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プリウスにもレクサスHS250にも満足しない大人達への新提案。プレミアム・ハイブリッド、「トヨタ・サイ(SAI)」



プリウスでは満足しない上級志向の顧客へ

  • SAIは「才に満ちた先進性と彩を放つ上質感」からとった車名といい、環境性能にくわえ、走りと作りのよさで、従来のトヨタ・ハイブリッドモデルに満足しない上級志向の顧客へのアピールをはかったクルマだ[OPENERS]
  • 理想のバランス トヨタ新型HV「サイ」

  • 最後まで残った候補が、英語の罪の『SIN(シン)』。『罪なほど美しい』『罪なほど優れている』という意味も込めることができるし、『進』という漢字をあてられる。しかし、さすがに『罪』はどうかとなり、見送った(2009/12/12)[イザ!]
  • 【トヨタ SAI 発表】あくまでレクサスと同スペック

  • レクサスとの価格差が約60万円なのに、スペックに差をつけたりしたら、レクサスにユーザーを根こそぎ持って行かれかねないと考え、あくまで同スペックでやらせてほしいと突っぱねました(2009年12月9日)[レスポンス]
  • 買うなら「ASパッケージ」がお勧め

  • SAIとHS250hを比べると、ベースグレードで約60万円ほどの価格差がある。この価格差は、2/3くらいが装備や仕様の違いによるもので、約20万円くらいがレクサス店のブランド代といった感じになる(2009/12/8)[オートックワン]
  • トヨタ・サイダサイ。クサイ。モサイ。負債。愚妻。不細工。不採用。最悪。最期。再起動。再提出。債務多寡。サイバーテロ。サイア人。「サイ」のように猛進・・・

    「サイ」という言葉から連想される「イメージの悪い言葉」を挙げだすとキリがありません。「サイ」は、昭和の時代に一世を風靡した「トヨタCの法則」にも則っていません。しかもトヨタには、過去に「サイノス」という8年ほどで絶版になった車があったはず。

    にもかかわらず、なぜトヨタが今回の新型車「サイ」に、「SAI」が最適だと考えたのか?

    なぜ、過去の「正の遺産」を無視し続けようとするのか?

    なぜに、「サイ」で良いと思えてしまったのか?



    執拗にそう問いつめてくる友人に対し、私は答えました。

    「確かに、サイ には、プリウスの1.65倍のプライスタグがつけられているさ。それでいて、燃費性能はプリウスの3分の2程度でしかない。見た目も存在感もカローラクラス。ネーミングもサイない。でも、それはそれでありなのではないだろうか?そういう選択肢があっても良いのではないだろうか?なぜなら、プリウスが売れても、カローラやプレミオやマークXのパイを食ってしまうだけだから。経済市場をホットにする要因とならないから」

    「私には、その考えが理解できません。プリウスと同じハイブリッドシステムを搭載するのに、プリウスほどの燃費は期待できない。それなのに値段が高く、カローラと見間違うまでのデザイン。値段相応の車には、全く見えない。だったら、クラウンのハイブリッド版、もしくは普通のクラウンを選択した方が良いのではないですか?」

    「世の中には、色々な人がいるという事さ。お金をたくさん持っていることを自慢する人もいれば、金持ちなのに質素な生活を送る事を良しとする人もいる。自分のためにお金を使うことを生き甲斐とする人もいれば、寄付や奉仕を行うことに全てを捧げる人もいる」

    「つまり、サイを買う人とは、後者のタイプだということですか?」

    「そう、彼らは、奉仕と献身に身を捧げるタイプの人々なのさ。他人が喜ぶ顔を見ることに喜びを見いだす、偉大なサンタクロース」



    「トヨタ自動車にとってのね」



    「メリー・クリスマス!」





    「サイレン・ナイ!」



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    自動車・評判・批評・評価テーマ:ハイブリッドカー - ジャンル:車・バイク
    2009.12.19 | トヨタ | トラックバック(0) | コメント(147) |

    昨日ドライブ中にこの車を見かけました。
    自分の前を走っており(新型のレクサスか)と思いつつ後姿を眺めていたのですが、渋滞に耐え切れなくなったのか、突然Uターンし始めたので全体像を見ることができました。
    その時の第一印象は「小っさ」。
    レクサスのエンブレムを背負っているので大きな車を想像してただけに「アレレ?なにかなこの風格の無いレクサスは?」という疑問だらけに。。。
    後部ドア側面に【Hybrid】のプレートが貼ってあったので(そういう事か)と思いましたが、自分はプリウスの方がいいと思いました。

    2009.12.21 12:20 URL | H #- [ 編集 ]

    つまり、レクサス版の「サイ」を見かけたということですね。

    確かに「トヨタサイ」より「レクサス・サイ」の方が、サンタクロース度指数は、「より高い」のかもしれません。

    「サイ」を購入する事とは、「ユニクロの海外製990円ジーンズ」を買わずに、「3万円の国産ジーンズ」を選択する行為に近いのかもしれません。デフレ脱却を願う、善良なる市民の積極的な選択でもあるのでしょう。

    しかし、その選択は、本当に正しいのでしょうか?

    それが、サンタクロース的な良い決断だと言って良いのでしょうか?

    そのプレゼントの中身とは、ただ甘いだけの「チョコレート」や「キャンディ」ではなかったのか?そのプレゼントが、子供たちの乳歯も永久歯も溶かしてしまうのではないか?

    なぜなら、「サイ」は、3万円の国産ジーンズではないからです。所有者はそう思っているかもしれないが、世間の評価は違っている。彼らはそれで満足するかもしれないが、それでは次の世代が育たない。


    「車ってダサイ」


    その思考が刷り込まれるのです。だから、彼らは、永遠に車を買わなくなる。そんな大人に育ってしまう。


    つまり、「ダサイ」ものを買う行為とは、消費経済に貢献するどころか、日本経済を蝕む元凶となるのです。その安易な行為の代償が、周りに波及するのです。


    だから私は、オモチャ売場で慎重にならざるを得ません。


    10年後、20年後の彼らの幸福を願って。

    2009.12.22 22:41 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    <武者小路様

    サイのレクサス版。そんな感じがしますね。
    街で見かけたのはレクサスHS250hという車種だったようです。

    2009.12.24 12:20 URL | H #- [ 編集 ]

    「罪なほど美しい」

    「罪なほど優れている」

    レクサスHS250hであれ、トヨタ・サイであれ、トヨタの開発担当者が言っている世界観とは随分開きがあるように感じられます。



    そう言えば今年は、こういう方も話題になりましたね。

    「美人すぎる市議」

    「かわいすぎる○○」

    http://di-ve.jp/2009/12/post-826.html

    2009.12.25 00:45 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    若者からすれば、「車がダサい」のではなく、車に煩くこだわっているようなオヤジ人間のライフスタイルや価値観がダサいんですよ。
    このブログでやっているようなことです。

    2009.12.25 01:28 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    人間とは一体何か?

    この問いかけに対して、私はこう答えるでしょう。

    「人間とは、美の捕食者である」

    美しいものを見て「美しい」と思う。綺麗な風景を見て感動する。美しいプロダクトを見て歓心する。素晴らしい製品を購入したいと思う。所有して嬉しく思う。

    これらは、極めて人間的な反応です。その法則に則り、この社会は形づくられています。その反応があるところにキャッシュポイントが作られています。美を通して、人生に彩りが与えられています。

    しかし、あなたは、そういうものを否定するのでしょう。

    「そんなものは、何の役にも立たない。まやかしに過ぎない。風景とは、雨と風が造り出した偶然の産物だ。観光地にある歴史的建造物は、歴代の権力者が民衆と植民地から搾取を行ってきた証拠でしかない。日常使う電化製品や自動車。それらは、機能だけが満たされれば良いのだ。美やこだわり。それらは、人間が犯す過ちだ。脳内分裂症患者達の妄想の産物だ」

    そして、彼女のことも否定するのでしょう。

    「女の子が相撲を行うなんてばかげている。頑張ってもプロになんか、なれっこないのに。同じパワーを使うなら、ウェイトリフティングでもやるべきだ。合理的に考えた上で的確に行動すれば、彼女の綺麗な顔が傷付くこともなかろうに」

    しかし、私の考えは、あなたとは違っています。

    私は、彼女のことを応援します。それは、純粋に彼女が美しいからです。かわいすぎるからです。正直に言います。もし彼女が山田花子さんであったなら、彼女を応援することはないでしょう。同様に「若・貴」が美形でなかったら、1990年代の日本に「大相撲人気」が吹き荒れることもなかったでしょう。

    そして、トヨタSAIの開発担当者の事も応援します。

    「罪なほど美しい」

    「罪なほど優れている」

    その願いを胸に、車造りを行っているからです。今は実現できていなくても、未来には可能性がある事を示しています。

    では、その実現の可能性は何パーセントでしょう?

    1%?10%?

    いいえ、違います。

    100%です。

    それは、彼女の未来と比べてみれば分かります。彼女がプロ力士になれる可能性は、限りなく0%に近いのです。それでも彼女は、夢に向かって、ひたむきに努力しています。精一杯生きています。それが人間というものです。彼女の夢の実現性と比べたとき、彼らの目標が実現できない。そんなこと、あるはずないのです。

    しかし、今彼らは、理想と現実の間に存在するギャップに苦しんでいます。「サイはダセエな」。間違っても、そんな事を口に出すことは許されないのです。反逆者の烙印を押され、村社会から抹殺されるかもしれないからです。

    だから、そこに外部の人間が必要となるのです。

    あなたの批判こそが、社会に求められているのです。



    それでもあなたは、「物分かりの良い批判家」を気取り続けますか?


    それとも、「他人の夢に協力する道」を選択しますか?

    2009.12.26 01:37 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    若者にとっての「ダサい」一例をあげたのであり、私個人のサイについてのデザイン評価も自分のデザイン論も何ら展開してはおりませんので、私についての妄想を楽しむのは止めてください。

    2009.12.26 14:50 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「罪なほど美しい」

    「罪なほど優れている」

    そのような目標に向って、日々製品開発を行っている自動車メーカーの人々を、今あなたは否定しました。


    「極わずかな違い」

    「他の誰にも真似できない独創技術」

    その追求の為に日夜努力を行っている中小企業の社長さんたちのことも、あなたは否定しました。


    そして、「人が何かにこだわりを持つ事」。

    それすらも、あなたは否定してみせました。


    あなたには、本当に「熱い血潮」が通っているのですか?

    それとも、「人口知能」が作り出した「自動コメントサービス」。


    それが、あなたの正体ですか?

    2009.12.27 01:40 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    若者が「ダサい」と思っていることを示したら、何故かそれがイコール私個人の考えや価値観を披露していることになり、さらには私が他者の何かを否定しているまでに妄想がエスカレートしているようですが、理解出来ないことです。
    もともと若者が何をダサいと思おうがそんなことは自由であり、武車小路さんが自分の価値観で若者をマインドコントロールする力も権利も無いんですよ。

    2009.12.27 03:34 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    あなたは「若者」ですか?

    それとも「若者の化身」ですか?


    いいや、違う。


    私の推理によれば、あなたは、そのどちらにも属さない。



    それだけではありません。

    あなたは、勘違いしている。

    若者を誤解している。


    「車にうるさくこだわっているようなオヤジ人間のライフスタイルや価値観がダサい」

    そうではないのです。

    彼らにとっては、車が「熱中する対象」ではないだけです。



    そのことは、彼らにインタビューしてみれば分かります。

    「車に興味ある?」

    「あんまり・・・」

    「何で?」

    「別に欲しいと思わないし、お金もないし・・・」


    では、次の質問はどうでしょう?


    「家の購入に興味ある?」

    「あんまり・・・」

    「何で?」

    「別に欲しいと思わないし、お金もないし・・・」


    ここで、よく考えてください。

    彼らは、本当に家に興味がないのでしょうか?家が欲しくないのでしょうか?

    「テレビゲームの方が楽しいから」

    「インターネットに忙しいから」


    あなたは、まだそんな事を言うのですか?


    それらは、彼らの表層心理でしかありません。彼らは、本音を語っていない。自分自身が見えていない。

    彼らは「欲しい」という「大人の欲求」が生まれる前段階で、「思考停止」に追い込まれているのです。未成熟なまま大人になってしまったのです。ゲームやインターネットに熱中していたら、いつのまにか大人になってしまった。もう後戻りはできない。給料は驚くほど少ない。不幸な現実を直視することはできない。

    つまり、「家が欲しい」。「車が欲しい」。そう思う事は許されないのです。

    だから、「ゲームがあれば幸せです」。そう言って、明るく振舞うしかない。


    しかし、本当は、救いの手を求めているのです。

    「Help me !」

    心の奥底で、そう叫んでいるのです。





    それでも、あなたは言うのでしょう。

    「彼らは、救いの手なんか求めていませんよ。彼らは彼らなりに楽しくやっているんじゃないですか」


    確かにその通り。

    一見、そう見えます。



    しかし、私は知っています。


    彼らが「社会から切り捨てられた存在」であることを。


    「あなたの幸福」と引き換えにして、「不幸」を背負わせている事実を。


    2009.12.27 15:52 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >彼らは「欲しい」という「大人の欲求」が生まれる前段階で、「思考停止」に追い込まれているのです。未成熟なまま大人になってしまったのです。ゲームやインターネットに熱中していたら、いつのまにか大人になってしまった。もう後戻りはできない。給料は驚くほど少ない。不幸な現実を直視することはできない。


    このような文を見るにつけ私はつくづく思うのですが、成熟しているのは社会や若者であり、思考停止や未成熟を持病のように患っているのは一部の車マニアのオヤジ世代ではないのかと思ったりします。
    しかし、「心の奥底」ではそのことに薄々気づいており、だからこそ他者の違う価値観を提示された際に自分の存在を丸ごと否定されたような過剰反応に及ぶのかもしれません。
    この場合、彼らの「不幸」は自身の未成熟な精神が生み出しているわけで、社会や若者や車メーカーに責任はありません。

    2009.12.27 17:06 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >「車にうるさくこだわっているようなオヤジ人間のライフスタイルや価値観がダサい」
    そうではないのです。
    彼らにとっては、車が「熱中する対象」ではないだけです。




    車というカテゴリがかつてのように熱中する対象ではなくなっており、ゆえにそんなものに熱中するオヤジ人間のライフスタイルや価値観がダサいという訳ですね。
    客観的に見ても自然につながっているではないのですか。
    「そうではないのです」という部分で別個に識別する理由が存在しません。


    ところで、若者の家に対する関心の問題には興味がありますので、車に若者が興味が無いという同じ問題発生レベルでもって家にも興味が無いというデーターをお願いします。

    2009.12.29 04:24 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「最近の若者は、何も分っちゃいねえ」

    若者の行動と言動を見て、オヤジが嘆く。愚痴る。

    これは、有史以来、何度も繰り返されてきた光景です。オヤジ達は飲み会の席で若者に講釈を垂れることで彼らを教育し、世代間ギャップを埋める努力をしてきました。

    しかし、この問題は、その深刻さを増しているのです。これまでとは、明らかに状況が違ってきています。私が繰り返し繰り返し問題提起を行っている理由は、まさにそこにあるのです。


    これまでは、「前時代的な文化を押し付けるオヤジ」と「古い価値観に反発する若者」が対立する構造が成り立ってきました。

    しかし、今は、その図式が成り立たない。

    若者が「対談の席」にいないから。

    それは、若者が「会社行事」に参加することよりも「プライベート」を重視するようになったから?若者は「自我」が強いから?会社よりも家族を大事にする欧米スタイルの影響?

    違います。

    若者には、「飲み会の席」が与えられていないのです。

    「派遣労働者」だからです。



    だから、「断絶」が生まれたのです。

    「成熟した文化」が継承されない状況に陥っているのです。

    今正に、「車文化」が失われ、「車が売れない構造」ができあがろうとしているのです。


    もちろん、あなたにとって、そんな事は、どうだって良いことなのでしょう。日本車メーカーなんか、みんな潰れてしまえ。家電メーカーにとって代わられてしまえ。その方が好都合。むしろ、せいせいする。そう思っているのでしょう。

    しかし、日本経済が発展するためには、日本車メーカーの頑張りが不可欠である。日本車メーカーの発展なくして日本の繁栄はない。明るい社会の実現のためには、日本車メーカーの更なる発展が必要だ。そのために彼らを応援したい。それが私の考えであり、私のスタンスです。



    そしてそれが、あなたとの最大の相違点です。

    2009.12.29 08:11 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >若者には、「飲み会の席」が与えられていないのです。


    かつては飲み会でオッサンから車趣味を伝授されていたのが若者の車好きの根本として存在したのですか?
    それをやりたい武車小路さん個人の願望や幻想を披露したところで、昔もそんなものが原動力となっていませんし、普通の若者はノーサンキューでしょう。

    蛇足ですが、現在、“若者の車離れ”とともに“若者の酒離れ”という現象も見られます。



    >「成熟した文化」が継承されない状況に陥っているのです。


    単なる車趣味レベルのものでしかないものが「成熟した文化」とはあまりにも誇大過ぎます。
    全体像を見ればむしろ今までが未成熟だったのであり、ある意味現在が成熟したカタチとなっています。


    車を多く売りまくることが正義であり、国民誰もが車という憧れ商品のためにカネや情熱を必死に注ぎ込んでいた風景・・・これは日本が文化的に未成熟、先進国へ向かって発展途上だった風景以外の何物でもありません。
    そういうメンタリティから自然に脱皮しつつある文化、経済の頑張る方向を今までと別方向に模索するアプローチ、今現在が成熟したステージとして存在しているんでしょう。
    武車小路さんがこのブログにずっと書いている内容は、成熟とは正反対の、「昭和時代」という子宮へ帰ろうとする未成熟状況への回帰願望です。

    2009.12.29 19:56 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「部長、車を買い換えたんですか?さすがに高級車は、乗り心地が素晴らしいですね。静粛性も優れていますね。私もいつかは、部長のように高級車をかっこよく乗りこなせるようになりたいな」

    心にもない言葉を口にした過去があることを、私はここに告白しなければなりません。もちろん私は、高級車に憧れたことなど一度もありません。

    しかも、それだけではないのです。

    「奥様の手料理は最高ですね。部長が早く家路につかれる理由が分かるような気がします。私もいつかは、部長の奥様みたいな綺麗な嫁さんをもらって、素晴らしい家庭を築きあげたいです」

    休日ともなると、私は会社の野球チームの応援席で、ゴマすり活動を行っていました。

    しかし、その活動では、思わぬ収穫がありました。人事部の女性陣との接点は、そこで生まれたのです。試合に際しては、対戦相手の応援チームと仲良くなる事もありました。その際、あると都合が良い存在が、「マイカー」だったのです。だから、ちょっと背伸びをして、かっこいい車を購入したりもしました。

    それに、野球部の存在を口実として飲み会が開かれることもあったのです。そこで知り合い、意気投合した女性が、今の・・・

    でも、時代は変わりました。

    会社規模の大小を問わず、運動部は廃止の方向に向ってしまいました。企業に余力がなくなったからです。

    だから、飲み会が少なくなり、結婚の機会が減り、同時に車の出番も少なくなりました。半強制力を伴った消費機会が減ることで、人々の生活が縮小に向かい、街に活気がなくなりました。

    ただそれらは、あなたの言うように、ある種の哀れみを誘う昭和の原風景だったのかもしれません。だから、今の若者にとっても、魅力的なものとは写らないのかもしれません。



    しかし、この事だけは、決して忘れてはならないのです。


    日本人は、欧米人とは違う事を。

    日本人は、「団体行動民族」であることを。


    日本人は、集団の中で上手く生き延びる為に、消費活動を行うのです。

    飲み会、ファッション、習い事、ゲーム、レジャー、車。

    それらは、主として集団との関係性から選択されます。だから、日本人が「集団」を捨てて「個」をとろうとするとき、消費が生まれない構造ができあがってしまうのです。それは、必然であり、日本人にとっての悲劇です。



    なぜなら、「個」など、初めから存在しないのですから。


    2009.12.30 14:32 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    無料でレクサスと軽トラックを差し出されたら、どんなに「クルマにこだわりは無い」と発言している若者でも確実にレクサスを頂くでしょうね。そのくらいの「こだわり」は世代を問わずあると思いますが。。。

    2010.01.06 12:30 URL | H #- [ 編集 ]

    日本がクルマを売りまくる体質から脱却した方がいいという考えはabcdさんと同意見です。生産規模の増減は、デザインの良し悪しとは関係ないですしね。

    2010.01.07 12:14 URL | H #- [ 編集 ]

    「こだわり」は、非常に重要なキーワードです。

    「こだわり」は、「プロジェクトX」や「情熱大陸」にも、繰り返し登場します。「こだわり」は、生産者にとっての「行動規範」です。同時に、分別ある消費者は、生産者の「こだわり」に反応しています。

    つまり「こだわり」は、「まやかし」や「セールス向上を目的としたテクニック」や「前時代的な概念」ではなく、消費社会に対し普遍性を持つ「モチベーション」です。「低価格×大量消費型社会」から脱却する際に鍵となるキーワードです。

    一方、「こだわり」の対義語は「無節操」。私はそう位置付けます。

    「無節操」から生み出されるプロダクトは、一見合理的でクレバーで、企業と消費者、双方に利益をもたらすようにも見えます。「無節操」で何が悪い?そう思う人も多いかもしれません。

    しかし、「無節操」は、「価格」だけを追い求める「無節操な消費者」を生み出します。自分達だけが良ければ良いという「無節操な社員」を生み出します。「尊敬できる人、信頼できる人が、どこにも存在しない。信用できるのは金だけ」。「無節操な人々」による「無節操な消費者」を対象とした「無節操な社会」が出来上がります。

    その代償としてもたらされるのが「デフレ」です。「息の詰まるような人生」です。「幸福感に乏しい日本」です。

    今の若者の「車に対する興味」は、この世相を反映しています。彼らは、決して車が嫌いな訳ではない。

    「選択すべき積極的な理由」がどこにも見当たらないのです。「価格」しかメリットがないから。

    それは、日本人が「生きる理由」を見いだせない構図とも似ています。

    「働くしかないから、ただ働く」だけ。「結婚する理由が見当たらないから結婚しない」だけ。「できちゃったから結婚する」だけ。「嫌いになっちゃったから離婚する」だけ。「生きるしかないから、ただ生きている」だけ。

    この「理想」と「現実」との間に横たわるとてつもない「ギャップ」は、立ち止まって真剣に考えると恐ろしくなるほどです。だから、目をそらすしかない。考えずに済ますしかない。結局、自分達にはどうすることもできない。

    だから、レクサスの開発担当者は、その悲痛な思いを暗号として車名に埋め込み、次の世代に託すことにした。


    それが、「差異(SAI)」です。

    2010.01.07 22:26 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >信用できるのは金だけ」。「無節操な人々」による「無節操な消費者」を対象とした「無節操な社会」が出来上がります。


    武車小路さんが書いている「日本経済が発展」「消費が生まれない」、これがまさにそうです。
    武車小路さんの言っていることでまともな部分を選出して突き詰めていくと結局いつもカネの問題しか残りません。
    それを自分の趣味や文化とか愛とかいう単語で粉飾する常習行為が非常に奇異なんですね。


    「息の詰まるような人生」というのは車の消費に追い立てられていた過去の時代そのものであり、それはモデルチェンジごとに車を買い換えてくれるような「無節操な消費者」によって支えられていました。
    全くあべこべなんですよ。
    若者にはその様な時代を生きてきた親父世代の車マニアには分からない「幸福感」や「生きる理由」の選択肢などいくらでもあるということでしょう。

    2010.01.07 23:35 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    小学校の教育から見直さないといけないかもしれませんね。美術や図工といった教科が軽視されすぎですし、普段の生活でも美的感覚やセンスを磨く場など、ほとんどありませんから。日本は悲しいことに。

    ・週末に家族で美術館へ行く。

    普通の家庭なら、1年に1回あれば良い方でしょうか。。。

    産業は十分すぎるほど発展したと想います。

    これからは、文化的に充実した国を目指して欲しいと思います。

    そうなればクルマのデザインも向上しそうです。

    2010.01.08 12:26 URL | H #- [ 編集 ]

    つまり必要最低限機能の車は生産者が無理しているということですね。
    車はデフレを止める起爆剤になりえると思いますよ。
    結局は、生産者にも購入者にも首を絞めているのですからね。デフレスパイラルは止めないといけませんね。そのためには、車の価値を高めることが必要だと思います。
    熱中できる、少々割高でも購入したいと思わせるものも作ること。
    車がどんな形になっても重要な機関産業であると思います。

    2010.01.08 13:13 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    「結婚する理由が見当たらないから結婚しない」
    「できちゃったから結婚する」
    「嫌いになっちゃったから離婚する」


    こんなものを出して「生きる理由」を考察する上でマイナスの現象ととらえている武車小路さんは相当変だと思います。。
    むしろ自分の「生きる理由」を優先するからこうなっているのだという考えがあってもいいはずなのに。


    結婚して一人前、できちゃった結婚は不道徳、嫌いになっても離婚できない、というような昔の光景に存在するのは形式であり中身の「生きる理由」なんか必要なかったんですよ。


    今時の人間や若者から見れば武車小路さんのアタマの中身が「息の詰まるような人生」であり「未成熟」でしょうね。
    おそらく、「ギャップ」があるのは若者内部の理想と現実の間ではなく、武車小路さん内部の理想と現実の間にあるのでしょう。
    そこから「目をそらす」「考えずに済ます」ために空想でテレパシーを受信して相手の意識を読み取って「ギャップ」の辻褄を合わせようという作業になっているのではないでしょうか。

    2010.01.08 19:58 URL | abcd #90nHdI4o [ 編集 ]

    現在の若者の自由さ=幸せか否か
    という議論ですね?

    自身が自由なために周りに弊害があることはありますね。
    自身が自由なため結婚しなければ、親を看る人数は減る。親にも自身にも負担。「孫の顔が見たい」
    自身が自由なため自身と配偶者の幸せのために離婚すれば、幼い子に負担が及ぶ。
    自身と配偶者が自由なため子沢山にすれば、家計は火の車で生活に負担が及ぶ。
    物を買うのは個人の自由です。しかし、変なものを支持すると、回り回って弊害が他社を介して他者に及ぶ。
    A社拡大のため、B社倒産。
    昔の拡大家族は、特に嫁に負担が及ぶ。
    どれを選択しても、どれかに害が及びます。つまり、自由な事は自身が幸せ。自身が不自由な一方で、他者が幸せか不幸せかは関係しない。

    今の社会は昔と違い、バブリーな未来は見込めないじゃないですか?そして、物はあるし困らない。それゆえに今の若者は堅実に細く長くという思いで生活していますよ、きっと。生活第一の民主党も勝ちましたし。バブリーを知ってる大人達もそういう細く長い生活をせざるをえません。
    金が車に回らないから買わない。しかし、
    しかし、消費の落ち込みは雇用を減らし国民の生活に回り回って害が出ると思います。
    失業者は増え、介護業では不足している。

    2010.01.09 11:58 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    昔のバブリーな日本はヘタでも熟れる、売れる、業者は金を得れる。バブル後、車にぶら下がり、その売れ路線だけは継続され、売れないといけない策略に走った。車の個性は無視され、似たような車が氾濫する。そのような車は価値が低く、よって低価格でないと買わない人が多い。だから若者は車に価値は見い出さない。だから、文化的にして価値を上げ、個性を出し無二の車を作るブランドが乱立する日本が好ましいということですね?
    EU連合を模範とした道州制も言われていますし、日本は風土もヨーロッパと似ていると言われています。この際、アジアのヨーロッパを目指し、成熟した日本を作りましょうか。

    2010.01.09 12:40 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    浅田真央、安藤美姫、中野友加里。

    日本には、一流のフィギアスケート選手が存在します。

    彼女たちは、銀盤のステージで高く飛び、華麗に舞い、見る人を魅了します。

    彼女たちにとってフィギアスケートとは、金銭を得るための職業であると同時に、人生の大半を共にする「かけがえのない趣味」でもあるのでしょう。生涯を通しての趣味がある。熱中できるものがあるということは素晴らしいことです。

    ただ、残念なことに、「スケートリンクで華麗に舞いたい」。私たちがそう思っても、その願いは叶いません。

    だから、私は神に祈ります。

    「神様、私に翼をください。そうしたら、彼女たちよりも華麗に舞ってみせませう」

    しかし、なかば想像した通りではありますが、次の日、朝起きても、翼が羽えることはありません。残念なことに、その気配は全くない。1cmも。1mmたりとも。

    しかし、神様が私達を見捨て賜うことはありませんでした。

    代わりに「自動車」をお授け下さったのです。

    ただ、同時に多くの試練も与え賜うた。この神様は相当のイタズラ好きで、かつ意地悪だった。ギリシア神の多くがそうであるように。

    それが証拠に、「白い天使のような羽」を所望したにもかかわらず、実際届いた商品は、ボツボツのイボがついた、両生類のような風体。

    自由を望んでこその翼だったのに、「前足」は駆動用途に没収。

    「タコメーター」の代わりに、「燃費計」。「ターボ付き」と聞いていたのに、実際は「請求書付き」。

    これじゃあ、華麗に舞えない。自由なんかない。「4回転」なんか出来っこない。人に見られたくない。車に乗る意味がない。

    あなたには、この人類の嘆きが分からないのでしょうか?


    そう、おそらく分からないのでしょう。

    そんな事を言うのは、一部の車オタクだけ。日本車メーカーは、一般大衆を相手にビジネスをしなければならないから、そんなマイノリティを相手にしていられない。そういう客に労力をかけるよりは、他の層を狙った方がよっぽど儲かる。そう言うのでしょう。

    確かに、バブル期の「車を3年ごとに買い代えるような世の中」が、正常であったはずがありません。そこでは、消費者も生産者も何かに追い立てられるかのように落ち着きなく動き回っていました。しかし、最終的に本来の望みが叶えられることはなかった。得られた収入以上に、支出もかさんだ。

    つまり、生産者と消費者が「無節操」に「高頻度に」消費を繰り返すところに「正解」はなかった。

    対する現在は、生産者と消費者が「無節操」に「消費しまくって」いるのではありません。「無節操」に「ユニクロ型消費」へ向かっているのです。誰しもが望んではいないが、さりとて他に選択肢が見当たらない。

    そして、最も悲しむべきは、ユニクロ以外に勝者が存在しないこと。つまり、ここにも「正解」はない。

    だから、基本に立ち帰れば良い。人類の真理を活かせば良い。車は損得ではない。永遠のロマン。人が車に情愛を感じるのは、そこに人類の歴史が刻まれているから。本能に突き動かされるから。ミハエル・シューマッハがF1復帰を望むように。イカルスが天空を目指すがごとく。

    だから、イカルスが望む車を造れば良い。そうすれば、イカルスが車を購入する。

    その際、自動車を電子レンジと混同してはなりません。



    「イカムス」じゃないから。

    2010.01.09 19:08 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >あなたには、この人類の嘆きが分からないのでしょうか



    武車小路さん個人が以前からずっと嘆き悲しんでいるのはこのブログを読んでいるのですから知ってます。
    しかし武車小路さんの趣味にあわすために他人や社会は動くはずも無いのですから仕方の無いことです。
    自動車に“家電化”というキーワードを合わせるだけで拒絶反応を起こして精神が不安定になっている武車小路さんは、自動運転するロボットカーが登場すれば気絶してしまうんでしょうか。
    おそらくそうなるんでしょうね。
    しかしそんなことは他の人間が関知するところではありません。


    現在の中国はかつて自転車に乗っていた人が自動車に乗りたいと邁進しています。
    一方、北欧では環境などへの配慮から自転車の比率を逆にあげようとしたりしています。

    どちらが「成熟」という言葉に相応しいのかと見た場合、それはやはり北欧です。

    さて次は「幸福感」です。
    憧れの自動車を買えた中国の人はとても幸福そうです。
    北欧の人はどうでしょう。
    環境問題に縛られるあまりに「幸福感」の乏しい「息の詰まる人生」を送っているのでしょうか?
    私にはそうは思えません。

    自分の幸福という尺度を人類の規範のように押し売りせざるを得ない人が、「息の詰まる人生」を生きているのだと思います。

    2010.01.09 20:10 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「翼」とは、自由とロマンを体現するためのツールです。大空へ羽ばたくためのギアです。


    その中で、最もハイスペックで高価な翼が「自動車」です。

    日常的で健康的な翼が「自転車」です。


    それらは、シチュエーションによって使い分けるものです。互いに代用はききません。だから、両立します。

    ここで問題なのは、「自由とロマン」を内包しない「自動車」があまりにも多い事です。すなわちそれは、「翼」としての条件を満たさない事を意味します。当然、イカルスは怒ルス。

    自由やロマンがない。夢や希望を描けない。そんな世の中に対し「息が詰まるような思い」を抱くなと言う方が、無理があります。

    日夜ラリーに明け暮れるモータースポーツ先進国の北欧人は、そう言うでしょう。

    もっとも、あなたの知り合いの北欧人に限っては、違うのかもしれません。

    「今日、チャリンコのチェーンが外れちゃってさ。参っちゃったよ。でも、チャリンコの雪道走行はチェーンに限るね。スパイクタイヤよりも」

    2010.01.10 02:10 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >「翼」とは、自由とロマンを体現するためのツールです。大空へ羽ばたくためのギアです。
    その中で、最もハイスペックで高価な翼が「自動車」です。
    日常的で健康的な翼が「自転車」です。
    それらは、シチュエーションによって使い分けるものです。互いに代用はききません。だから、両立します。



    私の出した北欧の事例は、そんな個人の趣味的妄想で自転車への比率を上げているわけではありません。
    環境などのため、ずばり自動車の代用として自転車を提唱しているんですよ。
    私の書き込みを見てもそのまま書いているつもりなんですがね。
    「大空へ羽ばたくため」「自由とロマン」などという脳内フィルターで捏造するのは止めてください。

    2010.01.10 03:12 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    ユニクロのスウェット上下で満足な人と、機能や格好などに気を配って3万円のジーンズでないと満足いかないという人とでは、それぞれ個性がありますよね。どちらも良い。自由。
    ユニクロは成功し、ユニクロが好きなのは好きで良いですが、最近の消費者の大半の考え方として生活の安定が絡んでくるのは必然ですが、何でも「安いが良い」は社会にとってマイナスで危険ですし、そうなれば個々が何に投資(消費)するかに架かっていますよね。代金が安いものは見返りも安いですからね。弱い国になってしまいます。
    少々高くても理想通りに好きなものを買う事が投資では一番ですね。
    近年、オタクが経済を支えていると言われていました。これは、恥ずかしく、オタクにも失礼なことではないでしょうか?大半の財布が閉まってデフレのスパイラルが起きようとしているのに、「あんなものに金を費やすのはオタクだ」と。マスコミも悪い。オタクの消費による資金のお陰で子供が育っていく現実。一方、家の倉に社会の財を溜め込む人々。民主党が勝ったのも、「生活が第一」の文句に乗っかった後者の支持があったからこそ。民主党議員は大半国民の過ちに気付く必要があります。そして、麻生前総理のオタク文化向上を叩いた国民とマスコミと民主党にも。車もオタクで成り立つ部分がないとは誰が言えましょうか。むしろ、価値の向上と強固な購買力ではないでしょうか?これが対デフレスパイラル起爆剤です。
    車でも何でも、個性が育まれて多彩なメーカーが存在する事が日本にとっても魅力になると思いますので。選べるというのは幸せなことですね。
    資本主義も昨年から限界点を見たような思いですね。
    うなぎ登りにならなくていいから、安定してほしい。下がるのは恐いという思い。
    今の日本、相当な「虚を突く」事ぐらいでしか、買ってくれません。例えばどんなに良い液晶テレビが出てもテレビはテレビですから。テレビが無くて困っている訳ではありませんから。地デジには変わりますけどね。車が無くて困っている訳ではなく、abcdさんが仰るように、むしろ車を使わない環境への配慮の心が芽生えてきています。
    勝負しないといけないなら、価値で勝負ですね。
    5~8人乗り乗用車をただ値段を吊り上げるだけでは納得してくれない。
    むしろ、大半をツーシーターにして、贅沢品にして、一般人は車に乗りにくくすればどうか?
    「オタク専用ザクⅡ高機動型」という暗号を記して。

    2010.01.10 03:42 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    「武車小路さんの頭の中は車の事しかないからですよー」と一般論では言うべきことなのかもしれませんが、怯むことは全くありませんね。それは車を作る側が賢く器用に工夫し、処理・加工を施すところです。この議論は終始、車製作の関係者の方には見てもらいたいですね。
    車はかつて、バブリーに趣味のものから、バブリー崩壊により必要なものへ、そして今再びオタク趣味の強固たる、財源へ変わりつつあることを。オタクバブリー。バブリー量産型から、バブリー崩壊特殊多様型、そして今、最底期二極化に分断されようという時。
    今の若者はマニア車と実用車の分別もついてませんよ。我らは50ccバイクを爆音いわして、お家の周りを回ってお巡りさんの御用達になってるのが精々ですから。つまり、将来、地球の過去を知らないスペースノイド一極化になり車に関わる社会・技術・文化は死滅します。未来の日本というスペースコロニーに車の居場所は海外しかなくなります。
    このままでは。
    平成生まれ万歳。

    2010.01.10 04:44 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    自己紹介しときます。
    僕は平成元年生まれで二十歳です。兵庫県尼崎市に在住です。
    仕事は介護職員です。
    旧車が好きで、ホンダが好きです。今は中古で僕と同い年位のシビックに乗っています。20万キロを越えましたが、元気に走っています。金が無いので、買い換えはまだ考えていませんが、ゆくゆくはインテグラに乗りたいと思っています。
    介護業ということで、高齢社会について考えています。

    2010.01.10 09:15 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    20××年、北欧を目指し、成熟されたジャパン。
    空には大型輸送ヘリの編隊が。
    道路には交通渋滞は一切ない。
    日本の都市は緑に覆われ、歩行者天国や公園が多い。

    車が、大衆からマニアに変わる時、遊び心ある自動車文化が出来上がると思っています。
    これから十年以上後かの社会の大衆は、プリウスすら乗っていない。自転車やリニアモーターカー、幅のとらないバイク風電気自動車が移動手段とし、そうした成熟した近未来都市のある日本になると思います。
    その頃は、タクシーはクラウンから三菱iミーヴに変わっているでしょう。自動車会社は「電気バス」を作るでしょう。大型トラックは走らず、鉄道や貨物用リニアモーターカーでしょう。
    飛行機も電気の力で飛んで欲しいものです。もしかしたら100人乗せてマッハで飛ぶ高速大型ヘリコプターになるかも知れない。
    車は到底所有することが出来ない中世の巨大オルゴール的な逸物になるでしょうね。今で言う、実業家のオーディオルームの様に。好きな人は買うでしょうね。これが成熟した日本だと思います。

    2010.01.10 21:36 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    会社に自転車通勤する人は珍しくありません。バイク便にオーダーすると、自転車に乗ったメッセンジャーが現れることもあります。

    また、東京のオフィス街では、宅配業者の「電動アシスト付きリヤカー」を見かけます。京都などの観光地でも、人力車や宅配業者の「人力リヤカー」を見かけることがあります。

    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/household/298192/

    これらは、利に適ったものだと言えます。

    しかし、他の用途や他の地域に適用できるものではありません。

    自転車と自動車の間には、明確な線引きがあるのです。自転車が自動車になることは不可能であり、逆に自動車が自転車になることも叶いません。

    更には、「自動車が売れない」問題は、主として「個人消費」の問題です。一般消費者は「レジャー用途」を視野に入れながら車を購入するのですから、そこに「趣味的要素」を加わえ、消費を刺激しようとするのは、ごく自然な成り行きです。

    つまり、都心部において自転車を積極利用する試みは自然な流れであり、歓迎すべきことでもあります。今後、それらの比率が増える事はあるでしょう。また将来、新たなビジネスモデルを考案した業者からの新しい提案があるかもしれません。

    しかし、それらが完全に「個人向け自家用車」と置き換わることは、ないのです。誰もが「駅前」に住んでいるわけではないからです。

    もっとも、あなただけは、将来の「自転車社会の到来」を確信しているのでしょう。

    そして言うのでしょう。

    「運転手さん、10km先の私の家までお願いします。行き先は、あの山のてっぺんです」


    私には無理です。


    運転手になるのは。

    2010.01.10 22:08 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >自転車と自動車の間には、明確な線引きがあるのです。自転車が自動車になることは不可能なのであり、逆に自動車が自転車になることも叶いません。



    趣味として自動車を楽しむ人にとっては、同じく丸い車輪が付いているからといって同様の快楽を自転車で得ることは出来ないかもしれません。
    趣味として自転車を楽しむ人にとっては、同じく丸い車輪がついているからといって同様の快楽を自動車で得ることは出来ないかもしれません。
    そのような「線引き」は個人的趣味としての価値観として存在しますから自分の内部で「叶いません」と言うのは自由ですね。


    しかし、環境問題に関して言えば、北欧は交通手段として自動車を自転車の代用として活用するという目標を掲げ、国民意識やインフラも含め実際に社会がそう動いているのだから仕方がありませんよ。
    国民が趣味として自転車を楽しむだけではなくて、自動車の代わりに自転車を活用するというシチュエーションを確立しなければ環境問題のためになりませんから。
    「叶いません」などと言ってみても“叶っている”現実の一例を無視するのはおかしいですよね。



    >更には、「自動車が売れない」問題は、主として「個人消費」の問題です。一般消費者は「レジャー用途」を視野に入れながら車を購入するのですから、そこに「趣味的要素」を加わえ、消費を刺激しようとするのは、ごく自然な成り行きです。


    刺激は大いに結構ですが、その刺激の内容が昔とは同じでないようです。



    >しかし、それらが完全に「個人向け自家用車」と置き換わることは、ないのです。誰もが「駅前」に住んでいるわけではないからです。


    ええ、私は完全に置き換わるなどと言う誇大妄想はもっておりませんし、それは北欧も同じです。
    地方に住む私にとっても車が今後とも自転車と置き換わることはない予定です。
    そのような極論はもとより必要とされておりません。



    >もっとも、あなただけは、将来の「自転車社会の到来」を確信しているのでしょう。



    武車小路さんの価値観の時代とは違う新しい成熟した“自動車社会の到来”を私は確信しておりますが、自転車に関してはその全体像の中の単なる一例として出しただけです。
    北欧モデルをそのまま日本の理想とするつもりもありません。

    2010.01.10 23:04 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    修正します

    ×自動車を自転車の代用として活用するという目標を掲げ

    ○自転車を自動車の代用として活用するという目標を掲げ

    2010.01.10 23:08 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    僕は、退屈な車が設計されるのが嫌で、将来についての提案をしました。
    「今は」駅前に住んでいない地方の積雪地帯のオバサンでも、性能が良くて車体が低い四駆のミニバンが便利ですよね。
    しかし、将来、都会の情勢に地方の方も押し流されます。その原因は、「少子化のため家族で5人乗りもいらない」「全員で出掛ける事もない」「たまのレジャーはレンタカーの方が何かと融通が利く」「メーカーはコスト削減して開発する」よって3人縦列乗りバイク風4輪車が有利。「駐車場も半分で良い」車の代わりをするようになります。その御先祖が「トヨタiQ」かも知れませんね、ということになるかも知れませんね。「販売トヨタはやっぱりすごいと」僕も嫌ですが、考えられます。

    2010.01.11 01:09 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    誰もが、心の岸辺にイカルスを宿すのではないでしょうか。

    だからあなたは、誠実で純粋で無邪気で冒険心にあふれた心で、誰に対しても接します。夢を実現するために行動を起こします。

    しかし、いつからか、あなたはイカルスの事を疎んじるようになってしまった。イカルスの声に耳を傾けなくなってしまった。

    「カンケリ?何で、私がカンケリをしなければならないのですか?カンケリを行うメリットは?カンケリのどういう部分が面白いのですか?それらをちゃんと説明して下さい」

    「公園でピクニック?何のために公園に行くのですか?交通費はいくらかかるのですか?紫外線が肌に与えるダメージを考えた上でのオファーなのでしょうね?」

    「映画?数ヵ月後にレンタルビデオで済ませれば良いでしょう?そうすれば、費用は数分の一で済みます。何度も繰り返し見ることができます。それに、どうせなら、地上波の放映まで待てば良いのです。そうすれば、コストは実質0円で済みます。それなのに、何故、面倒な思いをしてまで、映画館に足を運ばなければならないと言うのでしょうか?」

    少年の日のあなたは、決してそんなことは言わなかった。みっちゃんのお誘いも、タカシ君のお誘いも、二つ返事で「OK」していたはずです。

    人生は、「損得」や「効率」ばかりではありません。「奪う」、「自分だけが得をする」という発想ではなく、「楽しむ」、「シェアする」、「分け与える」という姿勢が大切なのです。友人や家族と素晴らしい時を過ごせる。そのかけがえのない瞬間にこそ幸福がある。人生とは、そういうものではないでしょうか。

    そのことを忘れた結果、もたらされるのが「経済不況」です。「精神的貧困」です。「幸福欠乏感」です。

    そして、この事も付け加えなければなりません。

    イカルスを幽閉したのはあなたです。あなたが、クレタ島の迷宮にイカルスを閉じこめたのです。今、彼は、暗くてジメジメした出口の見えないお城の中で苦しんでいます。だから、早くイカルスを救出する必要があるのです。

    その際、「翼の生えた自動車」は、なかなか良いかもしれません。


    日産『ランドグライダー』
    http://japanese.engadget.com/2009/10/09/landglider/

    BMW『シンプル』
    http://japanese.engadget.com/2009/10/13/bmw-simple/

    2010.01.11 17:48 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    確かに、経済の冷え込みの仕組みについては、僕も理解しているつもりですが、キャッシュがないのです。
    キャッシュがなければ愛も奪えない。ひとり公園へ行くしかない。祖父は三千万にぎってるとの噂です。

    日産にもあるんですね。

    「最近の自動車メーカー」によって、「スーパーカー世代」が幽閉されていたようですが、三輪バイクからスタートしても良いですか?原付よりマシですよね。

    スズキも4輪ですが一列縦乗りの構想があるみたいですよ。
    外車になりますが、プジョーにも日産と同じ三輪の構想があるみたいです。

    「リーマンショック、世界経済破綻によって、また一つの時代が終わったようで、戦後以来60年ぶりの焼け野原のよう」ですね。そして「新たな息吹き」が構築されようとしているのかも知れません。
    自動車メーカーが、これから新たな時代への挑戦で、どんな翼を生やしてくれるのか、見守りたいですね。

    その際、忘れてはならないのは、白い翼を獲られのは「祖父」、返り血で汚れた堕天使の羽根は「僕」です。

    2010.01.11 19:02 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    >そのことを忘れた結果、もたらされるのが「経済不況」です。「精神的貧困」です。「幸福欠乏感」です。



    車に乗ってドライブを楽しむことによって得られる“自由”“幸福感”もあれば、車などというものに縛られないことによって得られる“自由”“幸福感”だってあるはずです。
    成熟した社会とはそういうものです。


    そのようなことすら認められない人こそがまさに「精神的貧困」から離れられない人だと言えるでしょう。
    そんな人の「幸福欠乏感」を癒すために商品を開発することが「経済不況」に突破口を見出し未来の車社会を作ることになるのでしょうか?
    私には全くそうは思えません。


    武車小路さんは、自動車という翼を欲しがるより先に、自分の心に翼を生やす必要があるのではないでしょうか。
    自動車はお金を出せば手に入りますが、心の翼はお金では買えませんよ。

    2010.01.11 19:27 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「豊かさ」とは何でしょう?

    溢れ出ることです。余剰があることです。選択できることです。



    「成熟した社会」とは何でしょう?

    「自転車社会」です。「人民服を着ること」です。「画一的なこと」です。「ひっ迫していること」です。「押し付けられること」です。「抑圧されること」です。「自由がないこと」です。


    それらは、あなたのイカルスが言っているのでしょうか?



    だとしたら、そいつはイカルスではありません。




    イカサマス。

    2010.01.11 21:10 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    武車小路さん式の「経済不況」から脱却するためには、むしろ公園でピクニックやカンケリやってカネを使わないんじゃ困るんですよね。
    レジャーランドへ連れて行ったり高価な玩具を買わせたりしなけりゃならないんですから。
    どこまでいっても風景を都合良く借りてきた妄想なわけです。
    このブログでは終始こんなことをやっているんですよ。

    2010.01.11 21:22 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    武車小路さん。
    abcdさんが言っているのは、「自由がないこと」ではなく、むしろ、「多様な自由があること」ですよ。「無数な自由」があるのです。「一人一人の心」に「60億」の「イカルス」は存在するのだと思いますよ。

    2010.01.11 21:30 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    豊かさとは?
    糖尿病や肥満の原因。成金になった国民が大量に買い物をする事。大量な投資で、大量な車が生産される事。大量なゴミが出ること。

    成熟した社会とは?
    「豊かさとは?」の反省によって構築された後々の社会。多様な感動と刺激のある所。ゴミなんてない。

    2010.01.11 21:43 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    友人や家族と素晴らしい時を過ごしたいというなら、それこそ消費などと無縁でいいかもしれませんね。
    車なんか必要なくて、汗を流してウォーキングで健康づくりしながら会話しましょう。
    レストランで外食なんか止めて、手間をかけて作った愛情弁当を景色の良いところで食べましょう。
    「損得」や「効率」とは無縁でおカネを使わない精神的充足感が得られるかも知れませんね。



    さて、車マニアのオジサンが好きなスポーツカーで運転することで誰に何を分け与えているというんでしょうか。
    運転する本人は楽しいかもしれませんが、家族はそうとは限りませんし、赤の他人にはもっと関係ないでしょう。
    地球環境にも良くないことでしょう。
    他人と幸せを共有したい、家族を大切にしたい、自分だけが得したくない、そういう人たちにスポーツカーが敬遠されて当然かもしれません。

    こうした自己矛盾を抱えながらおかしな正当性を得ようとするのですから、自身が「息の詰まる人生」なのも当然なわけですね。

    2010.01.11 23:08 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    若者についての補足ですが、
    今や、ビッグスクーターですからね。
    自動車メーカーも時代に合う
    「昔の自動車に囚われない」「4輪」へと工夫を凝らした事はご存知の通りでしょう。
    所有・刺激・コスト面で期待が持てます。
    将来どうなるでしょうね。

    2010.01.12 00:11 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    続きですが、
    しかし、abcdさんが仰る通り、自動車は無くなりは決してないと思いますよ。

    2010.01.12 00:17 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    「成熟した社会」とは?

    成熟したマシンを味わう。

    その際、「まずい」のか、「うまい」のかは色々ある。

    「薄い」のか「濃い」のかもある。

    「辛い」のはマシンかも知れませんが、「苦い」のは嫌。

    「合う」「合わない」がある。

    「トヨタ」「日産」がある。

    果物も
    「成熟」し、食べずに放っておいて、

    「腐って」しまっては、

    「幸福感」とはいかないかもです。

    急いで食べて、「酸っぱいもの好き」には、

    美味しいミカンです。

    「食べ頃は短いトヨタですよ」

    「未熟期間は、長いトヨタですがね」

    「熟成」の仕方によっては、運良く、「酒」になり、

    相当の「刺激」になるやも知れませぬ、
    なんちて。

    漫談は、これくらいにしまして、つまり、

    食べ物の様に儚く、「味わいの感動」が詰まったもの。

    それが「成熟した未来」だというのが、私の考えです。

    だから忘れてはならない、未来は、人の「想い」「願い」「希望ウィッシュ!」「三菱アイ、トヨタウィッシュ、EXILE」壊れやすいという事です。

    2010.01.12 01:26 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    >人生は、「損得」や「効率」ばかりではありません。「奪う」、「自分だけが得をする」という発想ではなく、「楽しむ」、「シェアする」、「分け与える」という姿勢が大切なのです。友人や家族と素晴らしい時を過ごせる。そのかけがえのない瞬間にこそ幸福がある。人生とは、そういうものではないでしょうか。


    このように発言している武車小路さんは、自分のロマンなどというもので趣味の車を買ってはいけません。
    車の趣味に使うお金を他の家族サービスのことに使ってください。
    自家用車は車趣味を共有しない家族や友人がゆったりと乗れるミニバンを買ってください。
    環境問題を考慮し、ドライブする時間を極力減らしてください。

    ぜひ有言実行をお願いします。

    2010.01.12 19:23 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    2010.01.11 21:10 URL | 武車小路 #5pLGetfY の発言は何が言いたいんでしょうか。
    さっぱりわかりません。

    >「成熟した社会」とは何でしょう?
    「自転車社会」です。「人民服を着ること」です。「画一的なこと」です。「ひっ迫していること」です。「押し付けられること」です。「抑圧されること」です。「自由がないこと」です。



    「自転車社会」
    北欧では成熟の一部ですね。
    日本の成熟が同じとは限りません。


    「人民服を着ること」
    中国より北欧が成熟していると確かに私は書きました。
    それ以前に人民服は中国でも過去の遺物です。
    捏造は止めてください。


    「画一的なこと」
    自由や幸福感にも色々あることを私は書きました。
    武車小路さんが自分の価値観に従う画一的なものにしたがっても無理です。


    「ひっ迫していること」
    成熟とは無関係です。


    「押し付けられること」
    北欧の人や日本の人は何も押し付けられていません。
    武車小路さんタイプの価値観を押し付けるのは不可能です。


    「抑圧されること」
    成熟社会は抑圧より成熟した意志によりコントロールされます。


    「自由がないこと」
    成熟した社会では未成熟社会にはない種類の自由が得られます。

    2010.01.12 20:28 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「車なんか必要ない」、「汗を流す農作業がしたい」、「家族サービスだけをしていたい」、「愛情弁当と、きれいな景色さえあれば良い」、「環境を汚す文明社会に明日はない」

    50年ほど前に、ちょうどあなたと同じような事を言う人々がいました。

    彼らは、のどかで豊かな「地上の楽園」を求めて集団疎開を行いました。希望に心をときめかせ、ユートピアへと旅だって行きました。

    その後、彼らはどうなったか?

    彼らを待ち受けていた現実は、理想とは180度違うものだったのです。そこにあったのは、貧困と飢餓。抑圧と不自由。そして、過酷な労働と劣悪な住宅環境。

    「米をくれ。金をくれ。さもなくば、核爆弾を落としちゃうよ」

    みすぼらしい盗賊となり、ゆすりを行うしかなかったのです。木の根をかじり、捕らえたネズミを食べて飢えをしのぐしかなかったのです。それが現実です。希望の行く末です。


    彼らは、知らなかったのです。

    ただ望むだけでは足りない事を。望んで望んで最大限努力して初めて、「ささやかな幸せ」が得られる事を。

    だから我々は求める。高度な要求を突きつける。自らの欲求を押さえつけることなく。誰彼に遠慮することなく。

    「こんな車じゃダメだ。こんな車には満足しない。もっと、かっこいいデザインにしてくれ。もっと走る車にしてくれ。もっともっと、素晴らしい車を造ってくれ。あなた達の才能を120%発揮してくれ」

    発展を望まなくなったとき、そこには何も残りません。



    ただ、半島があるのみです。

    2010.01.12 22:50 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    このブログでやっていることを総括すると、武車小路さんの宗教ということになるのでしょう。
    それも個人的欲望から発生しているインチキ宗教です。
    パターンがちまたに存在しているインチキ新興宗教のユートピア思想にそっくりです。


    武車小路さんの持つ趣味感覚や価値観は、武車小路さん本人が言うような「人類の真理」でもなんでもないんでしょう。
    もしそうなら、もとより現実が変わることなく、武車小路さんが悲しむ事態も起こらないでしょう。
    実際、そんな“教義”など関係なしに幸せに人生を送っている人は大勢いて、それが当たり前なのです。

    しかし、それでは武車小路さんは困るわけです。
    人々は不幸でないとならず、そうでないと自分の宗教の正当性が無くなってしまいます。
    さかんに世の中の不幸を宣伝することになります。
    このブログでずっとやっていることです。
    しかし、皮肉にも一番不幸なのは人々ではなく教祖である武車小路さんなんですね。


    自分の説法を強化するために愛や友人家族などさかんに美辞麗句を散りばめます。
    しかし、これは真に他人や社会のことを思っているわけではありません。
    それらは武者小路さんのやりたいことをやるための道具として、武車小路さんの"教義”を守るための盾として、都合良く存在させているに過ぎません。
    ですから中身が全く無く、その実矛盾だらけです。
    ついでに自分の理想社会の構築を妨害する敵を設定し陰謀論も忘れることなく流布させます。

    そして話を最後まで聞いてよくよく見てみると、あれだけ精神的なことを言ったにも関わらず額が少なくない請求書が出てきます。
    “経済”“消費”というカネ、莫大な"お布施”が必要となります。
    幸せにしてやるから銭を使え、なんです。


    これでインチキ宗教の存在パターンが完成というわけです。



    「努力」とは何でしょうか?

    自分の視野を広げたり、他人の価値観を認めたり、自分を含めた現実をありのままに見つめるといった作業は、実は努力や精神的苦痛をともないます。
    このような努力や苦痛という代償を払わずに楽にすますために自然と自分だけの宗教を作りだしそこに安住しようとする人がいます。
    そこでは自分が神なのであり自分が法なのですから何も努力は必要ないわけです。

    まさに努力を否定することからこのような宗教が発生する土壌が存在するわけです。

    2010.01.13 02:51 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    北朝鮮の人々だって勿論発展を願っていたわけで自分の理想に向かって努力もしていました。
    武車小路さんのやっている最低の望むだけの停滞を願っていたわけでは全然ないわけです。
    物質的にも精神的にも資本主義国家より豊かになる未来像を描いていました。


    我々の社会も勿論発展することを望んでおるのであり、何より実際に発展してます。
    車も車社会も発展しているのであり、それに向かって努力している人がいます。
    例えば環境のためにあえて車を降りる人は発展に向かって努力している人と言えるでしょう。
    それが車を買わなくなることになったとしてもです。

    2010.01.13 04:51 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    時代が終結と書いたが、戦中戦後に逆戻りした訳ではない。過去の反省を受け、成熟している訳だ。今の北半島を生んだのも一理あり。

    食料は輸入に頼る低自給率を反省し、自給率向上の為、今、努力する。国内で安定した食料供給を目指す、一人前の国を目指す。
    しかし、一人前の国に成熟するには、まだまだ他にも課題はありそう。バブルは一見、天国。しかし、良いことばかりないのは、もう証明済み。

    2010.01.13 09:04 URL | 読者∞ #- [ 編集 ]

    武車小路さんの持つ習性として、自己弁護を極論で返すというのがあります。


    しかし、私のこれは極論ではありません。


    ・車に過剰なお金をかけずに車を道具と割り切りって楽しく人生を送る。

    ・自分の車趣味より家族や子供を優先した車種選びをする。

    ・環境問題に配慮して可能なら車をなるべく使わない。


    実際に多くの人々がやっていることです。
    実に自然であり、何の違和感も無いのです。


    武車小路さんはこのように言っています。

    >「奪う」、「自分だけが得をする」という発想ではなく、「楽しむ」、「シェアする」、「分け与える」という姿勢が大切なのです。友人や家族と素晴らしい時を過ごせる。そのかけがえのない瞬間にこそ幸福がある。人生とは、そういうものではないでしょうか。



    だったら、日本を含めた現在の車社会のありかたは実に正しいではありませんか。
    自分のロマンというエゴイスティックなもので車を語る武車小路さんよりよほど素晴らしいと言うことになります。
    ですから、自分の発言との誤差をなくすように努力してください。

    2010.01.13 21:35 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    ほとんどの人が車は道具ですよね。
    結婚してる人は家族を幸せにしないといけないですよね。
    車を控えることはダイエットや体力作りにも良いことですよね。
    小路さんのお仕事は何系ですか?

    2010.01.14 14:12 URL | チョコ #- [ 編集 ]

    東京に珍しく雪が降り積もると、あの日、目の前で起きた出来事を思い出します。

    「あれは夢だったのだろうか。それとも奇跡だったのだろうか。あるいは、今こうして生きていることこそが、夢幻なのか・・・」


    当時私は、父親の仕事の関係で、雪の多い地域に住んでいました。裏山にはちょっとしたスキー場があり、徒歩でスキーに出かける事も可能でした。

    その日も、仲の良い友達と、裏山へスキーに出かけることになったのです。何時間かスキーを楽しみ、日も暮れてきたので、そろそろ終わりにしようということになりました。友達とは、帰る方角が違うので、その場で分かれました。

    私はスキーブーツを履いたまま、けもの道を一人、下っていきました。肩にはスキー板を担ぎ、つなぎのスキーウェアのパーカーを、目が隠れるくらい深くかぶって。

    その道のりは、「パワーのありあまる小学生」にとっては、それほど辛いものではありません。しかし、その日は雪が降り、視界を遮っていました。スキーで疲れてもいました。だから、足下だけを見つめて歩きました。傍目には、重い荷物を担いだ小学生が、疲れた足取りでトボトボ歩く姿に写ったかもしれません。

    そうこうしているうちに、なんとか山を下りきることができました。やっと、開けた場所まで出たのです。

    「よし、家まで、あと少しだ。もうすぐ、ストーブで暖をとることができる。母親が作る温かいスープを飲むことができる」

    ささやかな希望に胸を膨らませ、そのまま歩き続けました。

    その時です。

    「危ない!」

    誰かが叫びました。

    声の主の方を振り返るために、立ち止まりました。

    「ピヒイイイイーーーーー!」

    耳をつんざくような高い警笛と共に、目の前を、ディーゼル列車が駆け抜けていきました。

    私は、間一髪、難を逃れたのです。

    列車が通り過ぎると、左右の安全を確認して、「踏切のない線路」を渡りました。

    しかし、その光景は、ある意味、奇異でした。まるで、「何事もなかった」かのような行動だったからです。

    確かに、結果として何も起きなかった。しかし、何事もなかった訳ではない。ごく平凡な日常とは明らかに違っていた。



    私は、恥ずかしかったのです。「列車に引かれそうになった事」が。

    ポーズをとりたかったのです。「言われなくても、気付いていたよ」と。


    認めたくなかったのです。


    本来であれば、もう、この世に存在しなかったことを。


    だから、その場から逃げ去ったのです。恩人に対して、一言のお礼もなく。恩人の姿を見ることもなく。

    現場を離れるにつれて、事の重大さが実感されてきました。ひざがガクガク震えました。私の1m前方を、列車が猛スピードで駆け抜けていったのです。とてつもない事が起きる寸前だったのです。列車が走り去る間も、私は風で吹き飛ばされそうでした。その「鉄の塊」と「私」との間に厳然として横たわる「圧倒的な力の差」を、見せつけられるようでもありました。

    もちろん、そんな出来事があったなんて、親には言えません。校内放送で呼び出されやしないかと、ヒヤヒヤする日々が続きました。

    ただ不思議なのは、あそこは、普段人通りのない場所だったことです。にもかかわらず、あの日、あの時、視界の悪い降雪の中、日が落ちた時間帯に、偶然私を発見し、声を掛けてくれる人がいた。

    あの日私は、確かに、誰かに救われたのです。

    もし、あの人がいなかったら、今私は、この世に存在していないでしょう。あなたと、こうして会話することもできないのです。

    ただ、心残りなのは、あの時の「誰か」に、お礼が言えなかった事。

    だから、恩返しがしたい。誰かの役に立ちたい。微力ながらも、「誰かに」、「何らかの形」で、貢献したい。

    その相手は、たった一人でも良い。一瞬でも良い。

    その人にとって、僅かでも意味のあるメッセージを伝える事ができたなら、極僅かでも何かを感じてもらう事ができたなら、私がこの世に存在した意味があるという事になるのではないか。恩返しができた事になるのではないか。

    それは決して不可能ではないはずです。

    なぜなら、あの時、私を救ったのは、ごく平凡で、ありきたりの言葉だったからです。ごく普通の言葉が、ありふれた言葉が、ある日、ある瞬間、ある特定の人にとっては値千金の価値をもたらすようになる。

    だから、私は今日も叫びます。警告を発します。

    誰かの人生の交差点にクロスすることを願って。

    誰かの魂の奥底に響くことを祈って。


    それは、今日、響かなくても良い。

    明日、響かなくても良い。



    いつか響く


    生きていてくれさえすれば

    2010.01.15 00:01 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    武車小路さんがやるべきことは言行一致です。
    己の妄想の中に逃避することではありません。

    2010.01.15 00:52 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    レンタルビデオ、便利になりましたね…だったらいいですけど、ビデオがなんじゃあ!買わんかいっ…て言うのは、普通におかしいと思います。

    2010.01.15 07:41 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    「あなたは、何のために生きているのですか?」

    ある日、私は蟻(アリ)に尋ねました。

    「何のため?それは、よく分からないけど、やがて来る冬に備えるために、一生懸命働いているのさ」

    蟻はそう答えました。私は、次なる回答者を求めて歩きました。

    「お忙しいところすみません。あなたは、ご存じじゃないでしょうか?蟻が何のために生きているのかを。なぜ彼らは、あれほどまでに、忙しく働き回っているのでしょうか?」

    「蟻が何のために生きているかだって?そんなの決まっているじゃないか。俺様に食べられるためさ」

    アリクイは、自信満々に答えました。


    我々は、このアリクイ以上でしょうか?

    それとも、蟻並みでしょうか?


    「車は道具に過ぎない」


    その発言は、「蟻はアリクイに食べられるために存在する」程度の価値しか、この世の中に対して体現しないのです。「日本人はよく働く。人間の一種だ。日本人は哺乳類に過ぎない」。その程度の内容です。

    だから、もう一度よく考えて下さい。


    あなたは、アリクイですか?

    それとも蟻ですか?

    2010.01.16 03:26 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    武車小路さんがやるべきことは妄想の中で動物と会話することではありません。
    「精神的貧困」から逃れたければ自分と違う価値観の人間と会話する必要があるんです。
    それが動物と知性ある人間との存在の差です。

    2010.01.16 05:24 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    “人間は車のために存在する”程度の価値観しか体現できないとしたら、実に精神的に貧困で悲しいですよね。

    人間がその程度の存在なわけがありません。

    車は人間のために存在しているのですから、車を道具として人生における価値を車以外に見出しても全く構わないわけです。

    アリクイの話は、そのまま武車小路さんの努力を促すものと捉えてよろしいかと思われます。

    2010.01.16 05:42 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    日本人が日増しに「貧乏」になり、若年層を中心として「幸福感」から遠ざかっていることは明らかです。

    しかし、あなたが夢描く「北の半島」や「蟹工船」、「山がなく雪の降らない北欧」に、「解決の手掛かり」はなさそうです。

    この問題を解決するためには、「幸せ」とは何かを考えることが、まず重要です。

    なぜなら、「幸せ」が何かを知らない人は、「幸せ」が訪れた事すら認識できないからです。だから、「幸福感」に乏しい世界が、ただそこに広がることとなります。

    では、「家族にとっての幸せ」とは何でしょう?

    あなたは、まず「家族の団らん」を思い浮かべるのかもしれません。

    しかし現実は、想像とは違っています。親は子供と一緒に過ごすことを希望しますが、子供はそうではありません。子が親を求めるのは、「幼少期の数年」に過ぎません。

    それが証拠に、あなたにとって父兄参観日は、「待ち望んだ瞬間」だったでしょうか?クラブ活動を親に見てもらうことは、楽しいことでしょうか?修学旅行に親が同行してきたら、何を思うでしょうか?

    つまり、ここには「ニーズの違い」が存在するのです。親は、「子供と一緒にいたい」。「どこにでも一緒に付いていきたい」。そう願うが、子はそうは思わない。友達と一緒に過ごすことの方を好む。

    だから、「双方の幸福」が一致する瞬間は一瞬です。「子供が元気に遊びに出かけるのを送り出すとき」。その瞬間に、親は「真の幸福」を受け取っているのです。

    では、夫婦の関係はどうでしょうか。

    「亭主元気で留守が良い」

    昔、そんなテレビCMが流行りました。この言葉は核心を突いています。

    つまり、いつも一緒にいられると、うっとうしい。掃除機で追い回したくなる。でも、本当は好き。いなくなると寂しい。今頃、彼は、どうしているのだろう。事故にあったりしていないだろうか?ちょっと心配。かなり心配。メールしてみる。電話で帰り時間をきいてみる。あと30分。あと5分。

    やっと帰ってきた。

    「お帰り」

    この瞬間にこそ、「夫婦の幸せ」はあるのです。

    だから、車が必要となるのです。

    それが、「へんてこりんな風体の7人乗りミニバン」じゃあ、絵になりません。感情移入できない。心配することすらできない。

    「子供が、親と一緒に車で出掛けたいと思う」。それも妄想です。親の押しつけです。「憂鬱な社員旅行」の「家庭版」を企画してしまっていることに、多くの親は気づかない。だから、ミニバンの数が増える分だけ、日本は不幸になる。必然的に「幸せ」から遠ざかる。全く予期せぬことに。望んだものとは正反対に。

    だから、車選びを行うに際しては、家族の事を考える必要はありません。家族の事を考えないことこそが、家族を幸せにする最良の方法なのです。

    タレントの石田純一さんは、その事をよくご存じなようです。

    彼は、フェラーリを所有しているそうですが、世間一般の人が想像するのとは違って、一人でドライブを楽しむのだそうです。


    彼は知っているのです。


    車とは何かを。

    人とは何かを。

    そして、幸せとは何かを。


    「大切な人が何かに熱中している瞬間にこそ幸せがある。幸福の時がある。仮に、その姿を見ることができなかったとしても。誰と楽しんでいるのかを知ることができなかったとしても。相手の幸せをひたすら願う。心から願う。見返りを求めることなく。帰りだけを求めて」

    2010.01.16 21:58 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    芸能人というまたしても極論が出てきましたが、それも理想の家庭像を演出し提供するどころかその正反対のプレイボーイ石田純一をサンプルに出してくるのはギャグにしか見えません。
    妄想としてもつじつまが全く合ってないという様相を呈しており、はなからそうすることは放棄しているのでしょうか。
    とにかくその場で都合の良い情景を思い描くことを優先させており、あとのことや全体像はどうでもよいんでしょうかね。


    >だから、ミニバンの数が増える分だけ、日本は不幸になる。必然的に「幸せ」から遠ざかる。



    ミニバンを買ったからといって家族同士がストレスを感じるほど密着して生活する必要など全然無いわけですし、実際に普通の家族はみんなそうしています。
    世間一般の人々は、極論で構成されている武車小路さんの脳内ワールドの住人ではありません。
    車に人間が合わせるのではなく、車が人間に合わせて存在するのですよ。
    根本的にそのあたりがおかしいのでしょう。



    >だから、車選びを行うに際しては、家族の事を考える必要はありません。家族の事を考えないことこそが、家族を幸せにする最良の方法なのです。


    普通のパパさんにとって車種選定の際に家族のことも考えるのは基本的なことです。
    普通のママさんにとっては車趣味で家計を圧迫されたり家庭をおろそかにされるのは困ることです。
    これが世の中の一般家庭における普通の光景であり、そしてみんな普通の幸せな家庭を得ています。




    こちらの武車小路さんは車で団欒する妄想を大いにやってるんですよね。
    http://japancardesign.blog59.fc2.com/blog-entry-109.html

    >車は、「単なる移動手段」というよりは、家族の「コミュニケーション・スペース」としての重要な役割を担っているように思います。

    >家族が、その車に「乗りたい」と思う。
    >それだけで、目的の半分は達成されるのかもしれません。

    2010.01.17 03:25 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    環境問題を考えても自動車の全てを自転車に置き換える必要も無ければ、家族のことを考えてもミニバンでしょっちゅう団欒を演出する必要も無いわけです。
    車イコール人生として考えるあまりに他人の人生をこのように極端に妄想するしかなくなってしまうのでは、「精神的貧困」のパターンが増えるだけです。
    まともな思考力のある人なら、勿論そんな人生を誰も望んでいないし送ってないのは理解できますよね。

    2010.01.17 05:12 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    石田純一さんと一般人を一緒にしてはいけないと思いますよ。

    2010.01.17 09:11 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    このあたりの思い描く家庭の風景というのが分からないんですよね。


    「父兄参観日」
    待ち望んではいませんが、さりとて来るのが嫌だった記憶もありません。
    武車小路さんの感情は知りません。


    「クラブ活動を親に見てもらう」
    メジャーなものなら応援も含めた親のバックアップがあります。
    子供を送り迎えするのはミニバンの役目です。



    「修学旅行に親が同行」
    非常識と言う理由で拒否します。
    個人の好き嫌いは関係ありません。



    >それが、「へんてこりんな風体の7人乗りミニバン」じゃあ、絵になりません。感情移入できない。心配することすらできない。


    武車小路さんはなにかドラマの見過ぎでしょう。

    2010.01.17 15:01 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    武車小路さんの言う「家族の事を考えないことこそが、家族を幸せにする最良の方法」なことを「よくご存じ」の石田純一さんの人生。

    20歳で学生結婚→武車小路さんの言う「できちゃったから結婚する」
    2度の離婚→武者小路さんの言う「嫌いになっちゃったから離婚する」

    数々の女性と浮名を流す。

    長らく離れ離れだった息子は再会後、ヤク中で逮捕、離婚経験アリ。



    私個人は石田純一さんが好きですよ。

    2010.01.17 20:48 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「女性は子供を産む機械だ」

    以前、そのような発言をして物議を醸した大臣がいました。同様な考え方からは、以下の定義が導き出されます。

    「人間は遺伝子を残すために存在する」

    「人間の生存目的は生殖である」

    「人間は子孫を残す機械だ」

    その考えの先に待ち受けているのは、「死」です。悲しむべき事に、日本は先進国中、自殺率が最も高い。

    「日本では、普通の家族が、普通に幸せな生活を送っていますよ」

    それは嘘です。大きな間違いです。安部さん、麻生さん、鳩山さんがそう勘違いしてしまうのは想像に難くありませんが、我々はもっと賢明であるべきです。「他者への思いやり」を持つべきです。本当の「幸せな生活」を取り戻す必要があります。

    その際、経済問題を前進させることが肝となることは言うまでもありません。その時、「一見正しいように思える定義」も疑ってかかる必要があります。

    例を挙げるなら、「大根とニンジンの買い出しを目的とした車」は、その目的を達成するために設計されています。そして、その事を実現しています。しかし、男性陣にとっては大して価値を持ちません。そんな車ばかりでは、経済も産業も発展しません。SAIも不要な存在となってしまいます。

    しかしながら、主婦が「大根とニンジンの買い出しを目的とした車」を求めていることも、また事実です。彼女達は、そういう車を本当に欲しがっています。直視しています。だから、それはそれで良いのです。

    しかし、あなたはそうではない。

    「大根とニンジンの買い出しを目的とした車」を肯定しつつも、積極的にそれを「自身の選択」とすることができない自分がそこにいる。だから、それらの車を直視することができない。感情と思考が一致しないから。自己説得できないから。矛盾が潜むから。

    「車は道具に過ぎない」

    これは、あなたが「人生に生きる意味を見いだせない構図」との相似型なのです。だから、この方程式を因数分解し、トリックを見破ることが必要となるのです。そのことが、今あなたが抱える悩みから自身を解き放つ唯一の方法となります。

    だから、あなたに質問します。


    「人間は、子孫を残すための機械なのでしょうか?」

    2010.01.17 21:32 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >以前、そのような発言をして物議を醸した大臣がいました。同様な考え方からは、以下の定義が導き出されます。


    このような作業をする武車小路さんに見習って、武車小路さんの今までの発言から同様の導き出しをやってみましょう。
    するとこうなります。
    “人間は車のために生きている”



    >「他者への思いやり」を持つべきです。本当の「幸せな生活」を取り戻す必要があります。


    どうも、武車小路さんは「他者への思いやり」をあまり持っていないようですね。
    ついでに「幸せな生活」でもないようです。



    >「大根とニンジンの買い出しを目的とした車」を肯定しつつも、積極的にそれを「自身の選択」とすることができない自分がそこにいる。だから、それらの車を直視することができない。感情と思考が一致しないから。自己説得できないから。矛盾が潜むから。


    例えばミニバンを「自分の選択」にしなくても、私は矛盾を感じることもなければ納得できないということもありません。
    なぜなら私は、自分の趣味を「人類の真理」と設定するようなおかしな自分宗教とは無縁だからです。
    ですからミニバン現象を普通に直視できます。
    いたって当たり前の思考なのですけどね。
    当たり前のことを当たり前に脳で処理できないおかげで、勝手に自分で自分を縛り不幸になるのでしょう。



    >これは、あなたが「人生に生きる意味を見いだせない構図」との相似型なのです。


    武車小路さんに趣味の車がないということは「人生に生きる意味を見いだせない構図」であることらしいというのは良く分かりました。
    ですが、他者まで強引に同じく不幸にしたがる行為はいいかげんに止めるべきでしょう。



    >そのことが、今あなたが抱える悩みから自身を解き放つ唯一の方法となります。


    武車小路さんは一刻も早くおかしな宗教の呪縛から自身を解き放って下さい。
    自動車という翼より心の翼で空を飛ぶべきですね。
    私のほうは何も悩んでいません。



    >「人間は、子孫を残すための機械なのでしょうか?」


    機械にならないから、武車小路さんの言う「結婚する理由が見当たらないから結婚しない」 人たちが存在しているのでしょう。
    だとすると武車小路さんの言う「生きる理由」、を考察する上で、これはやはりプラスの現象と考えるべきでしょう。
    武車小路さんのようにマイナスの要素と捉えるのは間違ってますね。

    2010.01.18 00:00 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車に趣味的な感覚をあまり持たずに道具として使っていても、豊かな人生、幸せな人生を送っている男女など世間にいくらでも存在するという至極当たり前な話です。

    その程度のことすら許容できないのだとしたらあきらかに異常だと思います。

    2010.01.18 02:01 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    人間は「機械」ではないですよ。「本能」があり「理性」もありますよ。石田純一も「オス」ですが、少々やり過ぎですよ。お義父様からは敬遠されますよ。
    abcdさんにも理性があるのであって、本能がないわけではないですよ。
    生命の共通点、アリクイにとって蟻は「食料」、蟻にとってアリクイは「運命」の様なもの。人間にも当てはまるものはありますよ。
    武車小路さんは今、生かされている事に感謝出来ていますか?

    2010.01.18 03:58 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    ・ビジネス用
    ・個人用(乗車定員:2~5)
    ・家族用(乗車定員:5~7)
    ・競技用
    ・趣味用、
    ・その他、多目的用

    クルマの需要・用途はいろいろです。
    さかなクンはナマズのような顔のクルマが好きかもしれません。

    軽トラックのデザインにこだわりを見せられても困りますし、、、
    クルマって難しいですね。。。

    2010.01.18 12:27 URL | H #- [ 編集 ]

    以前から思うのですが、武車小路さんは車文化において男女の性差に必要以上にしがみついてる印象を受けますね。
    「大根とニンジンの買い出しを目的とした車」などと苦しい分類化をしたがるところにもそれが現れています。
    そういう古いオヤジ的感覚はこれからの車社会を読み解く上で邪魔になるでしょう。

    「女性は機械だ」などと誤解されるようなイメージを広げられてしまった大臣を笑えないですよ。

    2010.01.18 20:08 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車の需要は色々あります。
    ・街乗り
    速さは追求せず、低速域でキビキビと走る必要がある。短時間の為、乗り心地にさほどこだわる必要はない。ラゲッジスペースもさほど広くなくて良いが、いざという時は後部座席を倒してスペースができる軽やコンパクトが便利。街乗りでもエアロ装備が前提となっているクルマがほとんど。

    ・高速道路
    1600cc位からが楽に走れる。ほとんど誰も乗せないならクーペ。また、レジャーや旅行など長距離、多人数での移動の場合がある。その場合、荷物が多く出る為、広いラゲッジスペースが必要。快適さを選ぶならセダン、便利さを選ぶならステーションワゴン、多人数や圧迫感がないのはミニバン。

    ・趣味
    走る楽しさを追求するならスポーツカー。見栄えを特に追求したVIP系。路面に左右されないSUV。

    需要が一番多いのは街乗りでしょう。

    2010.01.19 16:18 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    「女なんて、他にいくらでもいる」

    これは、本当でしょうか?


    本当です。

    100%事実です。


    しかし、同時に、100%嘘なのです。

    あなたにとって。私にとって。石田純一さんにとって。山田花子さんにとって。


    「車なんかなくても幸せになれる」

    これも事実です。しかし、同時に嘘なのです。

    誰にとって?


    車好きにとって。自動車メーカーの人にとって。私にとって。


    あなたにとって。


    だから、あなたは、このサイトを訪れる。

    熱心に訪れる。


    「救われたい」がために。


    しかし、心とは裏腹に、現実から目を反らそうとする。茶化して誤魔化そうとする。問題解決を先送りする。

    自己矛盾が生まれるから。真実を知ることが怖いから。

    だから、心の闇には、いつも北風が吹き込む。北への憧れが募る。


    真剣に考えて下さい。自身と向き合って下さい。

    答えて下さい。



    人間は、子孫を残すための機械ですか?

    車は、人を運ぶための機械ですか?


    2010.01.19 21:50 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >しかし、心とは裏腹に、現実から目を反らそうとする。茶化して誤魔化そうとする。問題解決を先送りする。


    「現実から目を反らそうとする」のも「茶化して誤魔化そうとする」のも、いつだって武車小路さんなのではないですか。



    >自己矛盾が生まれるから。真実を知ることが怖いから。


    武車小路さんは「自己矛盾」の塊であることを露呈していますが、「真実」は武車小路さんに都合良く存在するわけがないのですから当然です。

    2010.01.19 22:01 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    一般の人たちにとって車が昔と比較してさほど人生を投影するものでなくなり道具化するのは、日本のモータリゼーションが進んだ先の結果として当然のことなのです。
    それは私や武車小路さんの個人における趣味や感情がどうであろうと全く関係ないのであり、そんなことで「現実から目を反らそうとする」行為など無意味なことです。


    武車小路さんは自分の趣味や感情のみを現実であり正しいとしたがるから、矛盾が生じて自分の作り上げた観念の妄想ストーリーの世界に逃避するしかなくなってしまうのですよ。
    何故そんなおかしなことばかりこのブログでやっているのですか?

    2010.01.19 22:17 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車を道具としか見ない人でも、そのようなことで「精神的貧困」になるはずがないでしょう。
    車の趣味を持たない人でも、そのようなことで「他者への思いやり」が失われるわけがないでしょう。

    当たり前のことだと思うのですが、車に趣味を持たず道具として使うことを「精神的貧困」で「他者への思いやり」がないことに繋げる理不尽な論理を真面目に主張して来たのが武車小路さんです。
    そのようなことをする人を客観的に見て、一体どちらが「精神的貧困」で「他者への思いやり」がないのだろうか?ということです。


    私は、若者が車に興味無いのも車が道具化しているのも、それが悪い現象だとは全く思っていません。
    当然の話であり、むしろこれからの車社会の主流をなすあり方としても正しいことだと思っています。
    それが例え私の趣味と反するものであろうとも、私の趣味は神の教えでもなく人道でもないのですから無関係なのです。

    武車小路さんのように己の趣味と感情で凝り固めた宗教を造りあげ他の価値を見下げることで「救われたい」と思っても、そのような傲慢なもので他者は勿論自分さえも救われはしないのですよ。

    2010.01.20 04:45 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    もう時効になってると思いますが、昔、私の子供の頃、家族で遠出の車中、圧迫感から逃げるために、私は一人、ラゲッジスペースで横になって寝ていました。単純には、そこに椅子が付けばミニバンなんですよね。最近は3列目を綺麗に床に格納できる車種もありますから、このまま発展すれば、何人乗りでも関係なくなるかも知れませんね。使わなければ、しまっておけばいいのだから。イメージ・表現が自由になって、デザインも自由がきくようになると思いますが。

    2010.01.20 15:58 URL | 未来を想う車好き #- [ 編集 ]

    ミニバンのデザインも色々あります。
    広さと運転のしやすさだったらセレナ、ステップワゴン、ビアンテ、ヴォクシー/ノア。

    走りを追求したストリーム、プレマシー、ウイッシュ。

    走りと高級感ならオデッセイ、プレサージュ、マークX。

    走りと大空間の両立ならエスティマ、MPV。

    エリシオンは走り・高級感・大空間どれが優れているかよくわかりません。

    大空間なら、エルグランド、アルファード/ヴェルファイア。
    ハイエースを家族用にする人はあまりいない。

    小さいけど3列のフリード、キューブキュービック、カローラスパシオ、パッソセッテ/ブーンルミナスがある。
    ミニバン天国ですね。
    運転のしやすいものが人気ですね。

    2010.01.21 13:24 URL | 未来を思う車好き #- [ 編集 ]

    アリが「幸福感」を感じることはあるのでしょうか?

    それとも、ないのでしょうか?

    彼らの行動を観察する限り、「余暇」があるようには思えません。そして、何か特定の趣味を持っているようにも思えない。

    ということは、もし幸福感を感じる瞬間があるとすれば、それは余暇や趣味を通してではなく、他の部分に対してという事になります。すなわち、それは、労働をしている時か、休憩時間、という事になりましょう。

    一方で、「幸福感を感じる瞬間が存在しない可能性」も否定できません。その場合は、「生き甲斐」というものが存在せず、ただ「生きる」ためだけに生きていることになります。ということは、優秀な子孫を残すことができれば、目的完了。お役御免。

    もし、それが彼らの人生なのだとしたら、あまりに悲しいことだと言わざるを得ません。涙を禁じえない。


    「ふうーーっ」

    ため息にも似た息づかいで目の前のゴミを吹き払うと、彼はその長い舌先で、アリをペロリと平らげました。


    結局のところ、どんなに素晴らしい趣味があったとしても、どんなに素晴らしい車を所有していたとしても、それだけで幸福感が味わえるわけではないのです。

    場合によっては、それらの「高価な趣味」が、「空しい存在」と思えることだってあるかもしれません。

    人生の「本流部分」が、上手くいっていなければ。


    すなわち、趣味が人生をなぐさめてくれるわけではない。

    仮になぐさめてくれることがあったとしても、趣味は人生を解決しない。

    しかし、自動車メーカーで働く人にとっては、その限りではありません。彼らにとっては、「生き甲斐」そのものに関係した部分が「車」なのです。

    その車が素晴らしいものに仕上がれば仕上がるだけ、彼らは幸福感を感じる事ができます。彼らが幸福感を感じているかどうかは、インタビューを読めば分かります。その幸福感は、我々にも伝わります。そんな風にして造られた車に、我々は乗りたいと思います。エキストラ・チャージを払ってでも、その車を買いたいと思います。

    つまり、自動車メーカーで働く人々にとって、車は「幸せになるための手段」なのです。

    だから、私はこのサイトを作ります。


    「本当は、こんな車を造りたいんだ」


    自動車メーカーの人々が「密かに思い描く車」を造れる日が来ることを願って。

    「そんな車」を欲しがるユーザーが、現にここに存在する事を知らしめるために。



    一刻も早く「休憩時間」が終わることを願いながら。

    2010.01.21 22:55 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    技術の進歩や工夫は、デザインの自由度を上げると思います。

    車離れは進んでも、必要としている人もいる。
    車の進化が楽しみです。

    2010.01.22 12:51 URL | 未来を思う車好き #- [ 編集 ]

    「密かに思い描く車」
    メーカーの人が作りたい、または作るべきと思い描いている車のビジョンは、大体において公に情報発信されているでしょう。
    それこそインタビューでも何でも読めばよろしいと思いますよ。
    自分の車趣味と合わせるためにテレパシーで「密かに」という部分を読み取る必要などありません。

    2010.01.23 11:15 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「僕の人生は、アリクイに食べられるために存在するのさ」

    もし、そんなことを言うアリがいたら、あなたは何を思うでしょうか?

    「右の頬を突き出せ。歯を食いしばれ。ネガティブ思考にも程がある。君には、もっと他に、ちゃんとした人生があるだろ」

    そう言ってやりたくなるのではないでしょうか?

    しかし、期せずして、我々は、このアリのように考えてしまうのです。「分析的思考坊や」に成り下がり、「思い描くべきビジョン」を間違ってしまうのです。

    「統計上、食べられてしまう確率が高いから、食べられてしまうしかない。アリクイ様も、その結果を望んでおられる。だから、あきらめるしかないのだ。それが人生のゴールへの近道だ」

    しかし、現実は想像とは違っています。アリクイに食べられてしまうアリもたくさんいますが、そうではないアリもちゃんと存在します。その事実に目を向けることも大事なことなのです。

    いずれにせよ、せっかく努力して勉強を行った結果に得るものが「絶望」や「不自由」であったとするならば、その知識の活かし方は間違っていると言うしかありません。それは、「発展」と呼べるものではないのです。

    そして、不況の今であるからこそ、事象の反対側を見つめる事が重要となります。そこでは、テクノロジーの進化を上手く活かす発想が必要です。


    しかし、またしても、あなたは言うのでしょう。


    アリに夢を思い描く自由はない。喜びを得る権利はない。彼らは、「つまらない労働」だけを行っていれば良いのだ。マーケットという神にひれ伏し、ただ従えば良いのだ。


    それが、アリがアリであることの証明なのだ。

    2010.01.23 22:12 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    ですから、何故そもそもメーカーの中の人が「絶望」や「不自由」してるのだと決め付けるんですか?

    2010.01.24 01:06 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    2・8の法則というのがあるみたいですよ。2割は体力温存の為にサボってるみたいな。

    2010.01.24 13:25 URL | 未来を思う車好き #- [ 編集 ]

    近年、若者のクルマ離れが叫ばれているが、『実はクルマから離れていたのはメーカー自身だったのではないか』

    モリゾウ氏は、以前そう発言しました。

    この発言は、自動車メーカー社員の、車に対する「無関心」、「無興味」、「勘違い」、「あきらめ」、「不自由」、「絶望」が、現に存在することを表しています。

    それは、実車を見て感じる感想とも一致します。インタビューを読んで思う感想とも一致します。

    「ああ、やっぱり、やっつけだな」


    しかし、私はその事を責めているのではありません。

    ただ、気づいて欲しいのです。

    気づけば変わるからです。


    しかし、あなたは、言うのでしょう。

    「昨今の車が売れない状況は、社会にとって環境にとって望ましいことです。若者が車を買わなくなったことは、車社会が成熟したことを現しています。だから、モリゾウ氏の発言は、全くの見当違いと言う他ありません」

    だとしたら、トヨタの社員は、「絶望的」だと言わざるを得ません。

    経営者が、時代遅れの感覚にしがみついている。トレンドの変化に気づかない。それでいて、えらそうに見当違いな発言をする。我欲を満たすために、とんでもない車を造らせる。

    これ以上に、「不自由」な状況はありません。


    意見できないから。


    相手は、教祖さまだから。

    2010.01.24 19:47 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >「ああ、やっぱり、やっつけだな」


    はい、トヨタがFT-86なんかを提案して“クルマ本来の運転する楽しさ、所有する歓びを提案する”と言ってるときに、私はそう思いましたよ。
    よりによって『ハチロク』。
    私がトヨタの社員だったらがっかりして絶望するでしょう。

    もしかしてこれが本気で若者向けと思っているのではないか?と危惧していたら推定対象年齢は30代~40代に落ち着いたようです。
    そこまで勘違いしていたら不幸としか言いようが無いので良かったと思います。

    2010.01.24 22:20 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    昔、ホンダのバイク工場で塗装してた事があるのですが、お気に入りの車種の部品が流れてくると、他の車種よりも念入りに塗装してました(笑)
    仕事をしてても楽しいひと時でした^^
    武者小路さんの言う【生きがい】的なものはこういう事かな~と思いつつ読ませてもらいました。

    2010.01.25 12:24 URL | H #- [ 編集 ]

    トヨタ社長の発言など読んでも「あきらめ」「不自由」「絶望」などという単語は読み取れないんですけどね。


    >相手は、教祖さまだから。


    カリスマ社長がいたホンダでも「空冷水冷論争」みたいなことをやって現在があるわけです。
    ナントカ教に染まっていいのは自動車マニアのほうであって、企業ではありません。

    2010.01.25 23:53 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    FT-86は、水平対向エンジン+FRという組み合わせに新境地開拓の意思を強く感じました。
    生粋のハチロクファンから言わせれば【FT-86は許せない】になる思います。当然の感情とも思います。ですがハチロクに特別な思い入れもない自分にとっては、FT-86は全然アリです。
    こんな感じでFT-86に対する評価も人それぞれ。賛否あれど、どちらが正しくてどちらが間違い。というのも無い気がします。

    2010.01.26 12:14 URL | H #- [ 編集 ]

    トヨタF1チームは、2009年限りで、その活動にピリオドを打ちました。

    一方、トヨタと対照的なのがメルセデス。2010年からは、メルセデスGPとしてF1に単独参戦。「ワークスチーム」としての参戦は、実に1955年以来。

    話題性も豊富です。ドライバーを全員ドイツ人で固めてきました。そこには、天使の翼を羽ばたかせて前線に舞い戻ってきた皇帝、シューマッハの姿もあります。チームメイトは強敵ロズベルグ。チーム内でのドライバー戦争、勃発か。

    メルセデスは、単にショーレースを行うだけでなく、市販車にも、その思想を反映させています。だから、レース車と実車との乖離がない。その一方で、環境車にも真剣に取り組んでいます。先進的でデザイン性に優れたシティコミューターも販売しています。

    つまり、夢と現実。ロマンとビジネスを両立させることは可能なのです。

    ところが、あなたの予想によれば、そのメルセデスが、自動車産業から撤退することもありうるとのこと。

    残念なことに、私には、その兆候すら感じ取ることができません。どうやら、あなたとは、意見も感想も予測も憶測も推測も、何一つ一致しないようです。

    そんなあなたは、またしても言いたい放題、言うのでしょう。

    自動車レースなんかやめちまえ。そんなもの、人類にとって何の役にも立たない。時代遅れだ。野蛮だ。環境破壊の最たるものだ。

    自動車メーカーがF1に参戦するメリットは、何もない。そんなものに興味を示すのは、一部の車オタクだけだ。だから、そのうち、フジテレビもテレビ放送を打ち切るだろう。

    F1だったら、日本が生んだ世界のスポーツ、KEIRINの方が、よっぽど面白い。日本人に合っている。健康的でもある。


    寝不足にもならずに済む。

    2010.01.26 21:05 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    ようするに、武車小路さんの出してきた『実はクルマから離れていたのはメーカー自身だったのではないか』と発言していたようなモリゾウ氏でも、F1という「ロマン」から離れることになってしまった現実が存在するわけですよね。


    F1活動に関するメルセデスの発言を出すならこのような感じでしょうか。

    “もし今、我々が10年後もここにいるかと聞かれたら、正直な人なら誰でも、私も含めてだが、世界や自動車業界、経済的な状況がどうなっているか答えることはできない”

    一般の自動車産業から撤退というのは、内燃機関の縛りがなくなり大規模な構造変化が起きるような未来においてはどんなメーカも安全圏にいるとは言えないと思いますよ。
    しかし、F1においてはメルセデス内部にも疑問の声があり、未来でなくひょっとしたら一年後すら分からないという“今そこにある問題”として十分認識できるはずです。
    そのようなことを無視してロマンを強調するのはメーカーの仕事でなく自動車マニアの妄想に属するものでしょう。

    2010.01.28 19:40 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    自動車メーカーは、なぜF1に参戦するのでしょう。

    技術研鑽のため?ブランド認知のため?社員の結束を図るため?

    違います。それらは大義名分でしかない。

    彼らは、「レース自体」を楽しんでいるのです。レースを行うこと自体が目的なのです。それは、フェラーリに限った話ではない。

    同様に、我々も「レース」を楽しんでいる。レースを見て、人間ドラマを見て、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクする。シューマッハと一緒にガッツポーズをとる。歓喜の涙を流す。

    公道でも「シューマッハごっこ」をしてみたくなる。

    それが、車に「道具」以上の価値を求める理由であり、軽自動車では役不足となる理由です。

    では、車にそのような価値を感じるのは、時代遅れの「自動車マニア」だけなのか?

    違います。

    それは、メルセデスの顧客対象が誰であるかを考えてみれば分かります。メルセデスの顧客は、違いの分かる「大人」。「大の大人」が楽しむのがモータースポーツ。

    つまり、人間の本質は、「シューマッハごっこ」を行うことにあるのです。

    一方、「シューマッハごっこ」に参加しない人々もいます。それは婦女、老人、そして、何割かの成人男子。

    なぜ、彼らは自動車レースに興味を示さないのか?なぜ、「つまらない車」を許容できてしまうのか?

    それは、「少年の心」を持たないからです。忘却の彼方に置いてきてしまったから。

    しかし、その心を取り戻すことは可能です。


    「自制心」という名の「サイドブレーキ」を解除することによって。


    「本当は、どうありたいか」


    それを深く考えることによって。

    2010.01.29 21:27 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    実際のところ、人間の持つ趣味は多種多様であり、自動車レースに興味など持たない人でも、別のもので「少年の心」を維持することは十分に可能です。


    嫌いな現実に背を向けて精神世界の遊園地に逃避しそれを正当化するために他者を見下げるのは「大の大人」のやることとは思えません。
    それは「少年の心」を持っているのではなく幼稚で傲慢なだけの“コドモ”でしかないでしょう。

    2010.01.29 22:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車が持つ社会的責任を強く意識することで発展の道を歩んできたメルセデスにとって、「自制心」をとっぱらって公道で「シューマッハごっこ」をやりたがるファンなど迷惑なだけだと思うんですがね。
    「深く考える」どころか何も考えてないというしかないでしょう。

    2010.01.30 07:53 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    レース車と同じ構造の車を自分が公道で乗れる。ワクワクしますね。

    環境の為には一番よく売れている数々の車を環境に良い車に変えるのが合理的でしょうね。大衆車層として。

    車好きの趣味はレースや実車もそうですが、それだけにはとどまらず、模型、トミカ、テレビゲーム、ラジコンなどもありますね。ほとんどの車の玩具が本物志向となっています。これは実用ではなく夢です。趣味・娯楽層ですね。
    インプレッサやランエボ、プジョーやシトロエンなどはラリーで性能が証明されているから分かりやすいし、ある層の人達は趣味でなくともグレードが低くても素性の良いものを買おうと思うでしょう。経営難の為、レースから撤退は残念だと思いますが。
    しかし、誰もがそう思う訳ではありません。多いか少ないか人それぞれ色んな魅力に惹かれて買います。

    未来は色んな面でわくわくしないと面白くないですもんね。可能、不可能は別にして色んな面で人類の夢を追い求め、近い未来形として表現される事は面白いと思います。色んな層があれど、車もその一部だと思います。車にも色んな層があります。

    2010.01.30 11:35 URL | 未来を思う車好き #- [ 編集 ]

    「ほら、こっちにおいでよ」

    「きゃあ、冷たいってば」

    海岸で男女が楽しそうに、はしゃいでいます。

    その側で、ひざを抱えて寂しそうに夕陽を眺めている人がいます。


    「真冬だというのに、なぜ彼らは、水かけっこをしているのだろう。この行為は、常識的に考えて、おかしい。理に適っていない。自分であれば、家で温水につかる方を選択するだろう。そして、正にそれが正解だと確信を持って言うことができる。そもそも、彼らさえいなければ、この夕陽は、もっと綺麗に見えたはずなのだ・・・」


    なぜ、あなたは、ためらうのでしょうか?



    自己を開放することを

    自身を許す事を



    なぜ、あなたは否定するのでしょう?

    メルセデスを

    モリゾウを



    あなたにとっては、「敵」なのでしょうか?

    車と戯れる人々が

    海岸ではしゃぐ男女が



    しかし、そこには確かに存在しています

    水面には、キラめく紋様が

    ミハエルの背後には、まばゆいばかりの翼が




    夢へ向って情熱を燃やす勇者達



    彼らを賞賛し、応援する



    そんな人間でありたい


    2010.01.30 21:16 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    人類の歴史に登場してから膨張の一途を辿ってきた自動車という存在に対して、現在ある種の「自制心」を働かせてコントロールしようという動きは先進国における車メーカーや市民の総意によるものではないでしょうか。
    これを否定することは、自動車が持つ“原罪”に正面から向き合って新しい未来を作ろうとしているメルセデスを否定することに他ならないと思います。

    2010.01.30 22:20 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「ベンチマークに欧州車の○○を選び、徹底的にばらして研究しました」

    そんなインタビュー記事をみかけることがあります。

    「よくもそんな事を恥ずかしげもなく言えるな」と思うと同時に、ちょっと悲しい気持ちになります。


    見るべきものが見えていないから。

    盗むべきものが何かを分かっていないから。



    この問題を解決しない限り、トヨタは、レクサスは、永遠に言われ続ける。


    「何かが欠けている」

    「何かが足りない」


    不況であるからこそ果敢に攻めるのです。暗い世の中だからこそ人々に明るい話題を提供するのです。ジェントルマンだからこそ、鬼ごっこに参加する。

    それが、リーダーの役割です。リーディングカンパニーに課せられた責務です。



    そして、そこには必ず必要となります。


    「遊び心」が。



    それが、人々を突き動かすのです。

    充足感を与えるのです。



    あなたに、生命の息吹を与えた「種」だからです。


    人類の起源だからです。

    2010.01.31 02:19 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    ジャガーやメルセデスなども当然レクサスLS400を登場時に分解して調べてますし、物作りに与えた影響を無視できません。
    そのような作業は業界における常識の範疇にあるものであり何ら恥ずべきことではありません。

    フェラーリも環境対応のラインナップ構築に乗り出すあたり、大抵の自動車メーカーが「遊び心」だけでは存続を許されない現実を示しているのですが、これもまた常識に過ぎません。
    「自制心」に欠け「ジェントルマン」とは言えない価値観を持つ武車小路さんは、これからのメルセデスのファンとして、車社会の住人として、相応しくない人物像に当てはまると思います。

    2010.01.31 03:18 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    車が誰もが欲しがる特別なものでない時代だからこそ、凝ったデザインの車を作っても良いと思います。しかし、何も高価にしなくても、この時代、乗る人は決まってくるので良いと思います。大量生産、大量消費ではなくニーズに合わせて良いと思います。

    2010.01.31 16:55 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]

    自動車レースが「人間の本質」から「人類の起源」まで行っていますが、単語をただ書いているだけで内容の理屈が全く存在しませんよね。

    2010.02.01 00:45 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「誰かの役に立ちたい」

    もし、あなたがそう思う事があったら、小さな子供を連れて、老人ホームを訪れて下さい。

    そして、言ってみて下さい。

    「おばあちゃん、この子に、お手玉を教えてやってくれませんか?」


    その時、あなたは目撃するでしょう。


    ゆらゆらと今にも消えそうだったロウソクの炎が、再び力強く燃え出す姿を。

    何のために燃えていたのか、その意味すら忘れかけていた存在が、まばゆいばかりの輝きを放ち始め、その深い陰影でもって我々に感動を与えることを。


    経済も、これと似ています。


    「遊び心」こそが、「弱々しくベッドでうなだれる経済社会」に、生気を与えるのです。社会に活気をみなぎらせる特効薬となるのです。

    そして、「遊び心」という本流から生まれ出た「鬼ごっこ」の精神が、車を、人類を、発展させてきたのです。

    だから、その原点を忘れてはならないのです。強く心に刻む必要があるのです。



    そして、「海岸ではしゃぐ男女」。彼らも、あなたにとって無関係の存在ではありません。


    彼らこそが、他でもない。


    かつての、あなたのご両親なのです。

    2010.02.01 04:28 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    自分の好きな「自動車レースに興味を示さない」老人は「少年の心」を失っているなどと書く傲慢さもっている武車小路さんが、今度は老人ホームでの慰安を書くのですか?
    およそ老人の心を理解しケアするには向いていないような気がしますよ。

    2010.02.01 07:08 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    数年前ですが、数人の自動車評論家が車社会と環境問題についてまとめた本を出したことがあります。
    その中では、車に関係するものは勿論、直接は関係しないものまで様々な環境技術の取材を行なっていました。

    そのときに少し印象に残った部分は、環境問題をモラルでやろうとしても駄目だというところでした。
    楽しかったり気持ちよかったり、今の苦しいことを我慢するとその分明るい未来が脳裏に浮かんでくる、そういうものが必要だというのですね。

    環境問題に取り組んでいる会社はそこで働いている社員を元気にする
    家に帰って誇れる会社でないと働いている甲斐がない
    昔はお金を儲けている会社が誇れたが今はそんな時代じゃない
    社会性のない企業は意味が無いし生き残れない

    インタビューしてそのようなことを話しているんですよ。
    車社会で例えるなら、トヨタのような自動車メーカでエコカーを作るひとも、エコカーを買って乗る人も、車をあえて降りる人も、やり方や自身の受け取り方次第でいくらでも「遊び心」「活気」をもって生きることが出来るということですね。



    武車小路さんの言う「遊び心」「活気」というものを武車小路さん自身が並べてきた単語で組み立てるとこのようなものになります。


    ・「大の大人」が「自制心」というブレーキを外し「自己を開放」して「自身を許す」結果として「公道」で「シューマッハごっこ」をおこなう。


    麻薬中毒者のような「遊び心」「活気」はあるのかもしれませんが、一体これがまともなモノの考え方なのかと大いに疑問を持つ事が出来るでしょう。
    「誰かの役に立ちたい」という奉仕の心とは無縁のおかしな自己愛に満ちたエゴイズムが存在するだけです。


    豊かな心からくる自前の“心の翼”が無いから他力本願に翼を付けてもらう事ばかりを要求せざるを得ない、そのような人には「遊び心」や「活気」でもって社会を発展させることは不可能だと思います。

    2010.02.01 20:23 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >なぜ、彼らは自動車レースに興味を示さないのか?なぜ、「つまらない車」を許容できてしまうのか?
    >それは、「少年の心」を持たないからです。忘却の彼方に置いてきてしまったから。


    車好きの人間から見ても、この思考はほとんど病気だと思うんですけどね・・・・。
    自分の趣味に興味を持たない他の人間を許容できないという、「精神的貧困」を超えた何かしら大きな歪みを感じます。
    およそ「少年の心」とは程遠い“オヤジ的欠陥”だと思いますが、このような考えで世の中を動かしたところで誰が幸せになるのでしょうかね。
    武車小路さんにとって「つまらない車」を他人が許容できたとしてもそれは「遊び心」の種類や遊び場の舞台が違うだけだというほうが余程自然でしょう。
    「海岸ではしゃぐ男女」を受け入れる必要があるのは武車小路さんではないでしょうか。

    2010.02.02 00:01 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    abcdさんのコメントを読んで宮沢賢治の「雨にも負けず、、、」を思い出しました。そういう人間の生き方は、これからの時代には必要になってくると自分も思います。

    2010.02.02 12:13 URL | H #- [ 編集 ]

    地球に悪い事をして、体にも悪い事をしてきた人間。破壊や悪い事が大好きだった人間。
    その事に気づきながら、指摘されながら、変わらなかった大国。
    しかし、近年、大事な事に気づき、行動を起こしている人間。
    何が利益か、何が不利益か、その事に理解を示し、変わろうとしている巨大メーカー。
    そこに、我々の国と大国と諸国のメーカーに大きな意義と価値があると思う。
    時代の波の中、生きる術を持って、変えるものは変えなければならない。
    そこに心と価値観を守って取り入れながら。
    考え方を変えれば、工夫すれば、無理なく容易い事だと思う。
    自分の為は人の為。
    人の為は自分の為に。

    2010.02.02 16:04 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]

    トヨタ自動車を苦境に陥し入れているリコールなどの問題は今、トヨタ車の価格を直撃している

    http://jp.wsj.com/index.php/layout/set/print/Business-Companies/Autos/node_31850


    「品質」だけが取り柄のメーカーが、「品質」に対する「信頼」を失ったとき、そのような結果が訪れるのは当然だと言えるでしょう。

    「品質」とは、「実利」の一種であり、ユーザーとメーカーが実利だけで結ばれているかぎり、その実利が得られないと分かれば、ユーザーはメーカーをすぐ裏切る。

    メーカーは、万全を来し100%の品質を目指すのでしょうが、優秀な企業が、完璧性を求めて企業努力を行っても、100%の結果が得られない場合もあるのでしょう。自動車部品に占めるコンピュータの割合が高くなっている現在では尚更です。

    しかし、この世の中には、100%の結果を期待できるものがあります。

    デザインです。

    デザインは裏切らない。「魅了」に、リコール問題は発生しない。デザインにかかるコストは、その事業規模に比すれば、限りなく0円に近い。


    そして、レース。

    自動車レースは、「結果が全て」ではありません。社員のモチベーションを高め、団結力を高めるために行うのでもありません。

    「レースを通して、ユーザーとのリレーションシップを構築すること」

    それこそが、自動車メーカーが自動車レースに参加する真の目的なのです。そのようにして関係性が得られたユーザーは、メーカーを裏切らない。いかなるリコール問題が起きようとも、自分以外の全ての消費者が購入をやめても、そのメーカーの製品を買い続ける。


    「品質神話」は、ある日、突然崩壊するかもしれません。


    だから、崩壊しないものにも投資する必要がある。


    これは、経営上の「リスク回避」でもあるのです。

    2010.02.13 01:24 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >いかなるリコール問題が起きようとも、自分以外の全ての消費者が購入をやめても、そのメーカーの製品を買い続ける。


    ある程度の生産数を持っているメーカーでは、特定の狂信的信者ではなく「自分以外の全ての消費者」のおかげで企業が存続できます。
    フェラーリやポルシェも例外ではありませんでしたし、一般人のファン心理などその程度のものであり、一部の車マニアの偏愛などあまり役に立たないんですね。

    2010.02.13 02:21 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「金塊が欲しいですか?」

    あなたは言うでしょう。


    「はい、欲しいです」



    嘘だ。



    あなたは、嘘を言っている。

    あなたは、金塊が欲しいんじゃない。金塊の「換金性によってもたらされる価値」が欲しいだけだ。金塊のまばゆいばかりの輝きや、そのずっしりとした重みが素晴らしいと思っているのではなくて、「換金後の幸福」を夢見ている。だから、金塊を所有することで得られる喜びは、現在に存在するのではなくて、換金後の未来に存在する。

    日本車とは、正にそういうものだと言えます。

    その価値を感じる事ができるのは、車を降りるとき。車を手放すとき。乗っているときに、その価値を感じることはできない。だから消費者は、「換金するタイミング」に注意を払い、他のもっと価値のあるものに置き換えようと、虎視眈々狙っている。

    「換金を目的とした道具」だから。「移動機能」が付加された「換金手段」だから。


    今、日本車は、「価値暴落の危機」に直面しています。

    100%の品質などというものは、幻想です。

    だから、期待してはいけない。

    これまで通りではいけない。


    「金本位制からの脱却」


    それを断行することこそが、今日本車が直面する「価値暴落の危機」を打破する「解」となるのです。

    2010.02.13 20:21 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >今、日本車は、「価値暴落の危機」に直面しています。


    そんなものには直面していません。
    トヨタが直面してるのはリコール問題です。



    >100%の品質などというものは、幻想です。


    いかなるものも100%という数字は難しいですが、少なくとも狂信的ファンの情熱がメーカーを支え続けるというような自動車マニアの幻想より、品質のほうが余程確かなものでしょう。

    2010.02.13 23:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >その価値を感じる事ができるのは、車を降りるとき。車を手放すとき。乗っているときに、その価値を感じることはできない。


    品質への信頼性は車に乗って動かすときに有効だと思うのですが、どういうことが言いたいのですか?
    今回のリコールはまさにそれが脅かされたものであるからこそ大きな問題になっているのですが。

    2010.02.14 01:37 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    昨日あなたは、水道の蛇口をひねったことでしょう。

    今日も、そうしたはずです。

    明日もです。明後日もです。

    ところが、あなたは、水道の蛇口をひねれば水が出る事に、感謝したことはない。喜んだことがない。一回も。一度たりとも。

    しかし実は、この「水道の蛇口をひねれば水が出る」ごとく、「当たり前のことを当たり前に」できるメーカーがなかった。そこに、日本車メーカーは、一筋の光明を見出した。

    彼らは、持ち前の真面目さと研究熱心さで、当たり前のことが当たり前になるように改善に改善を重ねた。その事によって「品質」と「信頼」という「称号」を手にした。

    しかし、「当たり前のことを当たり前にやることだけが取り得のメーカー」の蛇口をひねったところ、塩酸が吹き出した。だから、アメリカ人は怒っているのです。裏切られた気持ちで一杯なのです。

    「100年に一度の未曾有の危機」

    それが、今、現実問題となったのです。これからが、正念場なのです。

    では、この問題は、どうすれば解決できるのか?


    「品質」に頼っていてはならないのです。

    「品質」は、韓国車メーカーにも、実現可能だからです。


    だから、「耐久性」、「品質」、「信頼」、「燃費性能」、「価格」。それ以外に、ユーザーが価値を感じるものを探し出すことが必要です。


    では、その「ユーザーが価値を感じるもの」とは、一体何か?




    水道の蛇口をひねった時、


    お湯が出てきたら


    あなたは、嬉しく思いませんか?

    2010.02.14 23:19 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    プリウスのリコールについて一言。

    今回ばかりはトヨタが可哀想です。
    リコールの発端になった原因は皆さんご存知の通り「雨の日、ABSが効きにくい」です。
    よく考えてみてください。
    いくら雨の日とはいえ、ABSを作動させるほどの急ブレーキって。。。
    相当加速した状態からフルブレーキングでもしない限り起こりえません。
    明らかにユーザーの乗り方が乱暴だとは思いませんか?
    プリウスに文句言う前に自身の安全運転に気をつけてもらう必要があると思います。
    発売前のテスト走行でテストドライバーが問題視してない時点でABSの動作は正常と言えるはずです。
    おかげでリコール対処後、プログラム変更されたプリウスのブレーキは効き過ぎで、「逆に危ないのでは?」という意見がトヨタ内部から出ているようです。

    2010.02.15 12:25 URL | H #- [ 編集 ]

    今までにどんなメーカーにも当たり前に存在し自動車を作る以上普通に受け入れるべきリスクであるリコール問題に対して「100%」や「100年」などという極端な数字で解釈をすすめるのがまともな思考とはとても思えませんよ。

    “100年に一度”などという大仰な言葉を使うなら、それこそ自動車のデザイン意義が全く別のものになったりレース活動が投資として無価値化する可能性を考えたりしたらどうでしょう。
    自分に都合の良い変革をメーカーに要求する一方、自分の価値観をおびやかすような変革をともなう思考作業には一切タッチしようとしない、それがいつもの武車小路さんですよね。

    2010.02.15 19:40 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    トヨタが米国民を怒らせた本当の理由を語ろう~米著名自動車コンサルタントの マリアン・ケラー氏に聞く
    http://diamond.jp/series/dol_report/10033/

    >まずリコール自体は、珍しいことではない。
    私のもとにも先日、日産自動車からリコールのレターが届いたばかりだ。
    通常のリコールならば、車をディーラーに持って行き、すぐに無償で修理してもらえるというタイプのものだろう。

    今回のトヨタのリコールの中でも、たとえば、最新モデルの「プリウス」はそうしたケースだ。
    発売後に欠陥が明らかになり、無償で修理してもらえる。
    そうしたリコールはこれまでも業界で行われてきた通常の手続きのようなものであり、本来はメーカーの評判を悪くするようなものではない。

    では、なぜ今回のトヨタのケースは違ったのか。
    それは、率直に言えば、欠陥製品を出しながらそのことを否定し続けているという印象を世間に与えてしまったからだ。

    2010.02.15 21:59 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    >トヨタも、同じ道を辿らないとは限らない。今やアメリカの車の質は向上した。
    また、韓国の車の質も向上した。
    質という面でも、トヨタ車に代わる消費者の選択肢は多数存在するわけだ。
    今回のリコール問題でトヨタに不信感を抱いた消費者が、他のメーカーの車に率先して乗り換えていったとしてもまったく不思議ではない。


    このような状況も当然ですね。

    2010.02.15 22:20 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    ABSの誤作動ではなかった! では原因は?
    緊急速報】プリウスのブレーキ抜け異常!? その真相を国沢光宏が速攻解説!
    http://corism.221616.com/articles/0000102438/

    【続報】結局なんだったのか「プリウス ブレーキ抜け」問題 ~【国沢 光宏の新型プリウス自腹購入日記 Vol.11】~
    http://corism.221616.com/articles/0000102721/

    2010.02.16 00:12 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    <武者小路様
    参考文献、読ませて頂きました。今回のリコールはハイブリッドならではの不具合。という事になるのですね、、、。
    勉強不足で語ってしまいすみません。
    でも、低ミュー路のテスト走行もしてるはずなのに。。。一般人でも認識できるほどの挙動にテストドライバーは何故気付かなかったのか。それとも気付かないフリをしたのか。
    謎が残りました。
    一度その恐怖を試乗して体感してみたかったです。

    2010.02.16 12:27 URL | H #- [ 編集 ]

    「100年に1度と言われます未曾有の難局の中、トヨタの舵取りという大きな役割を担うことになりました。今はただただその責任の重さに身の引き締まる思いでございまして、抱負などにつきまして具体的な考えを申し上げられる段階にはございません」

    http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0901/21/news021.html

    2009年01月20日、トヨタの社長内定会見で、豊田章男氏は、そう発言しました。

    この会見を聞いた時、私は、何かしっくりこないものを感じました。歯切れの悪さを感じたのです。

    しかし、今、思い返せば、腑に落ちます。

    章男氏は、この「トヨタ・ショック」が起きる事を予期していたのではないか?そのことを踏まえたうえで、慎重に言葉を選んでいたのではないか?

    今回のトヨタ・ショックでは、「信頼、プリウス、レクサス」というトヨタの三大看板に傷が付きました。

    そこに、「死亡事故」と「隠蔽体質」が含まれるが故に、事態が急展開する様相を含むのです。これからは、微細な問題も「リコール」として届けなければならなくなります。路上でトヨタ車が炎上したとなれば、マスコミが大挙して押し寄せるでしょう。やがて、人々は、トヨタ車を買うことに恐怖を抱くようになります。これは、かつて三菱自動車の時に見た光景です。



    リコール率100%超え

    http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2010/02/post-2847.html

    トヨタは、年間1000万台体制を急いだがために、「品質」が疎かになったのです。いつしか「リコール大魔神」へと変貌を遂げていました。

    しかし、これまでは、それらの批判を、強大なマスコミ支配力によって封じ込めていました。「トヨタ=高品質」。その創られたイメージを維持する事に成功してきたのです。

    しかし、「信頼」は「信頼」によってしか得られないものであるが故に、その信頼を裏切られたとなると、収拾がつかなくなります。世論も簡単に変わってしまうのです。

    「ハイブリッドカー」だってそう。

    ユーザーは「燃費面」」でのメリットを享受できるかもしれないが、実の所、製造過程における環境負荷は大きい。ハイブリッドカーに乗る人は、自らの利益のみを追求する「エゴイスト」。そう言うこともできる。


    「プリウスは、燃費が良い。でも、エコじゃない」

    「トヨタ車は実の所、高品質ではない。過去のリコール率を見れば、分かる通り」

    「トヨタは、簡単に約束を反故にする。従業員の生活を考えない。トヨタのF1撤退を見れば分かる通り」

    トヨタは、アメリカにもたくさんの工場を持つが故に、これ以上のバッシングは起きないかもしれません。日本のマスコミ支配力も未だ強力。

    しかし今回、純粋無垢な一般消費者の心の中にも、「不信」の種を蒔いてしまったのです。

    その種は、やがて発芽し、育つでしょう。



    「不信」の心でトヨタ車を見たとき、それでも彼らが、トヨタ車に魅力を感じるのか?




    はなはだ疑問だと言わざるを得ません。



    そして、それこそが、冒頭の章男氏の言葉の真意に違いありません。

    2010.02.16 22:53 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    出来事が起こってから後に自分の都合の良いように予言的解釈を付ける行為は“事後予言”と呼ばれるインチキの一種です。

    2010.02.16 23:08 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    たまに見かける「車の品質はトヨタが一番」と何の根拠もなく信じ込んでいる方には、今回の一件は、考えを改めるいい機会になったのではないでしょうか。
    自分はトヨタは特別好きでも嫌いでもありませんが、頑張って立て直して欲しいと応援してます。トヨタが倒れたら日本経済に与える打撃は計り知れないから。。。

    2010.02.17 12:25 URL | H #- [ 編集 ]

    会見の発言を見る限り「100年に1度」というのは会見当時も存在した経済不況のことじゃないですかね。
    テレパシーで歪曲するのは止めたほうが良いと思います。

    少しまとめますと、「実はクルマから離れていたのはメーカー自身だったのではないか」と言い「この「トヨタ・ショック」が起きる事を予期していた」らしいトヨタは、武車小路さんの願望や理屈とは逆にF1撤退を決めています。

    2010.02.17 19:47 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    三菱もありましたけど、いい車が出ています。トヨタがこれからどうやって信頼やイメージ回復をしていくのか興味があります。楽観的かもしれませんが、まあ、やってくれるでしょうね。是非、頑張ってほしいと思います。それにしてもマスコミの力は強大ですが、自由といえば自由ですね。

    2010.02.18 03:25 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]

    「店長を出せ!」

    今日、店の前を通ったところ、男性の怒鳴り声が聞こえてきました。

    なんだろうと、そばによってみると、彼はテレビを見ていました。

    「トヨタ自動車から、リコールのお知らせです。プリウス、サイ、レクサスHS250hのブレーキシステムに不具合が見つかりました。お客様にはご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございません・・・」

    「ナショナルFF式石油暖房機を探しています・・・」

    どうやら彼は、陰鬱なテイストのあのテレビCMを思い起こさせる点が気に入らなくて、テレビ画面に向って怒っていたようです。

    「このプリウスの謝罪広告は、誠実さが伝わって良いのではないですか?」

    「いいや、おかしいだろ。こんな時にこそ、店長が出てきて謝罪するべきだろ。だってさ、普段、さんざんテレビCMに登場して、トヨタの車を売ってんだからさ」


    このように、人によって、捉え方はまちまちです。

    だから、対話が必要なのです。コミュニケーションが必要なのです。

    あなたが否定してやまない「テレパシー」こそが、今、この世の中に最も必要とされているのかもしれません。

    相手の心が分かれば、「素晴らしい謝罪」ができるからです。

    商売が成り立つからです。

    争いがなくなるからです。


    そして、



    あなたを苦しめる「心のガン細胞」を


    全て取り除くことができるからです。

    2010.02.18 23:11 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    エントリの本文は良いかもしれませんが、
    せめてコメント欄では妄想の物語を書くのは止めませんかね?
    武車小路さんが自己満足しているだけで、対話やコミュニケーションの障害にしかなりませんよ。

    2010.02.20 15:04 URL | abcd #- [ 編集 ]

    「すいません。ちょっと、お時間いいですか?」

    私は、目を合わることを避け、駆け抜ける喜びを味わおうとしました。

    「すいません。道を教えて欲しいのです」

    彼女の困っている表情を見たとき、私をだまそうとしているのではない事に、初めて気付きました。

    「だまされたくない。決してだまされるもんか。都会には悪い大人がたくさんいる。自分は、そのことを知っている分別ある大人だ」

    そう思うことで、我々は、いつしか他人との間に心の壁を築いてしまっているのかもしれません。その事で、大切な機会をふいにしているのかもしれない。

    だから、他人を疑うよりも、「まず疑おうとする自分の心のあり方」を疑うべきではないか?

    今、目の前にある一瞬、一瞬を楽しもうとする心構えを持つ方が、より良い人生を送れるのではないだろうか?

    だまされたって良いじゃない。だましてくれた方が、むしろ面白い。

    「だまし」や「裏切り」の構造なくしては、いかなるエンターテイメントも神話も成り立たないのだから。

    みすぼらしい乞食。それが実は、立派な聖職者だった。王子様が、お后候補を試すために乞食に化けていた。そんな話を、あなたも聞いたことがあるはずです。


    だから、今日から疑うことをやめよう

    ありのまま受け入れよう

    心を解放しよう


    誰に対しても


    物乞いに対しても


    コミュニケーションを深めるために


    魂で会話するために


    世の中を明るくするために

    2010.02.21 20:10 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    他人に注意する時、必ず考えてしまいます。

    ・自分は他人のミスを注意できるほど完璧な人間なのか。
    ・注意された後の相手の気持ちはどうなるか。
    ・そもそも注意するに値するような内容なのか。

    武者小路さんも深いところまで考えて発言する方なのでしょうね。
    親近感を感じます。

    2010.02.22 12:12 URL | H #- [ 編集 ]

    このブログのところどころで陰謀論を展開していた武車小路さんが、今度は「今日から疑うことをやめよう」ですか?
    心を入れ替えたんでしょうか。

    2010.02.23 02:31 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    最初の印象では、性格が悪そうに思えたけど、実は良い人で、仲の良い友達になれた。

    ワイルドでかっこいいと思っていた人が、数年後に性転換手術を受けた。

    海外旅行で、親切そうな人にだまされ、財布を盗まれた。


    このように、人は、見かけや第一印象だけでは、なかなか判断できません。


    では、疑うべきか。疑わざるべきか。


    実は、ここに、人生をひもとく重要な鍵が隠されているように思えます。

    相反する事柄や、一見矛盾するような事象、ことわざ、美徳、道徳、知恵、教訓、心構え。その両方に、真実や真理が隠されているのです。それらを高度に活用できるようになって初めて、人生の達人になれる。

    どういう事かと言うと、全く疑わなければ、身ぐるみはがされてしまうかもしれません。

    一方、常に疑ってばかりいると、チャンスも逃してしまう。猜疑心の固まりのような人の元には、すさんだ心の持ち主ばかりが集ってしまう。結果として、幸せから遠ざかる。


    では、どうしたら良いのか?


    「疑う心」と「疑わない心」。それらを状況に応じて使い分ける。両者のバランスをとる。

    それも一つの解決策でしょう。しかし、それより上の「ステージ」が存在するように思うのです。



    「疑って疑わない」


    いや、

    「疑わずして疑う」

    つまり、

    「疑わない心で疑う」


    と言うよりは、


    「疑わない心で疑わない」


    さらさら流れる小川のように清らかな心で、見通すのです。

    流れようとは思わず流れるのです。

    心を解放し、相手に預けるのです。


    そうしたら、見えてくる。

    事実が。真実が。真相が。陰謀が。利権が。過ちが。



    あなたを苦しめる根本原因が。


    2010.02.23 22:01 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    武車小路さんがいつもやっていることは、自分に都合がよければ「疑わない心」、都合が悪ければ「疑う心」で見ているだけじゃないですかね。

    そのようなことをやっていても「バランス」などは存在し得ず、見えてくるものは「真実」ではなく、その場で自分を心地良くさせたいだけの幻想でしかないでしょう。
    「苦しめる根本原因」には手付かずのまま放置される状態で生きていくことになります。

    2010.02.24 00:23 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「レクサスの事故原因は、フロアマットにあった」

    http://www.asahi.com/car/news/NGY200909300029.html



    この報道を聞いたとき、あなたは何を思ったでしょうか?

    私は、自動車教習所で習ったことを思い出しました。

    「車を運転するときは、サンダル履きを避けてください。ペダル部にサンダルが挟まることで、思わぬ事故の原因となることがあります」

    実際問題、厚底サンダルが流行したときには、サンダルの使用が原因となって、死亡事故が発生しています。

    http://response.jp/article/2001/04/26/8736.html



    また、最近では、マッサージ器にマフラーが巻き込まれ、70代の男性が窒息死しています。

    http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201002060016.html



    同様の事故は、遊園地のジェットコースターや、自転車のスポークによっても起きています。

    それらの事故を知っている人は、レクサスの事故原因はフロアマットにあった。そう聞いたとき、さもありなん。そう思い、疑わなかったかもしれません。

    しかし、ある一定の割合の人は、こう思ったはずです。

    「フロアマットが原因で、アクセルペダルが戻らなくなった?それが事故原因の全てだった?だから、正規のフロアマットを正しく使用して下さい?そうしたら、暴走事故は起きません?実に不可解だ。かなり怪しい」

    しかし、高速道路交通安全局(NHTSA)と地元警察が、事故原因をアクセルペダルがフロアマットに引っかかって戻らなくなったことと特定していたことが18日、分かりました。

    http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100220-OYT1T00008.htm



    私は、こういった報道を、額面通りには受け取りません。その裏側も同時に見つめます。

    ただ、実際、事故の原因が、フロアマットにあったのか、アクセルペダルの構造にあったのか、それとも電子制御の問題であったのか。ソフトの問題だったのか。そんな事はどうでも良いのです。

    それよりも、不測の事態が起きた時に、運転手が、とっさに対処できる手段があったのか?

    Nレンジにしても、Pレンジにしても、ブレーキを踏んでも、暴走が収まらない時に、瞬時にエンジンを止めることの出来る「キル・スイッチ」のようなものが備わっていたのか?

    二重にも三重にもバックアップされた「危機管理対策」が盛り込まれていたのか?


    それらを考え、今後の車に、改善策として織り込むことの方が重要なはずです。

    そういう車であれば、ユーザーに対して「プレミアム代金」を請求するに相応しいからです。



    このように、疑うことは有益である。人々の安全を守ることにつながる。


    そう言って良いでしょう。


    しかし、あなたは、常に疑っている。疑うことが肥大化している。疑うことが「目的」となっている。


    その結果、訪れるものは何か?



    「凝」です。



    疑いすぎて、凝り固まったのです。疑うことが常態化したのです。



    だから、自由が利かなくなった。



    思い通りに動かなくなった。





    心のアクセルペダルが


    2010.02.25 23:50 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    http://www.f1-kindergarten.com/view_09/20091104_3200.php

    社長のコメントを抜粋します。

    「個人的には、私はモータースポーツを推進してきた一人でありますし、モータースポーツを自動車文化のひとつと捉え、それを応援してきました。しかし6月以降に社長に就任してからは、立場が変わりました。いちモータースポーツファンとしては苦渋の決断でしたが、役員たちの声を聞きながら、最終判断は私が下しました。チームが優勝をしたかどうかでこの決定が変わったということはありません」

    ということですね。

    つまり「6月以降」に「立場が変わ」ったのであり、武車小路さんが言う「2009年01月20日、トヨタの社長内定会見」において「トヨタは、簡単に約束を反故にする。従業員の生活を考えない。トヨタのF1撤退を見れば分かる通り」という光景を 「予期」していたのではないということになります。


    自分に都合の良い取捨選択をするどころか、ありもしないテレパシーで予言を組み立てているのでは、そんなものは疑われるに決まっていますよ。
    というかそれ以前の問題でしょう。

    2010.02.26 19:33 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    「疑う」のも「疑わない」のも、本来の目的は同じはずです。

    自らの利益を守り、他者の利益をも守ること。

    結果として、それが、多くの人に喜びを与える。「幸せ」をもたらす。


    しかし、「疑う」とは、自らの視界に「フィルター」をかける行為でもあるのです。

    だから、その使い方を誤ったとき、自らの視野を狭め、誤認を生むこととなる。



    今、あなたの目の前には、他の人とは違った世界が広がっています。世の中が全体に、赤茶けて見えている。

    だから、私の文章を読んだとき、間違った解釈をしてしまう。

    「トヨタの社長就任会見時に、章男氏が、F1撤退を決断していた」

    そんな事は述べていないはずです。

    そうではなくて、最近のトヨタ車に内在する品質低下問題が顕在化し、社会問題となる可能性を、章男氏は認識していたのではないか。予期するものもあったのではないか。そう述べたのです。

    そして、「車好きの感性」を持つ章男氏にとって、現在のトヨタ車は魅力に乏しいものに写っている。だから、何かしらの抜本的改革も行ってくれるのではないか。それが、やがて形に現れてくるのではないか。


    はっきり言います。


    これまで通りのトヨタ。


    そんなものは、ありえない。


    世界No.1の自動車メーカーとして長きに渡って君臨してきたGMが、日本人にとって「全くありえない選択肢」であり続けたことと同様に。

    「高品質」という言葉が一人歩きした状況に奢れる限りは。

    しかし、巨大組織の内側の人間は、消費者のその思いに気づかない。GMやクライスラー同様に。今回のような外的刺激がない限りは。


    創業者一族の「鶴の一声」をもってしても。


    だから、今が改革を行うチャンスなのです。


    その時、F1に携わってきた人材を使える状況にあることは、結果的に好都合だったのかもしれません。

    そして、その改革は、きっと成し遂げられるはずです。



    「心のサングラス」を外しさえすれば。

    2010.02.28 03:58 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    「トヨタは、簡単に約束を反故にする。従業員の生活を考えない。トヨタのF1撤退を見れば分かる通り」

    私がそのまま忠実に拾ったこの文章は一体何を意味する予言なのでしょうかね。

    おそらくレース好きな新社長がレースへの投資を拡大でもすれば武車小路さんにとって一番良かったのであり、リコールを元にした予言を無理にひねくり出す必要もなかったのでしょう。
    しかし現実にはよりによってF1撤退という武車小路さんの好みとは逆の「改革」をおこなってしまった。
    客観的に見て一人歩きしているのはトヨタの「高品質」という言葉より、武車小路さんの言う「車好きの感性」という謎の言葉となっている次第です。

    2010.02.28 05:25 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    トヨタは販売店において、お客を大事にしてくれます。それはやはり、販売店の方の力です。少なくとも、お世話になっているネッツ店ではそうです。トヨタの車がどう改革されようと、それは変わることはないと思っています。
    高価なものである車であるだけに、趣味は趣味、興味は興味、実用は実用で、実際は、やはり安心して乗れること、そして人との信頼関係に成り立っているのだと思います。その中で、デザインがばっちり決まるものが出た時は買うでしょう。私はフルモデルチェンジを2回した時に(約10年?)新しく良いものが出るであろう根拠のない思いを持っています。
    しかし、自分の買えない車でも魅力的なものは何らかのオモチャでも買おうと思います。車の経済効果も実車だけにとどまらないと思いますね。トイザらスなんか行くと楽しいですからね(^.^)

    2010.03.02 00:57 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]

    「トヨタは約束を反故にする。従業員の生活を考えない。F1撤退を見れば分かる通り」

    F1撤退を考える際、章男氏は、そのような批判を受けることを想定し、悩んだに違いありません。

    なぜか?

    これに関しては、少し補足が必要となるかもしれません。

    トヨタ自動車工業の設立は1937年。実質的な生みの親は、豊田自動織機製作所の創業者、佐吉翁の実子、喜一郎氏。周囲の反対を押し切る形での船出でした。

    戦後の経済統制のあおりを受けた1950年には、大リストラを断行せざるを得ない状況に直面しました。激しい労働争議の結果、8000人中2000人の希望退職者を募る形で収束しました。喜一郎氏は、その責任を取り、社長職を辞しました。

    「従業員は家族同然であり、会社都合で解雇しない」

    それが、佐吉翁から受け継がれるトヨタの基本方針だったからです。

    その後、朝鮮戦争特需にも助けられ、トヨタの業績は著しく回復しました。喜一郎氏が社長職に復帰できることになりました。

    しかし、病床の喜一郎氏は、そのまま帰らぬ人となったのです。本人も周囲も、復帰の日を心待ちにしていたにもかかわらず。

    時は過ぎ、喜一郎氏の実子、章一郎氏の寵愛を受け頂点まで上り詰めた奥田氏は、社長就任時に、こう宣言しました。

    「トヨタは資産を吐き出してでも雇用を守る」

    奥田氏は、その後、日経連の会長職につきました。彼のリーダーシップの元、企業の論理を優先した労働基準法と労働者派遣法の改正が行われました。結果として日本の就業人口における、非正規雇用者の割合が増大することとなりました。

    トヨタは、「非正規雇用者の将来不安」と引き替えに、莫大な内部留保をため込むことに成功しました。


    このように、トヨタの社長にとって、雇用問題は、ある種のトラウマとなっているのです。だから、章一郎氏の実子である章男氏も、この問題を重要視していたはず。最低限、雇用は守りたい。F1チームの従業員であっても。2012年までの参戦を約束するコンコルド協定に、既に調印していたからこそ。

    とは言え、トヨタF1は、万年0勝チーム。せっかく優勝のチャンスが回って来ても、戦略ミスで負けてしまう。チームのカラーリングも「洗練」からは、ほど遠い。ブランド訴求における「デザイン・イメージ」の重要性に、誰も気づいていない。

    つまり、親会社は金持ちで、湯水のごとく開発費を投入するものの、チームは、めっぽう弱い。イメージも良くない。鈴鹿から無理矢理レース開催権を奪い取った富士では、「おもてなし」の心が発揮されず、レースファンの怒りが爆発。挙げ句の果てに、2回開催しただけで放り投げる。

    誰が、こんなチームを応援したりするのでしょう?


    だから、トヨタがF1から撤退したことは、正解なのです。ファンづくりに役だってないから。イメージアップに貢献していないから。

    ゆえに、F1がヨーロッパ圏でのトヨタの知名度向上に貢献し、販売シェアが拡大したところで、もう、おしまい。打ち切り。当然です。

    事実、トヨタがF1から撤退しても、誰も悲しみませんでした。マスコミもレースファンも、一般消費者も。ホンダとは対照的に。


    「トヨタにF1に残って欲しかった」


    そう述べたのは、「ヒール」の引退は、惜しまれる。ヒールがいたほうが、レースは盛り上がって、面白い。感情移入できる「悪役」は、社会にとって貴重な存在だ。


    そういう意味です。


    しかし実は、ヒールがF1で負け続けることは、通常考えられる以上に、意義のあることだったのです。アンチ・トヨタの不満のはけ口として、有効に機能していたのです。

    だから、そのはけ口がなくなった途端、リコール問題に端を発したトヨタ・バッシングが吹き荒れた。

    結果的に、トヨタは高い代償を払わされることになった。


    http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010031000063

    米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は9日、トヨタ自動車による世界的な大規模リコール(回収・無償修理)に伴う関連費用が今後1年間で50億ドル(約4500億円)超に達する可能性があると報じた(2010/03/10時事通信社)


    モータースポーツから撤退するのも、スポーツカテゴリーの車を廃止するのも、人員整理を行うのも、近視眼的な視点だけで判断するのは誤りである。


    そのように言えるのではないでしょうか。

    2010.03.13 20:57 URL | 武車小路 #5pLGetfY [ 編集 ]

    >モータースポーツから撤退するのも、スポーツカテゴリーの車を廃止するのも、人員整理を行うのも、近視眼的な視点だけで判断するのは誤りである。


    トヨタがF1から撤退することによりリコール問題を招いたという武車小路さんの視点は、飛躍をとおりこしてオカルトだと思います。
    いくらなんでもトヨタがそのような妄想で企業戦略を練る必要があるはずはないでしょう。

    そのように言えるのではないでしょうか。

    2010.03.13 22:16 URL | abcd #GpKNFZ9I [ 編集 ]

    トヨタはトヨタらしく築き上げた信頼の回復に努めてもらいたく思います。

    2010.03.15 03:58 URL | 未来を思う #- [ 編集 ]

    ラリーも勝てなくなると撤退。
    F1も勝てないと見るや撤退。
    撤退の裏にはレギュレーション違反などの行為もあったと聞いてます。
    信念を貫けないようなら、こういう競技に初めから手を出さなければいいのに。。。
    会社の資金不足なら仕方ないですが。。。

    2010.03.16 12:20 URL | H #- [ 編集 ]

    F1をやってるかと思ったらスポーツカーがない。やめたと思ったらピュアスポーツカー作り。どうなってるのかよく分かりません。
    この点は資金が効果的には出てないような気が。もう少し粘るか、待つかすれば良かったのに。意見を聞くのはいいけど、決断力かポリシーが薄いような。
    レクサスは走りを意識してる車が多いようですが、素人にはセダンは少し走りが良いくらいで、説得力はあまり感じられません。あくまで企業イメージで、いじれば大抵の車は速いでしょうけど。

    2010.03.22 01:50 URL | 未来を思う #- [ 編集 ]

    トヨタ、プリウス事故の検証をNASAに依頼。
    すごいことをしますね。

    2010.03.31 14:45 URL | 未来を思う #- [ 編集 ]

    SAIは近所で見るんですけど、老夫婦が乗られてて、結構渋いんですよ。カッコイイ。品のある御年輩にぴったりです。

    2010.07.22 00:55 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]

    SAIというより、
    SIGH(ためいき)が出るような
    トヨタ的無機質annyonimous没個性の
    極致といっていいデザインですね
    しかもハードウェアは多車流用の
    大判焼きコストダウンの産物。
    そんなトヨタ商法にはのらなきゃいいんですよ。

    2010.08.22 21:35 URL | 先に同じ #- [ 編集 ]

    無機質かもしれないけど、セダンの新しさは感じます。最近では、商社の営業マン(貫禄ある部長クラス?)の方が街で乗っておられ、よく路肩に停車して商談書類に目を通されているのを見ます。ビジネスマンには結構ありかもしれません。家に停めてあったら、インテリ的な印象と言いましょうか。

    2010.08.25 15:48 URL | 未来を想う #- [ 編集 ]












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