二輪車に乗ることは、「苦痛」であり、「労働」でもありました。
    >しかし、この問題は、解決可能なのです。そんな事で、「二輪車の愉しさ」が否定されるべきではありません。


    「私にとって」という個人的体験から来るあなたの「問題」は分かりました。
    ところで、あなたにとっての「問題」や「苦痛」のようなことが存在していても昔の若者はバイクに憧れたり乗ったりしていましたが、現在はそうではないということは理解してもらえました?

    貴方の個人的問題は世相と全く無関係です。

    2008.12.28 01:07 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「苦痛を取り除く事が善」というなら電子デバイスはあった方が良いんじゃないですか?

    手足を使って意のままに操るのは、目的を達成する為の手段に過ぎないのではないですか?

    電動アシスト自転車に乗る人を競技用自転車に乗せるのは苦痛を増やすだけではないですか?

    二輪車に乗る人には駐車スペースに困らないから、維持費が軽いから、狭い道も走れるから、小回りが利くから、渋滞のすり抜けが出来るから、いざという時は歩道を押しながら歩けるからという人もかなり多いではないですか。

    ロレックスを買うのは持つのは機械式だからではなく高級ブランドだからでしょう。

    カメラマニア以外で一眼レフデジカメを買う人々は機能を優先しているだけでしょう。

    WiiやDSはゲームに挑戦し続ける為の道具でしかないでしょう。

    2008.12.30 02:56 URL | keso #- [ 編集 ]

    先日、親戚の女の子が、自動車の運転免許を取得しました。

    AT限定普通免許にはせず、あえて「普通免許」にしたのだと、嬉しそうに話してくれました。

    その子の兄も、「えらいね」と、賞賛していました。家には、AT車しかないというのに・・・



    AT全盛の日本の車社会。

    自動車教習所において、「AT限定普通免許」が選択される割合も、日本のAT普及率の推移に伴って、90%オーバー。

    そう思ったとしたら、大間違い。

    平成15年のデータによれば、新規免許取得者のAT限定の比率は28.7%で、免許保有者全体に対するAT限定の比率は7.5%だそうです。

    http://q.hatena.ne.jp/1133965971

    (女学生に限っては、新規運転免許取得者の「AT限定」の比率が80%前後とする別データもあり)

    「AT限定」で、大抵はまかなえるはずなのに、なぜ彼らは、そんな無駄なことをするのでしょうか?このデータは、一体何を意味するのでしょうか?


    「大は小を兼ねる」

    「どうせとるなら」

    「社用車で、マニュアル車を運転せざるを得ない場面が出てくるかもしれない」



    それらの理由は、もちろん当たっています。

    しかし私は、それ以外の理由を、屈託なく笑う彼女の澄んだ瞳の中に見るのです。

    彼(女)らは、「マニュアル・ミッション」という語感の中に、何か楽しそうな雰囲気を感じとっているのです。これまでの人生経験のなかで、最も難易度の高い「操作」を習得することに、「憧れ」ているのです。「マニュアル・ミッション」を巧みに操る事が、人生の「ミッション・コンプリート」には欠かせない。そんな予感がしているのです。

    だから、自動車メーカーは、その「期待」に応える必要があるのです。


    ああ、それなのに。



    「困難」を、「楽」によって解決することは、「容易い」のです。

    しかし、「楽」な状況を作り出すことは、同時に「楽しい」ことを奪う危険性をも内包するのです。


    ただ私は、「全自動式洗濯機よりも、二層式洗濯機が優れている」などと言うつもりはありません。洗濯機においては、間違いなく全自動式洗濯機を選びます。二層式洗濯機を選択することは考えられません。

    では、「洗濯機」と「自動車」とでは、一体何が違うのか?




    自動車もゲーム機も腕時計も一眼レフ式カメラも、心体と「同一化」するアイテムなのです。物理的、あるいは精神的に「移動」を伴い、苦楽の時間を共に過ごす事で、精神的な結びつきが深まる「ギア」なのです。

    それが、洗濯機と「それ以外」とを分かつ、極めて重要なポイントです。



    だから、自動車を「洗濯機」と同一視してはならないのです。

    2009.01.05 19:36 URL | 武車小路 #2KIDrwuk [ 編集 ]

    今度は「親戚の女の子」ですか。


    ならばこちらも、普通免許を持つ若い女性がいますが、彼女が普通免許を獲った理由はこれまた普通に仕事の為です。
    複数の車種またはよその車に乗る可能性もありAT限定だからMT車に乗れませんでは仕事にならないんですよ。

    こんな自分の周りの話をいくら語ったところで説得力などないんですよ。




    >彼(女)らは、「マニュアル・ミッション」という語感の中に、何か楽しそうな雰囲気を感じとっているのです。これまでの人生経験のなかで、最も難易度の高い「操作」を習得することに、「憧れ」ているのです。「マニュアル・ミッション」を巧みに操る事が、人生の「ミッション・コンプリート」には欠かせない。そんな予感がしているのです。


    私はテレパシーや過剰な妄想力などないので、彼(女)らの頭の中をのぞく事は出来ないのであり、見れるものしか見れませんよ。
    目の前にあるのは、商品として主に求められ売られるのがMT車ではなくAT車が圧倒的だという事実です。
    あなたの脳内に映し出される空想は現実のものとして実体化していないのです。




    >だから、自動車を「洗濯機」と同一視してはならないのです。



    残念ながら、一部のカテゴリを除き自動車が白物家電化していることは自動車関係者やマスコミでも普通に語られており、この方向性が加速することに殆ど疑問の余地はありません。
    「同一視してはならない」といくら言ったところで、世の中はそう動いているのであり、自動車が内燃機関から開放されればさらにそうなるでしょう。

    2009.01.05 21:01 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    夏休みに、山間部へ旅行をしました。

    「この村には、オートマ車じゃ、住めないよ。起伏の激しいここの県道は、MT車にかぎるね」

    70歳に迫ろうかという村の主は、オートマ車に乗る私の親戚に、威厳に満ちた表情で、そう語りかけてきました。


    ここで我々が注意しなければならないのは、MT車は、「楽チン性能」以外の経済性、燃費性能、エコロジー性能など、あらゆる面で、AT車に対し、優位性を持つ事です。

    ところが、

    「お客様、今はみなさん、AT車をお求めになられていますよ。AT車が、後々お徳ですよ」

    自動車ディーラーの営業マンにそう言われてしまえば、日本の従順な消費者は、納得してしまうのです。カタログで「すごそうな事」を書かれれば、「そりゃ、たまげた技術だ」と思ってしまうのです。

    自動車メーカーの本音としては、AT車を売りたいのです。付加価値を付けることで、車両価格を高くすることも可能だからです。

    しかし、自動車メーカーの口車に乗せられてはならないのです。「変人」呼ばわりされるかもしれない恐怖に打ち克たなければならないのです。




    「自動車の白物家電化」に関しては、3つの陣営があると言えるでしょう。

    一つ目は、自動車メーカー。彼らは、自動車の白物家電化を、強力に推し進めています。その事がユーザー利益につながり、その事をユーザーも喜んでくれているはずだ。その事は、自社の利益につながり、その延長線上にこそ、自動車の明るい未来がある。そう信じて疑いません。

    二つ目が、自動車ユーザー。彼らは、新技術を、盲目的に信じる傾向があります。そして、自分の利益だけを見つめています。また、彼らの選択した結果が、彼らの意思を正確に表しているとは限りません。

    三つ目が、自動車評論家。彼らは、立場上、中立的です。ただ、古きよき時代を、懐古主義的に懐かしんだりはします。

    対して私は、自動車マーケット全体を見ています。自動車メーカーが、自動車を洗濯機と捉え、自動洗濯機に近づけようとする行為は、自動車の魅力を半減させる自殺行為だ。その事は将来的に、消費者のためにも、自動車メーカーのためにもならない。その事が、日本経済を衰退させる。そんな危機感を感じているから、意見を発信しています。



    ただ勘違いして欲しくないのは、私はマイノリティ側に立つ、偏った主張を展開しているわけではないのです。

    世界の価値基準に照らし合わせれば、車がMTなのは、当たり前。ATは、あくまで二番目のオプション。極平凡で、月並みなことを言っているに過ぎません。

    まあ、「リーマン・ショック」によって始まった世界同時不況は、自動車業界の「アメリカ式偏重型思考」を改める良い機会なのかもしれません。

    2009.01.06 01:34 URL | 武車小路 #QV.bz.VE [ 編集 ]

    >自動車ディーラーの営業マンにそう言われてしまえば、日本の従順な消費者は、納得してしまうのです。カタログで「すごそうな事」を書かれれば、「そりゃ、たまげた技術だ」と思ってしまうのです。



    とりあえず、あなたはちまたの消費者を馬鹿にすることを止めることから始めてはどうでしょうか。
    あなたの好みや価値観とは別の視点を一般消費者が持っているからといって、それは自分の必要性や嗜好に対して「従順」なだけですから。



    >自動車メーカーの本音としては、AT車を売りたいのです。付加価値を付けることで、車両価格を高くすることも可能だからです。


    メーカーもビジネスですから付加価値を付け利益を出したいのは当然でしょうね。 
    ところで、日本では今どきATなんかは全然当たり前であり、取り立てて「付加価値」のうちに入りません。
    むしろ付けないと売れないのであり、全自動洗濯機の“全自動”が付加価値などというものでないのと同じです。
    それがメーカーの陰謀などという安直な論調は自動車マニアの単なる現実逃避でしかありません。



    >だから、自動車メーカーの口車に乗せられてはならないのです。「変人」呼ばわりされるかもしれない恐怖に打ち克たなければならないのです。



    普通の人間にとってたかが車を買うのに、そのような「恐怖」と戦うほどの必要性がどこにあるのでしょうか?
    MTを選ぶから変人なのではなく、そのような戦いを挑んでいる人生観の持ち主こそがまさに「変人」といえるでしょう。
    一般人にとってMT車が多少安くなるからといって、それを理由にして選ぶほどの価値にはなりえませんし、それがメーカーの「口車」に乗せられることであっても全く構わないのです。







    >対して私は、自動車マーケット全体を見ています。



    あなたがこれまで書いてきたような自分のバイク乗り体験、個人的人間関係の材料の抽出である「親戚の女の子」「村の主」などを材料にして語られても、「マーケット全体を見ています」とは全然思えません。
    はっきり言って、どうでも良いような事をあなたは書いています。



    >自動車メーカーが、自動車を洗濯機と捉え、自動洗濯機に近づけようとする行為は、自動車の魅力を半減させる自殺行為だ。その事は将来的に、消費者のためにも、自動車メーカーのためにもならない。その事が、日本経済を衰退させる。そんな危機感を感じているから、意見を発信しています。


    「危機感」ならメーカーのほうが余程現実に即したものを持っているでしょう。
    そしてそれが世の中の規定路線であり逆らえないことも認識しているはず。
    あなたの言う「自動車の明るい未来」などという能天気なものを持てるはずはありませんよ。
    「自動車の魅力」で売ってきたメーカーであろうフェラーリ、でデザイナーをしていた奥山清行さんなどは、将来の車は現在のウィンドウズPCみたいなものになるよなことを書いていましたし、ことによってはパーソナルコンピューターどころかパーソナルの“マイカー”という概念すら変貌するのでではないかと私は思っています。
    そういうことですよ。


    >ただ勘違いして欲しくないのは、私は偏った主張をしているわけではないのです。


    かなり偏っていると思いますね。
    訳のわからない「世界基準」など出されても日本の消費者にとって全く無意味でしょう。
    我々は日本の交通事情や文化の中に生きているのであり、乱暴に言えばそんなものは知ったことではありません。
    自動車という商品がエレクトロニクスの塊になり内燃機関がなくなるかもという「世界基準」のご時世というのに、MTがどうとかいう話など全く大勢に対して影響力などもちえません。

    2009.01.06 03:11 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    ロレックスは高級ブランドだから...などの指摘はどこへ言ったのですか?

    どうしても自転車を楽しいと思わない人にとって自転車に乗る事は電動アシストが付いていようがいまいが労働である事に変わりは無い。

    私事ですがMT車に乗る大きな理由は性能重視。楽しいからではありません。

    2009.01.06 03:53 URL | keso #- [ 編集 ]

    上の方に「憧れ」もMT車選択の理由だと書いたのに忘れていました。でも「憧れ」は「楽しさ」とは違うだろうし、性能重視に比べたらちょっとした理由に過ぎないです。

    2009.01.06 05:17 URL | keso #- [ 編集 ]

    久しぶりに覗きにきました。
    正月早々くだらなん話を書いてますな。

    あいかわらずですね…。

    MTとATの話なんざ車雑誌が何十年もやりあってきたことでしょう。
    そんな話を今更あんたが提言するような書き
    方はやめなさいな。

    ヨーロッパでAT比率が低かったのは、AT性能
    が今ひとつだった頃の話でしょ。
    国内でMT乗りがマイノリティ?
    あったりめぇでしょ。わざわざMT選ぶ人は少ないに決まってるわ。
    「世界の価値基準」だって?なんじゃそれ?
    普通のサラリーマンが家族で使用することを
    前提に選択する1台にATが選ばれるのは当然じゃろ。
    国内の道路事情を考慮してもMTを選択しづらいこともあんだろうよ。
    オレもMTは好きだけど、選べない事情もあん
    のよ。
    2台も3台ももてるような環境ならば、とっておきの1台も選べるさ。

    ”究極の1台”が選択できない人でも趣味性
    を放棄したわけじゃないんだよ。
    たとえば、MTをあきらめる代わりに自分の
    好きなデザインの車にこだわるとか、せめて
    色だけは…とか、選択肢を絞られながらも
    ”好み”を残そうとする人もいるんだよ。

    なんかお前さんの書き方はムカつくわ。



    2009.01.06 12:35 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

    自動車というものが、使用者にとっての存在性、社会における位置付けなどにおいて、昔とかなり変化している事実を素直に受け止める必要があるでしょう。
    そしてそれは逆行などしないのですよ。
    それに不満や不安を表す少数派がいるのも変化に伴うおなじみの光景であり、そしてそれらに構わず世界は新しいステージに移行していくというのもまた他の過去に存在したパターンの繰り返しに過ぎない事です。

    自動車という商品の家電化へ向かう動きは世界的なもので他国の各メーカもしのぎを削っており、それに乗れないのでは日本がどうなるか。
    単品商品の車が売れないどころではない、なかなか深刻な問題となるでしょうね。

    2009.01.07 02:59 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「労働と忍耐、あなたは、どちらを選びますか?」


    この問いかけに対して、あなたはどう反応するでしょうか。


    「労働にはネガティブなイメージが付きまとう。忍耐は、もっと辛そう。どちらかを選べと言われても・・・」


    実は、自動車メーカーは、消費者に対して、この問いかけを行っているのです。

    「白物家電車」、「労働補助ギア」、「愛されない車」、「乗って楽しくないことを是とする車」。それらの路線を、ひた走るファミリーカー。

    一方、値段が高く、実用性の低いスポーツカー。買うのは忍耐。乗るのも忍耐。同乗するのも忍耐。維持するのも忍耐。見た目も忍耐。

    この状況で、消費者は、どちらを選択しますか?




    どちらも、買う気になれないはずです。


    だから、購入しないのです。車が売れないのです。



    「モノが売れない時代」は、「転換が迫られている時代」です。

    経済危機、賃金格差、時代背景、市場の飽和、他ジャンルの競合製品。それらによって車が売れなくなっている事は事実ですが、商品が売れなくなる背景には、商品自体にクリティカルな問題が潜む事を意味するのです。

    そして、自動車業界が今の路線をそのまま続けていても、この未曾有の危機から立ち直る事ができない事は明らかです。だから、そこにイノベーションが必要となるのです。

    その時、「売れている商品」だけから、「売れている理由」を学ぼうとすると、間違った結論が導き出されます。実は、そこにこそ、自動車業界が進むべき進路を誤った「分岐路」が存在するのです。

    「売れている車」の背後には何がありますか?

    そこには、「車を買わなくなった消費者」が存在しています。「車を買う人」の消費行動から、消費者の趣向やトレンドを分析し、現在の自動車メーカーの企業活動を肯定してみても、「車を買わなっくなった消費者」を振り向かせる事はできません。彼らの存在を無視し、彼らから買ってもらうことを諦めた「怠惰な姿勢」を正す必要があるのです。


    では、どうしたら彼らは振り向くのか?


    従来型の車ではダメなのです。

    「従来型の車」とは、「アナログ的」な「旧型車」を指し示すわけではありません。

    むしろ、自動車の「白物家電化」を目指す、「進歩的ユートピア思想家」が創り出してきた「新しい車」のことです。昭和の時代の科学者が空想した、「未来の車」です。「デジタル的ネガ」が肥大した、「退屈な車」のことです。

    実は、「AT or MT」という問題は、今、自動車メーカーが直面している問題を、象徴的に表しています。


    日本の消費者がATを選択する理由は、主として「必然性」から導かれるものです。別にATが「好き」という訳ではないけれど、AT以外の選択肢も、また考えられない。

    あるいは、テレビに、おまけとして「リモコン式変速機」がついてくるがごとく、当たり前の事としてATを選択している。

    だから、

    「このATは、最高のフィーリングで、惚れ惚れする。だから、私はこの車を購入した」

    そんなことを言う人は、滅多にいないのです。「多段式AT」や、「最新式CVT」、「セミオートマ」、「パドル式シフト」。それらの宣伝文句に惹き付けられる人はいるかもしれませんが。

    もっとも、「今の消費者は、車に楽しみなど求めていない」とするならば、変速機に特段、色気を出す必要はありません。だから、自動車メーカーも、それらの技術が生み出す「ドライビング・プレジャー」の領域には、大して注力しないのでしょう。

    一方のMT。そこには、MTユニットの個々の出来映え、完成度に惚れこんで、その車を購入する人が、数多く存在します。


    つまり、「MTが大好き」という人はいるけれど、「ATが大好き」という人は存在しない。


    ただ、日本の消費者がMTを選択できない、明確な理由が存在する事も事実です。大渋滞時に、MTの運転は辛い。MT車を購入したとして、うちの奥さんは、上手く乗りこなせるか?怖い思いをしたりしないか?

    結局、現在のMTは、「商品として未完成」なのです。同様に、ATも未完成です。Aを立てれば、Bが立たない。1を選択すれば、2で得られるメリットが100%失われる。

    この問題を解決しないまま、消費者に「AT or MT」という理不尽な二者択一を迫っているのです。だから、消費者に逃げられるのです。

    では、どうすれば、この問題は解決されるのか?


    変速機の改良を行えば良いのです。消費者は、何も「あきらめる」必要はありません。「妥協」しなければならない必然性はどこにも存在しないのです。自動車メーカーの優秀な開発能力が、まだそこに注がれていないだけなのです。

    しかし、「セミAT」では、この問題は解決不可能です。

    そうなると、残る選択肢は、ただ一つ。





    MTから、MT固有の「苦痛を取り除く事」




    それが、「車を買わない消費者」からの提言です。



    2009.01.07 21:43 URL | 武車小路 #tkMcKK6w [ 編集 ]

    >経済危機、賃金格差、時代背景、市場の飽和、他ジャンルの競合製品。それらによって車が売れなくなっている事は事実ですが、商品が売れなくなる背景には、商品自体にクリティカルな問題が潜む事を意味するのです。



    「クリティカルな問題」など本質ではありません。
    言うなれば従来の車という商品存在そのものが一種の終わりを迎えようとしているのです。
    そういう大きな流れを認められない自動車マニアの類が「クリティカルな問題」にすり替えてメーカーに矛先をむけているだけです。
    そして非建設的なつまらないメーカー陰謀論でお茶を濁すだけです。


    >もっとも、「今の消費者は、車に楽しみなど求めていない」とするならば、変速機に特段、色気を出す必要はありません。だから、自動車メーカーも、それらの技術が生み出す「ドライビング・プレジャー」の領域には、大して注力しないのでしょう。


    まったくそのとおりです。
    「ドライビング・プレジャー」なそ実際殆どの人が必要としておりません。



    >つまり、「MTが大好き」という人はいるけれど、「ATが大好き」という人は存在しない。



    なんに付け「大好き」である必要など全くありません。
    そもそも基本である“車が大好き”な人が大いに減少しているんですよ。
    これから今まで持っていた存在感が更に希薄化していくことになるのではないでしょうかね。、
    冷蔵庫や洗濯機を「大好き」などと表現する必要が無いのと同じです。
    MTっとATの比較など瑣末な問題に過ぎません。

    2009.01.07 23:05 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >変速機の改良を行えば良いのです。消費者は、何も「あきらめる」必要はありません。「妥協」しなければならない必然性はどこにも存在しないのです。


    特にここの部分が思考のギャップを感じますね。
    消費者は「あきらめ」ているわけではありません。
    MTに乗りたい人間が我慢してATに乗っているわけではないのですよ??
    MTが何をどうしようが、わざわざ“マニュアル”で操作したがる価値観などもともと無い人間が大勢いるということをあなたは理解すべきではないでしょうか。
    そしてあいかわらずMTを積極的に選ぶ理由が全く見えてきません。
    いったいいかなる理由ででしょうか。


    「ドライビングプレジャー」を求める層がMTを選ぶのと等価値に、私が言ってきた「楽なことは善」を求める層がATを選ぶ事例が存在するのを認めたらどうでしょうか。

    2009.01.07 23:35 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    大概ならあなたも気づきなさいよ。

    毎回毎回、必然性の無い枕と、枕に関連性が無く、”妄想の中の私”に結末する文末。

    私も含めた奇特な読者たちが嫌気を指してきていることに気づいてください。

    正直に申し上げますが、読みたくて読んでるんじゃないんですわ。
    誰でも彼でも文筆家の振りをして、訳のわからん無知な文章を書き連ねることが出来る世界に苦言を申し上げたく、ここに来てるんですわ。

    あんた、30歳前後でしょう?違うかな…


    2009.01.08 02:34 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

    日本の自動車ユーザーのセグメントをこう分けたとしましょう。

    【セグメントA】。現在、自家用車を所有しない人で、将来に渡って、車を購入する気が全く無い人。自動車メーカーが、いかなる素晴らしい車を開発したとしても、車を購入することは、ほぼ無い。

    【セグメントB-】。潜在購入顧客。市場に良い車が存在すれば、購入しても良いと考えている人。車に対する興味性はあまりない。車を購入するに際しての価値判断基準は、主として「実用性」と「経済性」。車を購入するのは、その必要性に迫られた時。

    【セグメントB+】。潜在購入顧客。市場に良い車が存在すれば、購入しても良いと考えている人。車への興味は高い。必要性に迫られず、購入する場合もありえる。

    【セグメントAT】。現在AT車を所有している人。日本においては圧倒的多数派。

    【セグメントMT】。現在MT車を所有している人。あえてMTを選択する理由は様々。


    問題は、車が「売れない局面」にあるという事です。どうすれば、この問題が解決されるかという事です。そして、消費者と自動車メーカーの利益が一致する着地点が、どこにあるかという事です。



    【セグメントA】の人に車を買ってもらうことは、現時点では、ほぼ不可能です。だから、ここでは考えない事にします。

    【セグメントB-】は、【セグメントAT】の予備軍です。彼らは、abcdさんが言うように、「楽なことは善」と考え、そのような価値判断で、車選びを行う人です。

    【セグメントB+】。車への興味性が高い潜在顧客が、少なくなってしまった事は事実です。しかし、それは、自動車が本質的に無価値な存在へと堕してしまった事を意味するわけではありません。これは、自動車メーカーの努力によって、挽回する事が可能です。その方法は、「運転の楽しさ」や、「車の魅力」によって解決を図る手法が有効である事は、今も昔も変わりません。

    【セグメントAT】の内訳は、実の所、様々です。「通りすがりさん」のように、MTを選べない事情があってATを選んでいる人もいるのです。

    それにしても、現在の自動車マーケットが、「通りすがりさん」が言うような、「好きなデザイン」とか、「せめて色だけは」という事でしか、自分の「好み」を反映できない状況なのだとするならば、多くの若者が、【セグメントA】に属してしまう事は必然だと言えるでしょう。

    そして、【セグメントAT】の人々が、現在自分が所有している車に満足しているかどうかは分かりませんが、ひとまず、車を買ってくれている人である事は事実です。そういう人に対して、私は「MTの方が優れているからMTを購入するべきだ」と主張しているわけではないのです。

    【セグメントMT】は、主として自動車への興味性の高い人々です。彼らが満足するような車を造り、彼らから「車の素晴らしさ」を語ってもらうことなくして、自動車マーケットの裾野の広がりは見込めません。


    総括的に言うと、【セグメントB+】と【セグメントMT】に受け入れられる車を造り出す事が、マーケットを増大させる近道です。

    その手段の一例が、「変速機の改良」です。しかし、その位では、マーケットが動かない事は、私も分かっています。もっと、本質的な部分に着手する必要があります。



    その方法に関しては、他の機会に述べる事にします。

    2009.01.08 03:03 URL | 武車小路 #Cek7Mwyc [ 編集 ]

    ダメですな…。
    私を含めた他の方が意見していることの意味を全く理解していない。

    基本的にここに集う人達は車が好きなんですよ。
    ATの利便性もMTならではの楽しみもわかっている。

    何故にあなたに対して反論を続けているのかという事を考えてはいかがですか?
    あなたの書いてきた文章から抜粋することはしませんが、MTを操る自分自身の優位性みたいなものを書いたり、行った事も無い外国での妄想や耳を食い千切られたという虚言に対して辟易しているんです。

    わかってますか? 大丈夫ですか?

    私も含めて皆さん誰もMTとATの優位性の話なんかしていませんよ。
    誰もあなたに車が売れなくなった現状の分析なんて頼んでないですよ。

    あなたの虚言と妄想に対して「いいかげんにしたらどうだ?」と忠告しているだけですよ
    話を変えて誤魔化そうとしないで下さい。

    ねぇ、ギザ耳さん。


    2009.01.08 11:49 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

    >問題は、車が「売れない局面」にあるという事です。どうすれば、この問題が解決されるかという事です。そして、消費者と自動車メーカーの利益が一致する着地点が、どこにあるかという事です。


    問題でもなんでもないので解決する必要など無いと思っています。
    どちらかというと車検ごとに新車を買い換えていたような昔の時代のほうが余程おかしいでしょう。
    現在の状態は、車文化が日本式の成熟をしただけですから。

    2009.01.08 20:06 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    他人に自分の好きな「ミュージシャン」を否定された時、誰もが強烈な拒否反応を示します。

    親、兄弟など、身内の悪口を言われた時も、不快な気分になります。子供なら、泣き出します。

    自分が「気に入って乗っている車」を否定されるのも、とても腹立たしいことです。



    そして、人が最も強烈な拒否反応を示すのは、「自己否定されている」と感じた時です。

    「自己否定」の領域には、その人が行ってきた企業活動や、現在その人が持つ能力、考え方、表現スタイル、そういったものが含まれます。


    私は、「否定」することが好きだから、「否定」を行っているわけではありません。

    否定せざるを得ない状況があるから、否定をしているのです。しかし、否定を行う事によって、不必要に誰かを傷つけたりしたくない。だから、表現方法を工夫することによって、「否定」が持つパワーをやわらげようとしているのです。




    「通りすがりさん」が言うように、このサイトで意見を発する方は、車が好きな人なのでしょう。あるいは、職業がら、車との関係性が深い方でしょう。

    問題は、車に関心がある人にとって、現在の車は、多かれ少なかれ、「不満な要素」に満ちている点です。

    ただ、何故それを不満に思うかは、実の所、よく分からない。

    現在の車のあり方を肯定し、それが「時代の定め」なのだと自己説得してみても、何か「納得しきれない部分」が残っている。その感情が、「もやもや感」として漂っている。何故、自動車メーカーは、それを解決してくれないのか。


    この問題は解決可能なのか?それとも、諦めるしかないのか?


    そういった事を考えるのが、このサイトです。そして、そのことを表現するのに最も適しているのが「ブログ」です。一つのテーマに対し、色々な人の意見が集まる事によって、それぞれの人の考えが深まる。

    中には、見当違いの意見も含まれているかもしれませんが、その考え方が生まれる思考プロセスや、意見の相違が生まれる過程を考察する事でも、多くを学べる。こういう事は、「雑誌」にはマネできません。

    そして、現在の自動車マーケットでは、「自動車メーカー」と「消費者」の心が離れてしまっている事が問題なのです。それが、自動車メーカーでは自己解決できないまでに開いてしまったのです。

    それは、時代が変わってしまったからです。そして、従来どおりの思考では解決できない領域が拡大している事に、彼らはまだ気づいていない。あるいは、諦めている。

    掲示板サイトにも、有益な情報はあるでしょうが、そこでは常に、信憑性の問題がつきまといます。悪意があって意見を発しているのか、善意からの発言なのかが、判別できない。

    一方、ブログでは、統一された一つの人格を見出す事ができます。コンテンツをくまなく見渡せば、それが悪意から生まれているものかどうなのかを、判別することが可能です。数年にも渡って、一つのテーマに対して意見を発信し続ける事も可能です。

    実のところ、それらは大変手間のかかる作業です。しかし、それでも意見を発信し続けようとするのには、その労力をかけても「伝えたい」と思う、何かがあるからなのでしょう。



    アマチュアやマニア、一般消費者が、自分専用のウェブサイトを作って、「消費者の考え」を述べることは、意義のあることなのです。

    2009.01.08 22:52 URL | 武車小路 #iBypdiyY [ 編集 ]

    あなたがあなたのWEBで何を書こうと、考えようとあなたの勝手ですよ。

    このサイトに立ち寄ったのも単なる偶然だったんですが、12月13日の書き込みが発端ですよ。私があなたに対して阿呆だなと感じ、考えを直してやろうと思ったのは…。

    いや、正確に言うと、12月13日の書き込みではないな。
    zのモデルチェンジに対しての意見はあなたと大して変わりは無い。
    私自身にとってはZは少なくとも欲しい車ではなくなった。
    それよりも、問題は12月17日のHさんに対してのあなたのレスが問題だ。

    何故、あなたは「いやぁ、すみませんでした。耳のエピソードは単なる作り話でした。もし、心配掛けたならお詫びします」と言わないのですか?

    あなたは話を逸らす事に躍起になっているようですが、きちんとけじめをつけませんか?

    あなたに対して一つ評価できる事があります。
    それはあなたに対してネガティブな意見も全て承認し、掲載していること。
    でもね、今回は私の投稿に対して話を逸らすのであれば、承認、掲載する必要は無いですよ。

    武車さん、人にとって一番辛い仕打ちは「否定」ではないですよ。
    一番辛い仕打ちは「無視」です。

    2009.01.08 23:33 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

    >否定せざるを得ない状況があるから、否定をしているのです。



    自分は何を否定しなければならないのか分からないです。
    現在の車が売れない状況は極めて自然であると思いますし、どうかするとむしろ健全ではないかと思っています。




    >問題は、車に関心がある人にとって、現在の車は、多かれ少なかれ、「不満な要素」に満ちている点です。


    それが果たしてどれほどの問題でしょうか。
    世の中の大多数の人(メーカーにとってのお客さん、社会経済を支える市民)は、車にマニアックな興味がさほど無い人で構成されているのです。
    「車に関心のある人」を必ずしも満足させる必然性があるかどうかは疑問がある場合もあります。
    私やあなたも含めて「車に関心がある人」は、そのことをわきまえて意見を吐くべきでしょう。
    「車に関心がある人」には「不満な要素」があっても、それがイコール社会全体にとってネガティブな要素となるとは限らないことです。



    >それは、時代が変わってしまったからです。そして、従来どおりの思考では解決できない領域が拡大している事に、彼らはまだ気づいていない。あるいは、諦めている。


    「諦めている」のはある意味正しいでしょうね。
    どうしようもない部分は諦め、可能な部分で最後の戦いをしているように見られます。
    「彼らはまだ気づいていない」というのは正しくないと思います。
    むしろ己の生存がかかっている分、かなり理解していると思いますよ。
    そんなグローバルで戦わなければならない彼らにとって、自動車マニアの趣味からくる警鐘がどれほどのものでしょうか。

    2009.01.08 23:36 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    オリンピアの湖のほとりに、お母さんウサギと、赤ちゃんウサギが住んでいました。

    ある日、お母さんウサギは、用事があって、出かける事になりました。赤ちゃんウサギには、家でじっとしているように言いきかせました。

    しかし、好奇心の強い赤ちゃんうさぎは、一人で遊びに出かけてしまいました。そこで、一匹のガラガラへびに出会いました。

    「いっひっひ、食べちゃうぞ」

    ガラガラヘビは、赤ちゃんウサギに飛び掛かりました。赤ちゃんウサギは、その攻撃を、すんでのところで、かわしました。そして、なんとか、逃げ出す事に成功しました。しかし、その耳はかじられ、ぎざぎざになってしまいました。

    それから、その赤ちゃんウサギは、「ギザ耳」と呼ばれるようになりました。


    これが、絵本の「ギザ耳うさぎ」の冒頭部分です。



    世界中で読み継がれてきたこの物語を、現代風にアレンジし直したのが、日本車評価サイト版「ギザ耳うさぎ」です。

    なぜ、この話をしたのかと言うと、日産フェアレディZ34型のギザギザのヘッドランプが、「かじられた耳」のように思えたからです。そして、家でおとなしくじっとしていれば良いものを、デザイナーは「まったく余計な事をしたもんだ」と思ったからです。

    そんなところで余計なリスクを負う必要はないし、何より、Zには素晴らしい「資産」があるのだから。

    ということで、最後に脱兎さん(DATSUN)を登場させ、ウサギ話でつなげた。

    だから、「決まった」と思いました。


    日本車評価サイト史上、「最高ランクのエントリー記事」に仕上がったと思ったのです。


    しかし、実際は、そうではありませんでした。


    そう思ったのは、私だけだったのです。



    まず、「Hさん」から、冒頭の耳を噛まれた件は実話ですか?と、ありました。

    実は、この時、ジョークで質問をしているのかな、と思ったのです。

    何故なら、エントリー記事の本文には、

    「これは、イソップ童話、「ギザ耳うさぎ」の冒頭部分です。」

    と、ハッキリ書いてあるからです。どこからどう読み返しても、作り話としか、解釈できないはずだからです。

    ところが、「ああああさん」からも、同様の質問がありました。しかし、文面は、「Hさん」が書いたものをコピーしたものでした。イタズラのようにも思えたので、コメントを「承認」するのを辞めようかとも思いました。コメントの真意は、私には分かりませんでした。

    その後、「Tさん」から、「最初の冒頭部分とZの関係性もわからないし」という指摘がありました。

    そして、

    「噛まれたという耳は本当ですか? zのデザインの話に全く関連性の無い話は何なのですか?」

    と、「通りすがりさん」からのコメントがあったところで、とうとう私も気づいたのです。



    「どうやら私が表現しようとした事は、読者に全然理解されていないようだ」




    ところが、ここで、もう一つの問題が発生しました。

    年末にかけて、コメントが集中したのです。ブログの管理に時間を費やせない状況も生まれました。そして、コメントを返せないまま正月休みに突入しました。年末から正月にかけての1週間は、PC自体に触れることができませんでした。

    正月明けに、早速コメントへの返答を再開しました。しかし、IQのレスが伸びました。熱い議論になりました。Zに関しても、色々書きたい事はあったのですが、IQを優先させました。

    すると、IQ以外の場所にコメントした人は、思うのです。


    「何だよ、まだ返答ないじゃんか。俺のコメントは無視かよ」

    「読者を大事にしないサイトだな」



    実は、これこそが、「誤解が生まれる構造」なのです。


    私は読者を大切にしたいと思っているのです。だから、コメントに対しては、他のサイトではありえないほどの長文で返しています。しかし、そうしたくても、できない場合があります。話の流れを優先するために、細かい質問には答えない場合もあります。

    そして、もっと、重要な事があります。

    私の視点からすれば、読者がZの「エントリー記事」を読んで、耳が噛まれた話を実話だと勘違いする可能性は0%なのです。今、読み返しても、文章に誤りはないように思えます。どう考えたって、勘違いされっこないのです。



    しかし、事実は違っているのです。

    その点、「実話かもしれない」と思った読者の方なら、「実話だと勘違いしてしまう」原因を、「的確に」指摘できるはずです。

    その指摘をするために要する時間は、1分です。



    しかし、私がその原因を探ろうとしたら、大変です。どこに問題があるのかは、実は、今もって分かっていません。ひょっとしたら、一生分からないのかもしれません。

    それは、私が「作者」だからです。私が「読者」になることは、「不可能」なのです。


    自動車メーカーの場合も同じなのです。


    自動車メーカーの人々は、本当の「消費者」になる事はできません。消費者には簡単に判別がつくことが、彼らには判別できないのです。だから、自動車メーカーが「完璧」だと思って世に送り出した車に対し、消費者から「ありえない」。「なんでそんな事も分からないの」という反応が生まれるケースが、頻繁に発生するのです。

    彼らはプロ意識が高くて優秀だから、大丈夫だろう。明日の我が身がかかっているから、消費者のニーズも当然吸い上げているだろう。マーケットインも、プロダクトアウトも彼らに任せておけば大丈夫だろう。そうではないのです。彼らが苦手とする領域が存在するのです。

    この問題は、「コミュニケーション」の問題なのです。それは、「アンケート用紙」に記入されたものを読み解くだけでは不十分です。ブログで対話するように、何度もやり取りをしなければ、本当に消費者が考えていることを理解する事は不可能なのです。

    自動車は、部品の数から言っても、普通の家電製品とは比べ物になりません。「自動車の白物家電化」と、半分冗談混じりに言いつつも、その開発に伴う「大変さ」は、「家電製品級」ではありません。そして、それらを、スピーディに処理していく事が求められます。



    だから、消費者にとって理想的な車を誕生させるためには、「消費者のあたたかいサポート」が必要となるのです。

    2009.01.10 05:51 URL | 武車小路 #A3kcZ3Qs [ 編集 ]

    あなたの製作した文とメーカーの送り出す車を同列にして語るのは少々奇抜なことのように思います。
    あえて話すとすると、それは自動車マニアのことになるのではないかと思います。

    あなたの文をもじって書けば


    一部の自動車マニアは、一般の「消費者」になる事はできません。
    一般消費者には簡単に判別つくことが、彼らには判別できないのです。


    こういうことになるでしょうか。

    消費者の意見にサポートされることを必要にするのは、メーカーよりも案外こういう人なのかもしれません。

    2009.01.10 11:26 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    私は言葉尻をとってあげつらうのは好きではないが、あなたはどうもわかっていないというか、認めるのが嫌な体質のようなので説明しますよ。

    >「どうやら私が表現しようとした事は、読者に全然理解されていないようだ」

    まずね、あなたが表現しようとした方法はみなさん理解していますよ。
    その表現方法が余りにも幼稚なので反論しているんですわ。

    >私の視点からすれば、読者がZの「エントリー記事」を読んで、耳が噛まれた話を実話だと勘違いする可能性は0%なのです。今、読み返しても、文章に誤りはないように思えます。どう考えたって、勘違いされっこないのです。

    ふーん。そう。じゃあHさんに対するレスの説明は?
    トラウマとして残るだどうの…っていうのはどうなの?
    Hさんが本当に勘違いしたか、あなたをおちょくっているのかは知りませんが、トラウマ云々というのは蛇足ですわな。

    >それは、私が「作者」だからです。私が「読者」になることは、「不可能」なのです。

    あなたの幼稚なところが良く出ているね。
    あなたの文章自体が「読み物」とするほどのものではないではないですか?
    私は「便所の落書き」に対して上塗りして遊んでるだけですよ。
    そんなに自分自身を「権威」があるようなものとして勘違いしないでください。

    >自動車メーカーの場合も同じなのです。

    なんであなたの幼稚な考え方がおかしいと、指摘している文面に対して別の大層、ご立派な話をしようとするのです?
    あなたが今まで逃げてきた方法そのものですね。

    まぁ、所詮ここはあなたの「便所」ですからね。何を書こうと思おうと自由ですわ。

    それから、私はもう「便所」を出ます。
    あまりにも長くいると「臭い」が染み付きそうですし、勘違いされそうですから。

    2009.01.10 13:02 URL | 通りすがり #- [ 編集 ]

    abcdさんの論調からすれば、「現在の消費者」は、車に対して、全く興味を持っていないかのようです。

    しかし、絶望的なまでに車に対する興味を失っているのは、前述した【セグメントA】の、「車を買わない人々」です。

    実際、自動車メーカーのショールームに行けば、商談の席で瞳を爛々と輝かせている人々が存在しています。彼らが求めているものが、より「実利的な事」にシフトしている事は事実ですが、奥さんは、車という「素晴らしい存在」がもたらしてくれる「家族の楽しい行楽」を思い描いています。旦那さんは、あわよくば「プラスアルファのモア・サムシング」を得て、「楽しみたい」と思っています。

    なぜなら、車に対して「興味」や「憧れ」を持つ事は、普遍的なものだからです。人類が大空を羽ばたいてみたいと思うがごとく、ごく普通の欲求なのです。その事は、乳児が「自動車のおもちゃ」に対して強い興味を示す事が、現代も変わっていないことからも推し量れます。

    また、その事は、ユーザー・レビュー・サイト等を覗く事でも分かります。「車への興味」や、「運転の楽しさ」とは関係ないジャンルの車でも、ユーザーは、それぞれの視点で、多くを語っています。そこには、まだ失われていない車への「興味」や「情熱」を見出す事ができます。車を語ることは、「変人」であることを意味するわけではないのです。

    しかし問題は、その興味を抱いた後に、その欲求を真に満足させてくれる車が市場に存在しない事にあります。市場に存在する車が楽しくないものであると認識した時、あるいは、運転が楽しくないものであると結論付けた時、車に対する興味は失われざるを得ません。

    そうなると、自動車メーカーは、「燃費」や「価格」などの、「楽しさ」とは無関係の、誰もが分かる要素で訴求するしかなくなります。すると、負のスパイラルが進行します。

    しかし、本当は、リッターカー以外の普通のセダンにも、スポーツカーにも、今売れている以上の潜在ニーズがあるのです。普通の自動車ユーザーには、叶えて欲しい願い事があるのです。そういう車が登場すれば、買っても良いと思っているのです。だから、自動車メーカーは、そのニーズを汲み取る努力を怠ってはなりません。


    コミュニケーションをとることは、労力を要します。面倒なことは、誰もが避けたいと思います。

    しかし、コミュニケーションがブレイクダウンした社会からは、誰もメリットを享受する事はできないのです。

    2009.01.10 20:57 URL | 武車小路 #MRV.8yPE [ 編集 ]

    >奥さんは、車という「素晴らしい存在」がもたらしてくれる「家族の楽しい行楽」を思い描いています。旦那さんは、あわよくば「プラスアルファのモア・サムシング」を得て、「楽しみたい」と思っています。なぜなら、車に対して「興味」や「憧れ」を持つ事は、普遍的なものだからです。



    同じようなことを再び書きますが、私は他人の思考を読み取るテレパシー力も過剰な妄想力もないので、たかが商談をしている風景を見たくらいで何も言及する気になれません。

    車が「家族の楽しい行楽」をもたらす為の“道具”であることがどうしたのでしょうか。
    「プラスアルファのモア・サムシング」って、何でしょうか。
    もしかしてミニバンで「ドライビング・プレジャー」でも「プラスアルファ」して車そのものを楽しむんでしょうか。
    あなたのいう「普遍的」なるものが全く見えてきません。




    >また、その事は、ユーザー・レビュー・サイト等を覗く事でも分かります。「車への興味」や、「運転の楽しさ」とは関係ないジャンルの車でも、ユーザーは、それぞれの視点で、多くを語っています。そこには、まだ失われていない車への「興味」や「情熱」を見出す事ができます。車を語ることは、「変人」であることを意味するわけではないのです。



    ユーザーレビューなどはあらゆるものに存在し、大体似たような構造をもちます。
    あなたが車と分けたいであろう家電の類でもあまり変わりませんし、 そこで語っても変人でもありませんよ。




    >しかし問題は、その興味を抱いた後に、その欲求を真に満足させてくれる車が市場に存在しない事にあります。市場に存在する車が楽しくないものであると認識した時、あるいは、運転が楽しくないものであると結論付けた時、車に対する興味は失われざるを得ません。
    そうなると、自動車メーカーは、「燃費」や「価格」などの、「楽しさ」とは無関係の、誰もが分かる要素で訴求するしかなくなります。すると、負のスパイラルが進行します。



    なにが「存在しない」のか知りませんが、「市場に存在しない」のだとしたら、それは消費者に求められていないからです。
    一部の例外的車種を除き、基本的に求められていない、売れないものを存在させても仕方ないでしょうね。


    これから、ますます車は一部カテゴリを除いて多くの人に車体サイズや装備オプション、価格、燃費などの、所謂「楽しさ」とは別のカタログ要素を見て決められていくことになるでしょう。
    パソコンやデジカメを選ぶ際にCPUや画素に目が行くのと変わりありません。
    車という商品の性質すらもそのようになっていくのは時代変化による必然であるので、仕方ないことです。


    メーカーの「コミュニケーション」は特別なものを除いた普通の自動車に関する限り、このような消費者と行われていき、自動車ファンやマニアはシャットアウトされるでしょう。

    2009.01.10 22:33 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    abcdさんの論調では、今の消費者が、試乗する事もなしに、車を購入しているかのようです。

    しかし、実際は、そうではありません。ある一定数以上の人々は、車に試乗して、その「体感性能」を確認してから、車を購入しています。

    それが意味するところは、「車体サイズ」や「装備オプション」、「価格」、「燃費」などの、カタログや営業マンから得られる情報や比較要素。あるいは、展示されている車に乗り込むことから得られる情報だけでは不足しているという事です。

    そして、そこで消費者が判断しようとしているのは、車の「乗り味」です。

    加速感や減速性能、ブレーキタッチ、操舵性、路面インフォメーション、乗り心地、ロール剛性。いつか自動車雑誌で読んだことのある、それらの表現を思い出しながら、誰もがいっぱしの「自動車評論家」になっているのです。

    なぜなら、これまで、「痛い目」に会った経験があるからです。

    車が思い通りに走ってくれないのであれば、運転は「ストレス」を感じるものとなってしまいます。反対に、ある一定レベル以上の基準を満たしてくれているのであれば、それが「快」ともなり得ます。だから、そういう基準を満たしてくれる車であれば、満足度が高くなります。

    もちろんそれらは、運転することを「趣味」とする人々が現存することを裏付ける材料とはなりません。

    しかし消費者は、低燃費車であるから、加速性能は「全く期待しない」と思っているわけではないし、アメ車だから、「ふわふわした乗り心地」で良いと思っているわけでもありません。車の運転を「楽しく」思わせてくれる、プラスアルファの性能が備わることを拒むべき理由は、どこにも存在しないのです。


    すなわち、現在の消費者は、「体感される車の性能」を、「無価値」だと判断しているわけではないのです。車は、CPUのスペックから単純にその性能が判断できるPC等とは、少々違った商品であることを、消費者は薄々感づいているのです。


    そして、それらの事を口にするすることが、即「マニア」であることを意味するわけではありません。企業価値を高めるためには、それらの消費者と積極的に向き合っていく姿勢こそが求められるのです。

    2009.01.13 00:39 URL | 武車小路 #vI1iQ2sA [ 編集 ]

    お久しぶりです。イソップ童話になぞらえて武者小路さんの実体験を語られているのかと心配しておりましたが、空想のお話という事で、ひとまず安心しております。
    話は変わりますが、自分の嫁は軽のAT車に乗っていましたが、転勤を境に嫁の軽を売り払い、自分のインプレッサWRX(MT)1台を共有するようになりました。それまでATしか乗ってこなかった嫁は当初インプを運転するのをとても嫌がっていましたが、2年経過した今では「逆にATに乗れない」と言います。主なAT嫌いの理由としては、急減速の際にATのシフトレバーを低速ギアに落とした時、1拍遅れて来る「ガックン感」に不快感と恐怖感が残るからだそうです。MTであればシフトダウン後、自身の感が芽クラッチ操作で減速加減を調節できるので、電子制御に頼らない安心生えたと言います。元々高速走行を前提に作られている車なのでブレーキ単体でもきちんとした制動力を発揮する。という点にも嫁の理解を得ました。要は食わず嫌いをしていただけなのだと思います。スポーツカーは暴力的に速いだけで、交通の流れを乱すだけ。MTなどもっての外。とか考えている方も多いかもしれませんが、乗ってみれば得られる何かは必ずあるはずです。そこに300万400万積んでも、これで良かった。と実感できるものはありますよ。友人は軽のMTを選択しましたが、操る喜びを求めて購入したと胸を張って言ってます。まあ、色んな人がいていいんです。

    2009.01.13 02:49 URL | H #- [ 編集 ]

    結論から言えば、車という商品における試乗というものは無くならないでしょう。
    他の商品も試用は可能であり、パソコンの場合も、売り場などで稼動状態のものを触り“試乗”に相当することは出来ますが、人体を丸ごと飲み込む車と指先と眼の接触でしかないパソコンとは差がありますよ。
    そのまま購入におけるリスクの差につながっていますね。

    ただ、内燃機関がなくなり均質化に拍車がかかれば、ママチャリのように存在が軽くなれば、従来の試乗の意味は軽く考えられるようになるでしょうね。


    >車が思い通りに走ってくれないのであれば、運転は「ストレス」を感じるものとなってしまいます。反対に、ある一定レベル以上の基準を満たしてくれているのであれば、それが「快」ともなり得ます。


    >車の運転を「楽しく」思わせてくれる、プラスアルファの性能が備わることを拒むべき理由は、どこにも存在しないのです。




    まず、「快」というものや「ストレス」を感じないことは、必ずしも「楽しく」といったような「プラスアルファ」ではありません。
    むしろ私がいうような「楽なことは善」につながることです。
    「プラスアルファ」というより、「乗り味」が他の主要条件を侵害するような“マイナス”をいかに減らすか。
    そのような方向になっているでしょうね。

    2009.01.13 03:09 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「任天堂ならどんな車を造るか、考えてみろ」。トヨタ自動車の渡辺捷昭社長は、社内の開発チームにこんな指示を与えているという。

    http://mainichi.jp/enta/mantan/archive/news/2007/11/08/20071108mog00m200011000c.html



    まさに、渡辺氏の言う通りです。


    もちろん、PS2やPS3、Xboxにも、それぞれの良さがあります。それらの商品には、それらの商品なりの存在価値があります。

    しかし、今の自動車マーケーットには、WiiやDSがないのです。消費者は、心の奥底で、そのような車が出現することを待ち望んでいるのです。「そうそう、これ、これ」。旧世代機でもなく、テクノロジー頼りでもない。そんな車が登場すれば、皆がハッピーになれるのです。



    WiiとPS3の違い。



    それは、「人間にスポットがあたっているか、コンピューターにスポットがあたっているか」の違いです。


    2009.01.23 23:26 URL | 武車小路 #2rpl4twA [ 編集 ]

    もと記事

    >このままではジリ貧だ。ゲームの概念を広げ、ゲームをしたことがない人に触ってもらえるゲーム機を作ろう


    そうです。
    まあ、車の場合、いずれ自動車の概念は技術発展などで広がるというより崩れると思いますが。


    車業界がWiiに見習うとしたら、おそらく武車小路さんが好むものとは全く別の車が完成することになるでしょうね。

    willがゲームマニアとは反対の方向を向いているように、旧来の自動車ファンとは別の客層を取り込むことになるのですから。



    >それは、「人間にスポットがあたっているか、コンピューターにスポットがあたっているか」の違いです。



    その「人間」は、俗にいう自動車ファンでないことは確実です。

    2009.01.24 12:40 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    デトロイトモーターショー2009開幕 景気悪化で日産自動車や三菱自動車、スズキの各日本メーカーのほか、ポルシェやフェラーリも参加を見送った
    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/211653/



    先日、テレビのニュース番組で、米国シリコンバレーに本社を置く「テスラモータース」のことが、報道されていました。デトロイトモーターショーの寒々とした話題とは対照的に、景気の良い話として。


    http://response.jp/issue/2009/0119/article119124_1.html

    http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/2ae333b4382b7c26cd0ce9c53a386394/page/1/


    「テスラ・ロードスター」は、ロータス「エリーゼ」をベースに開発したスポーツカーで、最大の特徴は電気モーターのみで走行するEVであること。走行継続距離は、なんと245マイル(約394km)。価格は12万8500ドル。0-96km/h加速3.7秒。(充電池は日本製)

    「テスラモータース」のビジネスは、リーマン・ショック以降も順調で、アーノルド・シュワルツェネッガーなどの著名な有名人が、こぞってオーナーになっているそうです。さらに、今後本格的な工場をカリフォルニア州に建設し、徐々に車種のラインナップも増やしていくそうです。

    この報道番組では、いち早くEVの市販化を実現したテスラモータースを評価し、今後ビッグ3を脅かす存在になるかもしれないと持ち上げていました。

    ここで着目したいのは、「テスラ・ロードスター」は、ただのEVでは、ないことです。

    「テスラ・ロードスター」は、腰を抜かすほど、速い車です。見た目も、かっこいい。航続距離も長い。そして、ゼロ・エミッション。

    そりゃ、セレブは買いますよ。

    仮に「テスラ・ロードスター」が、ゼロエミッションだけがトリエの車だったら、このようなスタートダッシュは決められていなかったことでしょう。

    消費行動において、「楽しいこと」、「快」には、爆発力があるのです。それは、現在の自動車マーケットにおいても変わりありません。


    プリウスに人気があると言っても、年間売り上げNO.1にはなりませんよね。アコード・ハイブリッドは、空振りでしたよね。

    それは、財布を覗いた時にしか、その良さを実感できないからです。

    「まあ、しようがないからプリウスにするか」

    そんなものなのです。


    「楽しい」ことを求める事は、その企業で働く人にとっても重要なことです。

    「テスラ・ロードスター」では、実現したい理想的な車を求めて、資本が人材が才能が集まり、情熱とともに一気にスパークした様が感じ取れます。

    その結果、あっという間に軌道に乗ったのです。ファンもついたのです。ブランディングも一昼夜で完成したのです。既存の自動車メーカーを、「ごぼう抜き」したのです。

    もちろん、日本車メーカーには、大衆車メーカーとしての役割があります。「テスラ・ロードスター」的なものは、「テスラ・ロードスター」に任せておけば良い。それは、その通りです。

    しかし、任天堂の社員なら、間違いなくこう考えるでしょう。



    「車の楽しさ」とは、一体何か?



    彼らは、そこに突破口を見つけ出そうとするでしょう。



    そもそも、電気自動車は100年以上も前からあるのです。

    シティ・コミューターの発想だって、50年も前からあるのです。


    にもかかわらず、それらが今日まで発展してこなかったのは、「突破力」に欠けていたからです。


    では、「突破力」を有するものとは、一体何か?


    そう考えていけば、回答に近づくのです。




    もちろん、ニンジンとダイコンを抱えながら、

    「さっきのスーパーと、どちらが安かったかしら」



    そう考えている主婦には、今言った話も、テスラ・ロードスターも、全く響かないでしょう。


    しかし、abcdさんの捉える一般消費者は、そのセグメントを中心に考え過ぎているように感じられます。

    2009.01.25 02:29 URL | 武車小路 #qlYPWKHw [ 編集 ]

    >しかし、任天堂の社員なら、間違いなくこう考えるでしょう。
    「車の楽しさ」とは、一体何か?
    彼らは、そこに突破口を見つけ出そうとするでしょう。



    >では、「突破力」を有するものとは、一体何か?
    そう考えていけば、回答に近づくのです。
    もちろん、ニンジンとダイコンを抱えながら、
    「さっきのスーパーと、どちらが安かったかしら」
    そう考えている主婦には、今言った話も、テスラ・ロードスターも、全く響かないでしょう。
    しかし、abcdさんの捉える一般消費者は、そのセグメントを中心に考え過ぎているように感じられます。



    前後で矛盾しているようで、さっぱりわかりません。
    DSやwillが持つ「突破力」というのは「ニンジンとダイコンを抱え」ている「主婦」のような人間にゲームを買わせやらせた力ですよ。


    武者小路さんはたびたびリンクを引いて引用していますが、そのどれもこれもが自説の裏打ちになるようなものでは全然無いものでしかないですよ。

    2009.01.25 03:09 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    このへんで、武者小路さんが最初のほうで書かれたことと、引用された記事内容を並べて、少し整理してみましょうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    >2008.12.23 21:06 URL | 武車小路
    >世の中を見渡すと、WiiやDSなどの「ゲーム」が売れています。カメラも、コンパクトデジタルカメラより操作が難しい、一眼レフ・デジタルカメラの人気が高まっています。腕時計の世界でも、ロレックスなどの機械式時計が、淘汰されずに生き残っています。
    結局、手足を使って機械を操作し、高度に使いこなすという行為は、人間の本能的な「喜び」に貢献するのです。ユーザーに「操作する機会を与える事」は、製造メーカーにとって価値のある「商行為」なのです。

    >車の運転自体に「愉しみ」を求める層は、確かに存在するのです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    http://mainichi.jp/enta/mantan/archive/news/2007/11/08/20071108mog00m200011000c.html
    >DSの人気の秘密は、「従来のゲーム機という枠を超えた」(岩田さん)ことだ。専用ソフトは、大ブームになった脳トレーニングのほか、料理のレシピ集、家計簿などゲームとは呼べない分野に広がっている。

    >任天堂らしさとは何なのだろう。岩田さんに聞くと、こんな答えが返ってきた。「使ってみて、ああやられた、と思ってもらいたい。いい意味で予想を裏切らないと、人の心は動きません。それと、説明書を読まなくても、簡単に操作できることですね」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    武者小路さんが言う「操作が難しい」「高度に使いこなす」に反して、任天堂がwillで提示したのは「簡単に操作」ですね。

    従来の車という枠から一歩も出ていないような武者小路さんの「車の運転」MTに対して、任天堂は「従来のゲーム機という枠を超えた」「料理のレシピ」「家計簿」です。

    車という商品を家電と分けたがる武者小路さんは、そもそもwillが情報家電と呼ばれていることを知っているのでしょうか。


    DSやwillの成功例は、武者小路さんの嗜好や予想とは別のものを示唆しているようです。

    2009.01.25 03:10 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    従来の反射神経や謎解き、個人を競う若者ゲームから脱し、老人や主婦向けに新たな価値を提供し境地を開いたWiiと比べ、新しい車は加速や走行継続距離を競うほかに何を見せてくれるのでしょうか。

    「突破力」は、その方向に試されるようです。

    2009.01.25 03:33 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    私の考える「WiiとDSの特徴」を述べたいと思います。


    1.低価格

    2.一粒で二度おいしい

    3.身体を動かす

    4.「ゆるり」と面白い


    2の「一粒で二度おいしい」とは、例えば「脳トレ」。あるいは、本格的な学習ソフト。DSでは、遊びながらトレーニングをしたり、学習をすることができます。その事によって、以前は教育委員会から目の敵にされていた「ゲーム機」が、一転して推奨される存在に昇格したのです。それまで、「また、ゲームなんかして」と怒っていた教育ママは、「早くDSしなさい」と言うようになりました。

    3の「身体を動かす」は、コントローラーに秘密があります。従来機のPS2のコントローラーには、たくさんボタンがついています。人間を「怠惰で面倒くさがりやな生き物」と捉えた場合、コントローラーは簡素化した方が良いのです。「楽な事は善」と考えるなら、操作もコンピューターにやってもらった方が良いかもしれません。

    しかし、任天堂は、指だけの操作では満足しなかったのです。彼らは、手首のスナップを使う動作を消費者に強要しました。それだけではありません。腰のグラインドを無理強いしました。片足立ちもさせました。腕立て伏せも、させます。まるで、鬼教官です。

    しかし、結果的に消費者は、ジムに通う費用を浮かせる事に成功したのです。健康維持にも役立ったのです。消費者は、その事で、怒ったりしませんでした。その反対です。

    4の「ゆるりと面白い」というのは、既存のゲーム機との対比から導かれるものです。従来型のゲーム機では、ユーザーは、眉間にしわをよせながらゲームに没頭していました。中には、残虐な戦闘シーンが描かれるものもありました。それが、殺傷事件の遠因となったと指摘されるケースもありました。そんな状況を見て、任天堂の社長は、「皆で楽しめるものを創れ」と指示を出したのです。その結果、家族、皆で楽しめる、新しいゲーム機が誕生しました。


    これを、車に当てはめると、どうなるでしょう。

    1の「低価格」。重要ですよね。日本車なのですから、安くて当然です。

    2の「一粒で二度おいしい」。これも、重要です。市場を見回すと、そういう車が殆どないのです。ただ、モノを運べるだけ。人を多く運べるだけ。あるいは、反対に、ただ速いだけ。爽快なだけ。車なのですから、最低4人は運んで下さい。そして、目的地で目的を達成させるために必要な「モノ」を運んで下さい。お土産も、買い物したものも、全部運べるようなラゲッジスペースを確保して下さい。

    3の「身体を動かす」。運転席の操作系の話です。これは、実の所、男性と女性とで、随分事情が違ってきます。私が小学生の頃は、クラスの男子全員が、自動車に熱中していました。そういう人々のハートを捉えるのは容易いのです。彼らは、普通のMT車でも、不平不満を漏らす事なく運転するかもしれません。一方、女性陣は、難攻不落です。なにせ、「おままごと」にしか興味がなかったのですから。そう考えると、男性用と女性用とで、分けるしかないのかもしれません。しかし、これは、改めてマニュアルを読まなければならないような「難しい操作」が必要だという意味ではありません。皆、教習所で、技能を習得済みです。

    4の「ゆるり」と面白い。燃費の悪い車。車高の低い車。威圧的な車。とんがりすぎた車。もう、そういう時代じゃないんですね。眉間にしわをよせながら運転しなくても楽しい車。そういう車を求めているのです。しかし、「ゆるりと面白い」というのは、簡単ではありません。「技術者の頑張り」でカバーできるものではないのです。例えば、普通のディメンジョンのFF車で低燃費を実現しようとすると、ただの「走らない車」になってしまいます。そこからマイスターがいくら頑張っても、「面白い乗り味」にはなりません。


    Wiiが情報家電を目指すことは良いことだと思います。一眼レフデジタルカメラに、どのような機能が付加されても、別に驚きはしません。しかし彼らは、消費者が「操作」に価値を見出すことを知っています。

    私は、従来の車にも、最新の車にも満足していませんが、操作系に関しては、特に不満はありません。

    しかし、全体のユーザーを見回した場合に、MTは操作が大変で、一方、ATは商品としての魅力に欠ける。そう思うユーザーがいる事は事実です。だから、この問題を解決する新しい技術が開発されれば良いと思っています。

    しかし、それも万能ではありません。

    ここでは、車に多少興味がありつつも、既存の車に満足できないから、車は買わない。あるいは、買い替えの食指が動かない。そういう層を対象にしています。それらの人々の心に訴える車とは何かという回答が導き出せれば、数パーセントの消費拡大が期待できるという話です。


    「ニンジンとダイコンを抱える主婦」は、従来通りの車で満足するのですから、彼女達の事は考える必要はないのです。

    2009.01.25 07:02 URL | 武車小路 #CGvpQkao [ 編集 ]

    >ここでは、車に多少興味がありつつも、既存の車に満足できないから、車は買わない。あるいは、買い替えの食指が動かない。そういう層を対象にしています。


    車に興味が全然無い人間、買い替え以前に車などもっていない人間に売るのでなければ、車がDSやwiiになる必要など全然無いではないではないですか。
    全体的な問題の根本をすっぽ抜かしておいて、表層のDSやwiiの個別の特徴だけを捉え、自分に都合の良い“消費者”を自己設定しているうちは、枠組みからでる「突破力」などありえませんし。

    トヨタの渡辺捷昭社長が言う「任天堂ならどんな車を造るか、考えてみろ」とは、そういうことではないでしょう?

    武者小路さんは渡辺社長の言葉を肯定しておきながら、どうしてそういうことをするのでしょうかね。



    「テスラ・ロードスター」とDS&wii、この対極にある例を引っ張り出しておいて、結局何をしたかったのか不明なままです。

    2009.01.25 10:26 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車に興味のない人に、車を買ってもらう方法。

    これは、極めて難しいですね。

    彼らは、どんなに魅力的な車が登場しても、なんとも思わないでしょう。

    彼らが、唯一車を買うケースがあるとしたら、それは、「車を買わなければならない必要性」に迫られた時です。

    ただ、それ以外に、無理やり彼らに買ってもらう方法がないわけではありません。例えば、車を購入、維持して「消費拡大」と「納税」に貢献した人は、将来の年金支給額が倍増されるというような、新しい社会の仕組みを創り出せば良いのです。いずれにしても、車という商品の個々の「魅力」を工夫することでは、彼らは動かないでしょう。

    実は、世の中の女性のほとんどは、「車に興味のない人」に分類されます。彼女達は、元々車に興味がないので、車に求める要求レベルは、あまり高くありません。だから、これまでも車に対して不満を持った事はないし、これからも不満を持つことはありません。もちろん、ティッシュボックスがここにあるのは気に入らない、というような細かい事は言います。

    ちなみに、「ニンジンとダイコンを抱える主婦」は、「車に興味のない人」のことですが、実際は「車を買う消費者」である可能性はあります。その意味で、「車に興味のない人」にも、二種類あることには気をつけなければなりません。

    一方、男性陣はそうはいかないのです。現在の車マーケットに対して、「不満」を持つ層は、確かに存在するのです。なぜなら、以前は、どんなポンコツ車でも、遊べる要素に満ちていたからです。そして、「遊び心」を満たす車を、トヨタも日産も色々造っていました。しかし、トヨタは、遊べる車を「高級車」に昇格させ、うまく儲けるビジネスを作り上げてしまったのです。だから、車種構成が両極端になり、マーケットにフラットスポットができあがってしまっているのです。

    じゃあ、しょうがない。SUVにでもするか。SUVは、なかなかカッコイイし、値段も手頃だし。今風で良いんじゃないか。

    そう考えてみたものの、SUVは、燃費が悪いの?そりゃ、車体がでかいもんね。実際、悪路を走るわけでもないんだよな。

    そう考えていくと、本当に買える車はないのです。

    だからこそ、新しいジャンルカーであったり、新しい発想が必要となるのです。

    その際に、今の消費者は、車への興味が低くなってきているから、車的要素は極力減らし、全自動の電化製品に近づけ、車を購入する際の垣根を低くする方向に進むべきだ。そう考える人が出てきます。しかし、そういう車を購入する人は、元々車を買う予定にある人なのです。彼らは、どんな車であろうと、そこそこ満足してくれる人です。

    だから、そこに注力しても、消費の拡大は見込めません。それよりも、現在の自動車マーケットに不満を持つ人々を救済する方が、よっぽど現実的で、効果的なのです。なぜなら、「不満を持つ」ということは、興味があるということであり、その問題を解消することに成功すれば、消費行動に結びつくからです。そして、彼らが持つ不満とは、今マーケットにある車が、「運転して楽しくない事」。

    それが証拠に、運転して楽しい、カットビEV「テスラ・ロードスター」は、この不景気のなかでも大人気。任天堂の大ヒット商品、DSもWiiも、操作する主体に焦点があたった、ドライバーズ・カー。デジタル一眼レフ式カメラは、美術監督の意図によって、目の前の何気ない日常の風景をドラスティックに変えることのできる、オープンカー。豊富なカスタム・パーツも各メーカーから発売中。

    そりゃ、楽しいですよ。売れますよ。


    最後に、車を買わなくなった20代の問題。

    これはやはり、雇用システムを元に戻すしかないと思いますね。

    20代前半の男子では、44,8%もの人が非正規雇用というデータもあります。

    http://okwave.jp/qa4558472.html


    ある報道番組でインタビューに答えていた非正規雇用のある青年は、

    「お先真っ暗だ」

    と、語っていました。


    こういう不安を抱えていては、車なんか、買えるはずがありません。

    これも、「商品の魅力」では、解決不可能です。

    2009.01.26 01:11 URL | 武車小路 #54iM.zzs [ 編集 ]

    >実は、世の中の女性のほとんどは、「車に興味のない人」に分類されます。彼女達は、元々車に興味がないので、車に求める要求レベルは、あまり高くありません。だから、これまでも車に対して不満を持った事はないし、これからも不満を持つことはありません。。もちろん、ティッシュボックスがここにあるのは気に入らない、というような細かい事は言います。


    「車に求める要求レベルは、あまり高くありません」?
    車種購入の主導権を握るとさえ言われる世の奥さんに気に入られる為に労力を費やしてきた開発者が聞いたら驚くであろう台詞ですね。
    「要求」する内容の質が自分と異なるだけでレベルを勝手に設定しているような独善的思考はマニアの頭であってマーケティングではありませんよ。

    私にしてみれば、ティッシュボックスを適切に配置するのも運転が楽しいのも、レベルとして変わりありません。




    >一方、男性陣はそうはいかないのです。現在の車マーケットに対して、「不満」を持つ層は、確かに存在するのです。なぜなら、以前は、どんなポンコツ車でも、遊べる要素に満ちていたからです。そして、「遊び心」を満たす車を、トヨタも日産も色々造っていました。しかし、トヨタは、遊べる車を「高級車」に昇格させ、うまく儲けるビジネスを作り上げてしまったのです。だから、車種構成が両極端になり、マーケットにフラットスポットができあがってしまっているのです。



    だから、武車小路さんの頃とは、「遊べる要素」が時代とともに変わったからですよ。
    いまやドライブは労働であり、遊びではありませんから。
    求められる車種などが変化するのは当然であり、「フラットスポット」はメーカーの陰謀でなくて自然現象です。
    ワゴンにスピーカー乗せたりアニメキャラをペイントしたりして遊んでいる人は遊んでますよ。



    >じゃあ、しょうがない。SUVにでもするか。SUVは、なかなかカッコイイし、値段も手頃だし。今風で良いんじゃないか。



    本当、この認識にはびっくりしますねえ。
    かつてブームを作ったSUVが「しょうがない」で選ばれていたなんて。
    あのポルシェがカイエンを作っているような現代なのですが。
    私本人は平均より車好きに分類される人間かと思いますが、SUVが凄く欲しかったときがありましたし、今でもそこそこ欲しいですが。
    ライトウェイトスポーツカーなんかと購入の秤にかけてもいいくらいですよ。

    2009.01.26 02:49 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >だから、そこに注力しても、消費の拡大は見込めません。それよりも、現在の自動車マーケットに不満を持つ人々を救済する方が、よっぽど現実的で、効果的なのです。そして、彼らが持つ不満とは、今マーケットにある車が、「乗って面白くない事」。

    それが証拠に、乗って楽しい、カットビEV「テスラ・ロードスター」は、この不景気のなかでも大人気。任天堂の大ヒット商品、DSもWiiも、操作する主体に焦点があたった、ドライバーズ・カー。デジタル一眼レフ式カメラは、美術監督の意図によって、目の前の景色を一瞬にして芸術に変えることのできる、オープンカー。豊富なカスタム・パーツも各メーカーから発売中。

    そりゃ、楽しいですよ。売れますよ。




    テスラ・ロードスターや任天堂を出して、何の「証拠」になっているのでしょうか?

    テスラ・ロードスターが「乗って楽しい」かどうかは乗ってみないと分からないかもしれませんが、セレブが高級車やスーパースポーツを買うのは、純粋な「乗って楽しい」ことを追求した結果では無いでしょうね。
    任天堂は老人や女性に「ドライバーズ・カー」を売ったんですか?。
    デジタル一眼レフ式カメラが「オープン・カー」というのは、さすがに解釈の取っ掛かりすらつかめません。



    >これはやはり、雇用システムを元に戻すしかないと思いますね。



    そうですか。
    それでは、売れないのはメーカーの商品展開のせいではありませんね。



    >2009.01.07 21:43 URL | 武車小路
    >経済危機、賃金格差、時代背景、市場の飽和、他ジャンルの競合製品。それらによって車が売れなくなっている事は事実ですが、商品が売れなくなる背景には、商品自体にクリティカルな問題が潜む事を意味するのです。



    これは撤回するということでよろしいでしょうか。

    2009.01.26 02:50 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    一眼レフ方式ではない方の、普通のコンパクト・デジタルカメラ、通称「コンデジ」。

    「コンデジ」を求める消費者は、「低価格」、「デザイン」、「使いやすさ」、「コンパクト性能」、「ズーム性能」、「解像度」などを求めています。

    彼らは、気に入って購入したコンデジのことを愛しく思う事もあるかもしれませんが、実際は、必要だから持っているだけに過ぎません。「カメラ」が趣味ではないのです。だから、ボディは薄ければ薄いほど良い。存在感は小さければ小さいほど良い。そう思っています。

    その発想が進むと、他のデバイスと「合体」する道を選びます。カメラ付き携帯電話。あるいは、カメラ機能を高性能化させた携帯電話付カメラ。

    結果的に彼らは、当初の目的を達成させる事に成功します。すなわち、「使い捨てカメラ」より「良く写り」、「ランニングコスト」が不要で、現像に出した時、満足するクオリティの写真として焼きあがり、「持ち運びに便利」。実際、コンデジは、それらの要求によく応えています。だから、彼らは満足します。

    ところが、木村拓哉さんがいけないのです。そういう意味では、渡辺謙さんも同罪です。

    テレビの報道記者席とか、秋葉系のイベント会場で見かける、バズーカー砲みたいな巨大レンズをつけている一眼レフ式カメラ。

    あんなのは、オタクの持ち物で、自分には無用の長物だと思っていたのです。ところが、木村拓哉さんのせいで、何か「かっこいい」ものに思えてきてしまったのです。最近は、値段もこなれてきました。しかも、写真の写りは、コンデジとは全然違うとも聞きます。そうすると、違いの分かる大人は、「一眼レフ」を買うしかない?

    そんなプレッシャーを感じて、一眼レフ式デジタルカメラの世界に足を踏み入れてしまう人がいると聞きます。

    実の所、彼らは、入口では、「コンデジ」と「一眼レフ」との明確な違いは分かっていません。「一眼レフ」は、「コンデジ」の「高級版」、あるいは、「高性能版」だと思っています。そして、「コンデジより良く写る性能」だけを求めています。

    しかし、「一眼レフ」を購入した後に、「コンデジ」と「一眼レフ」は、全くの別物であることを知るのです。「写真」、あるいは「カメラ」という、新しい世界がそこに開けることを知るのです。

    コンデジでは、画面全体にピントが合います。目の前の風景を、そのままに表現することしかできません。一方、一眼レフでは、ピントを合わせる領域を自由に操作できます。「ボケ」を積極的に創り出すこともできます。解像度も、全然違います。レンズを広角レンズに換えれば、全く違う世界が広がります。表現力が全然違います。すなわち、誰もが、篠山紀信やアラーキーになれるということです。

    そこには、「趣味」として立派に成立するだけの「楽しさ」があります。自らの意志を忠実に反映させる事ができます。操作主のテクニックを介在させる余地があります。

    だから、山登りをする人たちは、一眼レフ式カメラを持っていきます。

    このことは、一眼レフ式カメラの世界を知らない人には、全く理解できないことに違いありません。あんなでかくて重くて高価なものを、何でわざわざ山登りの時に持っていく必要性があるのか。「コンデジ」という、携帯性に優れた良い製品があるのに。彼らは、そう思うでしょう。

    しかし、頂上から見える綺麗な景色を見る事が目的だった山登りが、「撮影」が「目的」で山登りするようになるほどの「楽しさ」が、一眼レフ式カメラにはあるのです。


    この話を、車に置き換えてみましょう。


    「ニンジンとダイコンを抱える主婦」が車を買うとします。その際に、スズキ・ラパン、カクカクシカジカのダイハツ・コンテ。このあたりは、なかなか良い選択肢です。なぜなら、デザインが洗練されているからです。細かい所まで良く考えられています。値段も手頃。軽自動車だから、お徳感、満載。

    ラパンを購入する「ニンジンとダイコンを抱える主婦」は、色々なこだわりがあって、車選びをするはずです。ラパンも、彼女に好きになってもらえるだけの必要条件を満たしています。だから、彼女は、ラパンの事を気に入ります。相思相愛。もう、「これ以上」はない。そう言っても良いかもしれません。

    しかし、「ニンジンとダイコンを抱える主婦」は、ドライブから帰宅し、ラパンのエンジンを切った5秒後には、もう「ラパン」の事を忘れるのです。彼女が、「ラパン」の事を考えるのは、24時間の内の、ごく僅か。

    彼女は、「車に興味がある」のではないのです。「ラパン」に興味があるだけです。必要に迫られたから、「ラパン」を買っただけです。「ラパン」以外にも色々選択肢はあったし、結果的には、いずれかの選択肢で手を打ったのです。

    しかし、「車に興味がある」人の行動パターンは違います。一日の内の相当な時間を、車の事を考える事に費やします。車に乗るだけでなく、車に関係した雑誌を読んだり、Webサイトを見たりします。そして、本当に気に入る車でなければ、車を購入したりしません。

    実は、「車に興味がある人」と「車に興味のない人」とを分ける決定的な違いとは、「車のメカニズム」に興味があるかどうかの違いなのです。

    彼女は、「車に興味がないから」、「車のメカニズム」には興味がないのです。FFだろうが、FFでなかろうが、そんなことはどうだって良いのです。装備と燃費とデザインと価格。それらが備われば、それで良いのです。だから、「ラパン」を選択することができたのです。そのニーズに対して、ラパンも最大限応えました。だから、彼女は最大限の満足を得る事ができました。

    しかし、「おっちゃん達」は、そうはいきません。お隣りの「ニンジンとダイコンを抱える主婦」にラパンを薦めることはあっても、自分でラパンを購入したりはしません。

    では、他にどんな選択肢があるのか?

    そう考えた瞬間に、舞台は暗転するのです。

    「ニンジンとダイコンを抱える主婦」が見る世界には、オシャレな「フランス車」も、粋な「イタリア車」もありました。それらは、ちょっと手を伸ばせば、すぐ届くところにありました。

    しかし、FFであることを拒絶した時、目の前に広がるのは漆黒の闇なのです。

    でも、しばらくすると、目がだんだん慣れてきます。よく見ると、遠くのほうで星が、かすかに輝いています。

    その星の名は、メルセデス、BMW、ポルシェ、レクサス・・・

    この価格差は、一体、何倍なんですか。という話です。FFであることを拒絶しただけで、何でこんな「仕打ち」を受けなければならないのか、という事です。ここに、「車に興味がある人」の「不満」が存在するのです。


    最近では、「車に興味がない人」が、自動車メーカーのネームバリューに惹かれて、自動車メーカーに多く入社しているとも聞きます。

    その場合、「車に興味がない人」用の車を造ることは、上手くいくのかもしれません。「車に興味がない人」の気持ちがよく分かるからです。しかし、「車に興味がある人」向けの車の開発に支障をきたすことを想像するのは容易いのです。

    これは、クリティカルな問題です。

    多種のニーズに応える商品ラインアップがあって初めて、マーケットは膨らむのです。近視眼的に営利主義に走ると、マーケットはしぼんでしまいます。

    もちろん、コンデジはコンデジとしての役割を、立派に果たしています。しかし、自動車メーカーの人間自らが、「コンデジ万歳」と叫び、「コンデジ」で全てがまかなえると考える時、間違いが生まれるのです。

    2009.01.28 01:35 URL | 武車小路 #z2DV4kU6 [ 編集 ]

    まず、初めに、武車小路さんの書いたことを並べておきます。



    >2009.01.10 20:57 URL | 武車小路
    >彼らが求めているものが、より「実利的な事」にシフトしている事は事実ですが、奥さんは、車という「素晴らしい存在」がもたらしてくれる「家族の楽しい行楽」を思い描いています。旦那さんは、あわよくば「プラスアルファのモア・サムシング」を得て、「楽しみたい」と思っています。
    なぜなら、車に対して「興味」や「憧れ」を持つ事は、普遍的なものだからです。


    >2009.01.26 01:11 URL | 武車小路
    >実は、世の中の女性のほとんどは、「車に興味のない人」に分類されます。彼女達は、元々車に興味がないので、車に求める要求レベルは、あまり高くありません。



    あなたはこのように前後で矛盾したことを書いていますが、どうなっているのでしょう。

    そして現在はこのようになっているわけですか。


    >実は、「車に興味がある人」と「車に興味のない人」とを分ける決定的な違いとは、「車のメカニズム」に興味があるかどうかの違いなのです。



    「車に興味がある人」の中で「メカニズム」に興味ある人とそうで無い人がいるだけです。
    男でもメカニズムには大して興味が無い人もいますし、私も武車小路さんほどには興味無いと思います。
    メカニカルよりデザイン重視でも、立派な「車に興味がある人」です。
    車のどの要素に重きを置くかは個人の嗜好ですね。
    メカオタクなけで、純粋な車好きとは言えない人も存在するわけですが、ようするにその程度のことですよ。


    「車に興味がある」にも色々な形態があるわけで、武車小路さんが駆動方式にこだわる嗜好はよく理解できましたが、それは単に個人的問題に過ぎませんよ。
    そのような小さいことで武車小路さんが「車に興味がある人」の定義であるように主張しても殆ど無意味です。



    >多種のニーズに応える商品ラインアップがあって初めて、マーケットは膨らむのです。近視眼的に営利主義に走ると、マーケットはしぼんでしまいます。



    「車に興味がある人」をイコールメカニズムと狭き限定しているような人が、なぜこのようなことが書けるのでしょう。


    メカニズムオタクのファンを大勢抱えて縛られ散々苦しんできたポルシェの悲哀の気持ちが分かるような気がしますよ。
    ケイマンを出して「多様なニーズ」に応えたポルシェはまことに正しかったようです。

    2009.01.28 04:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    そもそも


    >そこには、「趣味」として立派に成立するだけの「楽しさ」があります。自らの意志を忠実に反映させる事ができます。操作主のテクニックを介在させる余地があります。

    だから、山登りをする人たちは、一眼レフ式カメラを持っていきます。



    なにが「だから」なのかわかりません。
    普通に性能を考えているだけの人もいますし、そのような人は大勢いるでしょうね。
    写真を撮るために「山登り」をする人もいますが、一方で「山登り」を「趣味」としている人が同じくらい写真を「趣味」としているとは限らない。
    当たり前のことですね。



    >最近では、「車に興味がない人」が、自動車メーカーのネームバリューに惹かれて、自動車メーカーに多く入社しているとも聞きます。
    その場合、「車に興味がない人」用の車を造ることは、上手くいくのかもしれません。「車に興味がない人」の気持ちがよく分かるからです。しかし、「車に興味がある人」向けの車の開発に支障をきたすことを想像するのは容易いのです。



    日産でしたか、免許を持っていない社員がバリバリ働いてますというような記事が週刊誌に載るくらいですから、「車に興味がない人」が入社してくることも当然あるでしょう。
    ところで、それがなんだというのでしょうか。

    どこぞの幹部か誰かが言っていたように記憶しますが、自動車会社がいつまでも自動車を作っていると思っているような人間は必要ないですよ。

    会社には「車に興味がない」人も、「車に興味がある人」も両方いたほうがいいと思いますね。

    自己満足は大人の仕事ではありませんから。

    2009.01.28 19:44 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    世の男性陣にとって、「車」は身近な存在でした。

    まず、ヨチヨチ歩きを始めた頃に、車のオモチャに興味を持ち始め、「zoom-zoom」と言って遊び出します。

    小学生に上がる頃、世の中には色々なタイプの車がある事を知ります。駆動方式にも色々ある事を知って、驚きます。大人になったら、絶対「あの憧れの車」を買うんだ。そう、心に誓います。

    社会人になって3年目の春。とうとう彼は、一大決心をします。車を購入する事に決めるのです。その背景には、気になるあの娘をデートに誘い出すのに車があると都合が良い、という下心もありました。社会人たるもの、車を持たなくてどうするのだという、社会通念とも呼ぶべきある種のプレッシャーを感じていたことも事実です。

    5年後。彼は2台目の車に買い換えます。助手席に座るのは、お肌に透明感と張りのある新妻。そう、デートに誘った、あの時の彼女。今回、購入したのは、前々から憧れていたあの車。1台目の車より80万円高いが、ずっと憧れていた車なので、そんな事はどうでも良い。

    そうやって彼は、次々と車を買い換えながら、80年の生涯を車と共に過ごすのでした。


    でも、今の時代では、明らかに違っています。

    おぎゃーと生まれて、「zoom-zoom」と言うところまでは、同じなのです。

    でも、その後がいけない。

    少年に「憧れ」を抱かせる車がないのです。

    まず、デザインがひどい。多人数乗りの実用車ばっかり。FF車ばっかり。これでは、夢も希望も、あったもんじゃない。

    実際、彼は、免許を取って、車に乗ってみます。ああ、こういうもんですか。やっぱりね。運転って、想像した通り、楽しくないですね。私には、不要ですね。車を買うなら、他の事にお金を回しますよ。

    彼には、「3年目の春」も、「5年後の新妻」も訪れないのです。


    その結果が、日本の「晩婚化」です。「少子化」です。「縮小経済」です。


    一方、女性の「車に対する興味」は、以前と変わっていません。彼女達は、元々「zoom-zoom」と言ったりはしない。

    女性が興味を持つものは、「ファッション」や「旅行」、あるいは「グルメ」といった分野です。

    でも、ドライブに連れて行ってもらうのは好きなのです。車に乗ることは好きです。「旅行」と同じ感覚です。

    そして、自動車ディーラーの商談席で、彼女達が目を輝かせるのは、家族で出掛ける「楽しいピクニック」を思い浮かべているからです。そして、車内で繰り広げられる「家族の楽しい会話」を思い描いているのです。

    だから彼女達は、それらをアシストしてくれる「パーツ」に、強いこだわりを示します。彼女達の興味の対象は、車がもたらす「空間」であったり、「体験」、「行楽」です。

    一方、男性陣の興味の対象は、車という「モノ」、そのものです。

    では、自動車メーカーが、どういう車を造れば、消費者に歓迎を持って迎え入れられ、かつビジネスとしても成立するのか?


    今の自動車マーケットには、「5つのジャンル」しかない事が問題なのです。

    すなわち、

    「退屈な車」、「燃費が良いだけの車」、「燃費の悪い車」、「実用性のない車」、「高額な車」。


    これらのネガを解決するような車が登場することを、市場は望んでいます。

    いや、正確に言えば、今ある車でも、「車に興味のない人」は満足しています。彼らは、未来の車がどういう方向性のものになろうとも、その車を買うのです。しかし、彼らの消費行動だけでは、この未曾有の危機から自動車メーカーが立ち直る事はできません。だからこそ、「車に興味のある人」のニーズを満たす必要があるのです。

    その際、車のメカニズムの問題に手をつけることなくして、この問題の解決は図れません。そして、そこにこそ、自動車メーカーの生き残る道が開けるのです。

    家電メーカーや電池メーカー、モーターメーカーに、簡単に取って代わられるようなノウハウしか持っていない企業に、明日はありません。

    いかにも銀行からの出向者が言いそうなことを「したり顔」で話す役員は、「リーダー」として失格です。

    車であることを否定した結果、訪れたのが、今の「惨状」です。

    2009.01.29 20:56 URL | 武車小路 #oLj2bSLQ [ 編集 ]

    >だから彼女達は、それらをアシストしてくれる「パーツ」に、強いこだわりを示します。彼女達の興味の対象は、車がもたらす「空間」であったり、「体験」、「行楽」です。

    >一方、男性陣の興味の対象は、車という「モノ」、そのものです。


    現代の多くの男にとっても、車は何かをするための道具、脇役であり主役で無いということを、古い車マニアの人は自分の趣味から来る固定観念からどうしても認めることを拒否したがる傾向があるようです。

    それは一種の成熟です。枯れたといっても良いかもしれません。



    そして武車小路さんのいう「メカニズム」などという狭い価値観限定の「車に興味のある人」を今更満足させたところで、現在、そしてこれからの車業界の危機にほとんど関係ありません。

    未来の大規模な構造的変化に備えてたとえば車の家電化の未来に備えるべきであり、世界のメーカーは実際そうしています。

    2009.01.29 21:32 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    現代の大衆車を30年前の人が見たら、どれもびっくらたまげるハイスペックマシーンに見える事でしょう。目盛りに針が1970年当時、若者の憧れの的だったハコスカだって、スピードメーターの「180km」の届くことは無かったと聞きます。どこで満足するかという問題です。たぶん、簡単に180km出せる今の大衆車に満足して乗っている人が正常です。これほどまでに高性能、多機能化した現代の大衆車に物足りなさを感じる私の方が贅沢の極みの中にいる異常な人間だと思ったりさえします。武者小路さん自身はどう思われますか?

    2009.01.29 22:44 URL | H #- [ 編集 ]

    メルセデス、BMW、ポルシェ、レクサス

    これらの車を買う人々は、時代遅れにも車なんかに価値を見出して、まったく可哀想な人達だ。

    abcdさんの目には、そう写っているのでしょう。

    しかし、その可哀想な人たちは、本当はもっと多く存在するのです。お金の問題さえ解決されれば、それらの車を買っても良いと思う人は、実際に購入している人よりも多く存在するのです。それが、取るに足らない数だと言うのでしょうか?

    ただ私は、日本車メーカーが、「プアーマンズ・メルセデス」や「プアーマンズ・ポルシェ」を造ることが良いことだとは思っていません。

    それらの車では、存在感が大き過ぎる。

    時代に適合しない。


    だからこそ、日本車らしい、クレバーで合理的なパッケージングの車が誕生する事に期待するのです。

    2009.01.29 23:23 URL | 武車小路 #fpVTEXk6 [ 編集 ]

    >メルセデス、BMW、ポルシェ、レクサス
    これらの車を買う人々は、時代遅れにも車なんかに価値を見出して、まったく可哀想な人達だ。
    abcdさんの目には、そう写っているのでしょう。



    なにを言っているのか分かりません。
    買う人が見出している価値が、必ずしも武車小路さんのいう「メカニズム」だけでないだけですよ。
    可哀想なのは、そのような狭い価値観でしか物事を語れない人でありましょう。
    SUVのカイエンを買っているセレブの女性は、エンジンの細部をまともに見たことも無いかもしれませんよ。



    >それが、取るに足らない数だと言うのでしょうか?


    私はそう思っています。
    基本的にメーカーは売れるものを作らない理由はありません。
    時代の変化で後に続くべき購買層が貧弱化したのが一つの大きな原因です。


    そして、メーカーにもこれから資産を限られた箇所に集中すべき展開が待っているでしょう。
    いわば自動車ファンのリストラが必要かと思われます。

    2009.01.29 23:59 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    現代の自動車は、高性能化して、大衆車でも時速180kmを出す事が可能になりました。

    しかし、日本の公道において、180kmの速度が出る事は、何の意味もなさないことです。もちろん、パワーに余裕がある事は、多人数で乗った時や、アクティブ・セーフティに貢献することは事実です。

    ただ、大衆車においては、「潔さ」も必要です。不必要な「最高速度」を捨てることで、「燃費」も「運転の面白さ」も両立した「魅力的な車」が生まれるのではないでしょうか。

    2009.01.30 00:07 URL | 武車小路 #8CTGVRY6 [ 編集 ]

    巷にあふれる大衆車は、スポーツカーを除いて「最高速度」に不必要に挑戦しているわけではありません。
    昔は実用域でも車の基本性能が低く、スピードの価値が全然違いました。速さそれ自体が刺激であり、価値になりえました。
    現在は昔と比べて単純に技術進歩で車全体の性能が底上げされたのであり、普通の車が昔のスポーツカーの速度が出せて実用域で十分なだけです。


    2009.01.29 22:44 URL | H
    で述べられていることはそういうことでしょう?


    最高速度を捨てても、それと引き換えに何かを得られるという事ではありません。
    もともと何も犠牲にしているわけでもないのですから。

    2009.01.30 00:20 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「資本の集中」

    経営者が間違いを犯しやすいポイントの一つですね。

    ポルシェが「ケイマン(誤→カイエン)」というアメリカの富裕者向けの「おいしいビジネス」に成功したのは、911という「芯のある商品」を持っていたからです。

    「911」を造るポルシェの「ケイマン(誤→カイエン)」なら、間違いないだろう。アメリカ人は、そう思ったのです。

    実際、ポルシェは、その事でビジネス的に成功しました。技術者、ニンマリ。「アメリカ人は、ちょろい」

    しかし、「ぼろい商品」ばかりを並べても、「ぼろいビジネス」は成立しません。フェラーリ社にクレームをつけたという、ランボルギーニの創設者みたいな、マニアックな顧客に育てられることによって、「良い製品」は育つのです。そして、その核となる「良い製品」なくして、「ぼろいビジネス」は成立しません。

    常夏のハワイのような環境に、誰にも邪魔されずに住めたら、最高だと思うかもしれませんが、実際は違っています。その結果、訪れるのは、「堕落」です。

    ※すいません。「カイエン」のことを言うつもりで「ケイマン」としていました(1/31)

    2009.01.30 00:38 URL | 武車小路 #Mbb3oaf6 [ 編集 ]

    この間、友人がインテグラType-Rからフィットに乗り換えました。インテグラに飽きた訳でもフィットが特別好きな訳でもありません。「こんなご時勢だからしょうがない」と言っていました。同様の理由でランエボからカローラランクスに乗り換えた同僚もいます。しかし、そう言いながらも彼らは、「フィットはイジリ甲斐があるな!」とか、「ランクスの走りは思った通りイイ!」と新たな楽しみ方を見出しています。この姿を見ると、購入時に「なんでもいいや」で買ったのでは無い事がすぐに分かりました。無数に存在する格下の車の中から確実にフィットなりランクスを選択していますし、気に入っているようです。一方、ベントレー・コンチネンタルGTを購入した知人は4ヶ月もしないうちに「飽きた」と言って売却しました。そして数ヵ月後、新車のインプレッサSTIを嬉しそうに運転してました。車の評価基準は人それぞれかなり異なるので難しいです。結局のところ真に粗悪な車なんて存在しないのではないでしょうか?

    2009.01.30 00:56 URL | H #- [ 編集 ]

    911のマニアックな呪縛から四苦八苦していた頃のポルシェの経営が一時期本当に危なかった過去を忘却しても仕方ないと思いますが。
    全く理解できかねますね。


    >しかし、「ぼろい商品」ばかりを並べても、「ぼろいビジネス」は成立しません。フェラーリ社にクレームをつけたという、ランボルギーニの創設者みたいな、マニアックな顧客に育てらることによって、「良い製品」は育つのです。そして、その核となる製品なくして、「ぼろいビジネス」は成立しません。


    車というビジネスが「ぼろい」ことを出きると思っているメーカーの人などいないと思いますよ。
    開発費ばかりかかって不安定で、おいしい商売ではないです。
    これから店じまいするメーカーが出てくるでしょうね。


    ポルシェとフェラーリが成功しているのはブランド戦略を含めてバランスよく巧みにやったせいですよ。
    「マニアック」に偏っていたら駄目だったでしょう。車ビジネスはそうなんですよ。


    「マニアックな顧客」が起こしたランボが倒産して現在まで転がってきたのは付録として参考にしておきましょう。

    2009.01.30 01:02 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    速度で語ったのは間違いでした。あとスピードメーター云々の文章がズレてました。すみません。昔は箱根の峠も越えらない非力な車が普通に売られてたのに対し、現代ではそんな車は存在しません。車の進化は飽和状態に来てると言いたかったのです。大昔に制定された法廷速度をもっと緩和してもいいくらい車の性能は向上したと言いたかったのです。そんな現代の車の駆動方式や操作性に不満を持つ必要は無いのではないか?という事もです。車の家電化。大いに歓迎です。

    2009.01.30 01:13 URL | H #- [ 編集 ]

    車が宙を浮いて走る時代が来年到来したとしても人々の車への感心の薄さは変わらないような気がします。「タイヤが無くなっただけじゃん」みたいな。。。
    そこに狂喜乱舞する人もまた一部のマニアなのでしょうね。
    誰もが所有して喜びを味わえる車が登場するとしたら、それはどんな姿をしていて、どんな乗り物になっているのがベストなのでしょうか?

    2009.01.30 01:32 URL | H #- [ 編集 ]

    250ccバイクは、スピードメーターに200kmまで刻まれていても、実際は150km付近で限界を感じます。

    その代わり、街中での軽快なフットワークを感じる事ができます。そして、燃費が良い。

    車でも、2.5リットルか、3.5リットルかという選択肢があります。

    自動車ディーラーの人達は、3.5リットルの方が、アクセルの開度が少なくなるから、むしろこちらの方が燃費が良い、と3.5リットルを薦める場合もあると聞きます。

    まあ、この場合は、搭乗人数の問題であり、ケースバイケースなのかもしれません。

    結局、何が言いたいかというと、やはり時代的には、ランエボというよりは、フィットが適しているという事です。ただ、フィットでは、物足りないと思う事も事実であり、その辺りの隙間を埋める、バイクでいうところの、250ccクラスの軽快感のある車の登場に期待をするのです。

    そして、そのためには、最高速度150kmで十分だという消費者の割り切りも必要になってくるのです。


    その際、本当にFFで満足するのですか?

    2009.01.30 01:34 URL | 武車小路 #d/lF0B.U [ 編集 ]

    バイクもスポーツ型ではなく楽ちんなビックスクーターが売れるご時世ですからね。
    一般レベルでFFがどうしたという話は本気でわかりませんよ、私は。

    2009.01.30 01:51 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    ビッグスクーターの駆動方式はどうなっていますか?

    トヨタとスバルが共同開発するという、コンパクトFRは無価値だということですか?

    2009.01.30 01:56 URL | 武車小路 #82qxOqaE [ 編集 ]

    ビックスクーターの駆動方式がどうであろうがいいと思います。
    電動モーターでも何でもいいんじゃないですか。
    さほど重要なことでもないです。
    特に若者にとっての「軽快」というのは気軽な楽ちんさですからね。


    フツーのコンパクトFR、それは普通の人はいらないんじゃないですか。
    私は無くてもいいと思いますよ。






    街中の軽快感って軽自動車で十分ですよ。

    2009.01.30 02:05 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    FRはオールシーズン乗れないのが難ですね。冬場の凍結路は辛いでしょう。バイクも走れたもんじゃないですよね。雪道をズリズリとドリフト気味に走るのは繊細なハンドル操作やアクセルワークを要求されるので、好きな人は好きかもしれませんが、運転が達者な人でも普通に怖がりますし危ないという事を認識しています。FF車が広く普及した背景はあまり詳しく知りませんが、こういった理由からではないでしょうか?かといって4駆やFFが雪道に対して万能な訳でもありませんが・・・
    インテグラType-Rなど、FFノンターボにこだわりを持って乗ってる方もいますが、FRに乗らない彼らを可哀想だと思いますか?

    2009.01.30 20:10 URL | H #- [ 編集 ]

    ガリレオ・ガリレイは、異端審問で地動説を捨てることを宣誓させられ、軟禁生活を送る事となりました。

    「それでも地球は回っている」

    彼は、つぶやきました。

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015100615


    地球が回っているのか、天体が回っているのか。

    そんな事は、民衆にとって、どうでも良い事です。彼らは、そんな事には関心を示しません。

    それよりも、ニンジンとダイコンの値段の方が大事です。それらは、彼らの生活に貢献します。

    しかし、「車に興味のある人」にとって、この問題は、極めて重要です。「FF」と「RR」とでは、「天動説」と「地動説」ほどの違いがあるからです。そして両者では、「得られる結果」が全く違っています。

    これは、「一般大衆」の話ではありません。

    「車のメカニズム」に関心を示す人々が、どれだけいるかという話です。現代において、マニアックな層が、どの位いるかという事です。これは、想像する話ではありません。調べれば分かるのです。

    では、どうすれば分かるのか?

    本屋に行けば良いのです。

    書店のメインストリートでは、自動車雑誌が、まだ巾を利かせています。「マニアックな雑誌」の発行部数を調べれば、そのジャンルに興味を持つ人の、大よその数を知る事ができます。

    http://www.j-magazine.or.jp/data_001/man_5.html

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%BC

    http://www.hrks.jp/ad_car/car_total/

    そこでメインに扱われるテーマは、「カーオーディオ」や、「デコレーション」ではありません。車のメカニズムや、「乗り味」、「走り」といった、古典的テーマが扱われているのです。そこで人気があるのは、「後輪駆動車」です。それらに関心を示す人々が、雑誌の出版を可能にするだけの母数を今なお維持し続けている。それが事実です。


    数年前、雪が降った翌日に、車を運転をする機会がありました。

    その途中、ちょっとした丘になっているところで、6台くらいの車が立ち往生していました。

    その横を、FF車や4WDが、すいすい駆け抜けてゆきます。

    立ち往生している車は、みなFRでした。「助走」で、解決できるようなシチュエーションではありませんでした。

    結局FR連合は、皆で協力して、一台ずつ押すことによって、この難局を乗り越えました。

    しかし、このようなケースに遭遇するのは、数年に一回、あるかないかの話です。このレアケースの事例を理由として、FRを捨てようと思ったりはしません。それは、あの時、あの場に居合わせた皆の共通の意見でしょう。「ポルシェ911」が、「マツダ・ロードスター」が、FFになって喜ぶ人など、いるはずがないのです。

    しかし、これが、東北地方だと、話は変わってきます。

    それらの地方に住む人々は、積極的に、FFや、4WDを選択しようとするでしょう。そして、それらの判断は、合理的であるかもしれません。

    すなわち、駆動方式は、環境や使用目的に合わせて、自由意志で選択するものなのです。「実用」と「趣味的要素」が上手くバランスされた車こそが、その人にとっての「理想の車」です。

    問題は、現代では、後輪駆動を選択しようにも、それらの車が、簡単に購入できないことにあります。魅力的なFF車は、既にマーケットに存在していますが、後輪駆動車はスッポリ抜け落ちているのです。と言うことは、潜在ニーズは、確かにあるはずなのです。

    しかし、日本車メーカーは、二の足を踏みます。

    「スポーツカー、スポーティーカーは、今の時代、売れない」

    そりゃそうです。現代では、「スポーツカー」に乗ること自体が、かっこ悪いのですから。今は、SUVのような車の方が、かっこいいのです。消費者は、「かっこ悪い車」より「カッコイイ車」を選びます。

    しかし、「かっこいいSUV」にも、難点があります。SUVは、燃費が悪い。スポーツカーのような、「走りの要素」は望めない。

    であるならば、これらの問題を解決する車を開発すれば良いのです。

    あとは、パッケージングやデザイン、価格面を魅力的にする事ができるかどうかです。

    2009.01.31 00:22 URL | 武車小路 #FkkeSIt2 [ 編集 ]

    10個ほど前のコメントで、「カイエン」のことを言うつもりで、誤って「ケイマン」としていました。すいません。

    2009.01.31 01:32 URL | 武車小路 #ryfh9ejo [ 編集 ]

    自動車雑誌の全体的な減少を見ればどれだけ車に興味が薄れているか分かりますね。
    そして雑誌の種類の変遷も感慨深いものがあります。


    「VIP CAR」なんかががいまだにあんなに売れているですよね。
    そこの車は、いわゆる「FR」が殆どですが、ドライビングプレジャーとしての「FR」とは勿論違います。
    いまや車はファッションや音楽などのライフスタイルの他の要素とリンクしてるんですよ。
    「FR」なんて記号で切り取っても、スタンドアローンのPCみたいなもので面白くも何とも無い、無価値なんです。
    マニアック系雑誌の「FR」というのは殆ど単なる“ネタ”と化しています。
    コンパクトFRが車好きの若者に大きくヒットする現象なんて、おそらく車雑誌の編集部も信じていないです。

    2009.01.31 01:32 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >そりゃそうです。現代では、「スポーツカー」に乗ること自体が、かっこ悪いのですから。


    >であるならば、これらの問題を解決する車を開発すれば良いのです。



    スポーツカーだけでなく、普通のセダンも格好悪いです。


    そして、これを解決する車の一つがSUVなどの車になっています。

    問題ありません。

    2009.01.31 01:36 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    解決策、選択肢は、多い方が良いのです。

    2009.01.31 01:48 URL | 武車小路 #4aCNZvgE [ 編集 ]

    おそらく武者小路さんの理想とされる車は今後も低価格帯で市場に投入される事はほぼ無いと思います。そもそも需要が少ない分野ですから。作れる技術はあっても、そっれを欲しがる人がいなければ作る理由が無い。これがメーカーの率直な意見でしょう。でもメーカーだって車作りに誇りがありますし、採算がとれない事が分かっていても少数のファンの為にFR車を送り出そうという動きも見られますよね。実際はお蔵入りになってしまうプロジェクトばかりで私もやや寂しく思っているところではありますが。。。
    FRにするという事は前方に積まれたエンジンから動力を後輪に伝達しなければならない都合上、必然的に部品点数や材料費はFFよりも増加するでしょう。その時点で製作コストはFFよりも高くなりますよね。仮に極限までコストを削減したFRの軽自動車が完成したとします。FFの軽自動車に対し5万円高です。しかし購入を検討する一般の目から見たら、ほんの1-2ヶ月の間にせよ冬場に乗れないFRにあえて5万円高い値段を出して買う事は無謀な行為になるのです。こんな無謀な賭けに出た旦那さんは、奥さんからビンタされてもおかしくないんです。なので、武者小路さんのような熱い方は、ご自身の理想を具現化するために製作を依頼するという方法を取るのが一番だと思います。これをやってのけた知人もいます。世界に2台しかない自分だけの車に彼が酔いしれた事は容易に推察できます。自分は自動車メーカーが出し惜しみする状況で指をくわえて待つしかない立場ですが(泣)

    2009.01.31 02:17 URL | H #- [ 編集 ]

    全然関係ない話になってしまいますが、以前
    業界で著名な方と会食の席でお話する機会がありました。(H氏と略します)
    同席していた1人が「僕はテスタロッサに乗るのが夢です」とH氏に語ったところ、「あんな車が欲しいのかね」という冷めた返答が返ってきました。色んな意味で驚きました。
    H氏はこう続けました。
    「自分が求めた車は他者もまた同じ気持ちで求めている。テスタロッサに乗る人がどんな人種なのかを見なさい。自慢げに見せびらかす者や金持ちである事をアピールする者。もしテスタロッサを手にしたら、自分の周りにはそんな者ばかり引き寄せる事になる。だから私はテスタロッサは選ばない。」と、そう言っていたのです。
    H氏は〆にこう言いました「良き出会いを求めて自ら出かけなさい。そのために良い車を選び、走り出しなさい。」
    自分の中には存在しなかった、全く異なる価値観を提示された瞬間でした。

    2009.01.31 03:49 URL | H #- [ 編集 ]

    渋谷の街に、ガングロの女子高生達が、たむろしていた時代の話です。おそらく7~10年位前ではないでしょうか。

    当時私は、深夜番組を見ていました。

    その番組には、真っ赤な「テスタロッサ」や「F40」、「ランボルギーニ・ディアブロ」などが登場し、その「カッコよさ」を、オーナーが自慢する内容となっていました。

    その番組のコメンテーター役だったのが、「ガングロ・パツキン・ギャル」。

    爆音と共に登場したその「スーパーカー」を見て、彼女達は、口々に、

    「キモイ」、「ダサイ」、「意味ネーシ」

    を連発し、メッタギリしていました。


    その時私は、寺の和尚さんに喝破されたような衝撃を受けました。

    確かに、それらの車は、いでたちからパフォーマンスまで、大衆車のそれとは全く違っており、「非日常」を感じさせる逸材です。工業製品としても、超一流。だから、「車好き」に「憧れ」を抱かせ、「インパクト」を与える存在であり続けています。

    しかし、それらの車は、あまりにも背が低くて、居住性が悪く、何も積めない。横幅がありすぎて、出先での駐車スペースを探すのも一苦労。意味がないほどに、すさまじく加速し、燃費はすこぶる悪い。無用な排ガスを、爆音と共に撒き散らす。


    彼女達が一瞬で見抜いた「感想」こそが、「世間の目」というものでしょう。

    その事を悟ったとき、私は、「車好きの視点」と「車に興味がない人の視点」の両方を同時に持つようになりました。

    武車小路が誕生した瞬間でした。

    2009.01.31 04:54 URL | 武車小路 #gcd0PQjs [ 編集 ]

    日本でスーパーカーは女性には全然人気ないです。


    とはいえ

    >2009.01.31 03:49 URL | H

    で出ている重鎮さんの訓話みたいな話も全くつまらないものだと個人的には思いますが。





    >その事を悟ったとき、私は、「車好きの視点」と「車に興味がない人の視点」の両方を同時に持つようになりました。



    そうですか。
    失礼ながら武車小路さんがそうであるとは全く思えません。

    2009.01.31 07:32 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    日本車メーカーのコンセプトカーを見ると、未だにデザイナーが「スーパーカーの幻影」を追っている事が分かります。

    しかし、そのような古典的アピアランスのスポーツカーは、少量生産のメーカーにしか、もう生き残りの道は残されていません。だから大衆車メーカーたる日本車メーカーは、新しい「スタイル」を提案していくことが求められるのです。

    その際、その方向性の正しさを判断するためには、「ガングロ・パツキン・ギャル」に協力を仰ぐのが良いでしょう。

    日本に、まだ生存しているかどうかは知りませんが。

    2009.02.01 03:14 URL | 武車小路 #dhJC/aEA [ 編集 ]

    「コンセプトカー」と言っても、環境カーからフラッグシップのスーパースポーツまで色々ありますが?
    おかしな幻影など感じたことはありませんが。

    日本車メーカー=大衆車?
    レクサスやアキュラのプレミアムブランドの頂点にスーパーカー的なデザインを置くのはビジネス面からでも特に不自然ではありませんよ。
    むしろ新型NSXはスーパーカーデザインを取るべきだと思ってましたがねえ。

    武車小路さんの言っていることはさっぱりわかりませんよ。

    2009.02.01 05:41 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    友人が80万円の自転車を購入を検討競輪選手が乗していると言いながらカタログを見せてきました。競輪用の自転車ですら60万前後なのに更に上のグレードなのだそうです。ツールドフランスやトライアスロンで用いられる自転車でしょうか。自分は7980円のママチャリです。自転車に全くこだわらない自分はこの時、「自転車にそんな金突っ込んで意味あんの?」と突っぱねてしまう事も可能でしたが、自分はその世界の深みを知ろうとして、彼が見せてくれたカタログをじっくり読みました。自分の中の自転車の世界が広がりました。本人が興味を示さなければどんな分野のモノも浅い知識でしか評価できません。売り上げNo.1のモノだけに安心感を求めてお金を出すことしか出来ない人間になってしまうのって、どうなんでしょう?間違いは起きないかもしれませんが、こだわりの1つも無い生き方って、つまらないですよ。感性が人それぞれ異なるのは自然な事です。自分はここで皆さんのやりとりを見ていろいろ勉強させてもらってます。

    2009.02.01 17:48 URL | H #- [ 編集 ]

    80万の自転車。

    ディープですね。そういう世界があるとは知りませんでした。

    その値段で、需給関係が成り立ち、その製品を購入する消費者が満足するのであれば、それは素晴らしいことですね。

    ちにみに、私も自転車が好きで、よく利用します。

    10万円位しました。

    2009.02.01 23:23 URL | 武車小路 #EYq31CFQ [ 編集 ]

    トヨタiQは新時代の一つの提案ですね。モーターショーを経て、販売を実現したモデルですから画期的です。
    なので、この車がどうというよりは、新しいプラットフォームで技術を世に示したものです。それの販売が実現したのですから、ラッキーな車です。

    2009.05.15 15:19 URL | 通りがかりの幽霊 #- [ 編集 ]












    管理者にだけ表示

    トラックバックURL↓
    http://japancardesign.blog59.fc2.com/tb.php/125-2997b31b

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。